5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

作品は作家から離れて評価されるべき?

1 :吾輩は名無しである:04/01/19 09:19
実際どうなん?

2 :吾輩は名無しである:04/01/19 09:24
自分で考えろ

3 ::04/01/19 09:26
無理なのかな
文学作品を味わうということはそれを許さないのかもしれない。

4 :吾輩は名無しである:04/01/19 09:32
作者不詳の作品が一体この世にどれだけあることやら。。。

5 :吾輩は名無しである:04/01/19 09:33
りさタンがいい例。
りさタン ハァハァ

6 ::04/01/19 09:41
>>4
確かに作者知らずに文章に惹き付けられることは誰でもあると思うが
ここでは例えば作者を知ってから作品を読む場合で。
やっぱり先入観入るから難しいのかな
相対的な要素も間違いなくあるし。

7 :吾輩は名無しである:04/01/19 09:48
宮本輝は創価学会員

輝は自分の作品を読む人間は創価に入れという

8 :吾輩は名無しである:04/01/19 10:07
りさタンは、作者も作品もそれぞれ単独でオナニーの対象になるから偉大だ。

9 :吾輩は名無しである:04/01/19 10:22
芥川賞、直木賞は(若い)女に甘すぎる

207 :山猫 ◆neko4yfuBA :04/01/19 00:39 ID:bhWn95VQ
実際には俺が書いて、娘の名前で応募したら受賞するかな。
アノ程度の内容なら、俺でも書けそうな気もするもんだから。
http://love.2ch.net/test/read.cgi/gender/1074180653/207

だって・・・・。
ネタではなく本気で思いこんでる。


10 :吾輩は名無しである:04/01/19 13:56
>>8
男だけな。

11 :吾輩は名無しである:04/01/19 19:38
有名人の話させてみるとなるほどと納得する。

12 :吾輩は名無しである:04/01/21 21:24
りさタンを知らずして「インストール」だの「蹴りたい背中」だのが
読めるか?読めるんか?あぁ!?

13 :吾輩は名無しである:04/01/21 21:25
よめるよ。

14 :吾輩は名無しである:04/01/21 21:27
↑カッコつけてんじゃねぇ!隠れりさタンファンの分際で!

15 :吾輩は名無しである:04/01/21 21:51
こないだのセンター試験のネタだね

16 :吾輩は名無しである:04/01/21 21:53
作品だけの評価
作品+作家の評価

の2通りはあるべきだと思う。
その意識的な区別も必要だと思う。

17 :吾輩は名無しである:04/01/21 21:55
作家だけの評価

というのもあるぞ!綿矢りさタンとかな…

18 :吾輩は名無しである:04/01/22 10:15
普通は離すと思うんだけどね。

俺たちは本を手にとってそれを読むか、
作家の思想を聞いてその本を読むか・・・
要は出会い方なのかもしれない。


19 :吾輩は名無しである:04/01/22 22:24
書くネタがないときは書いた作家本人の話に脱線するとマスが埋まります。

20 :吾輩は名無しである:04/01/28 22:57
スレタイの命題とは異なるが、作家は作品から離れて評価するべきではないね。
最近の文学板を見て思った。

21 :吾輩は名無しである:04/07/05 00:01
http://jp.msnusers.com/10rr2cq93d4b4grlr35motjoe7/%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88/%E3%83%94%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A3%2F040422%5F1729%7E0023.JPG

22 :吾輩は名無しである:04/07/05 01:07
カフカやドストエフスキーなんかがもっとも顕著かな。
しかし程度の差こそあれ、評論があらゆる要素から言葉を引き出す以上は
作家が特定される以上はその人格、時代、などをあえて切り離す動機はないだろう。
それがうるさく感じられて作品だけで語られることも出てくるだろうけれど
それは決して「作品は作家と離れて評価されるべき」という理念一般ではない。

しかし純粋に作品として完結した存在を求める気持ちもわかるな。
さて、それはなぜだろうか。

23 :吾輩は名無しである:04/11/19 19:34:40
age

24 :吾輩は名無しである:04/11/20 19:05:57
作家は作品の背景であって
偉大な作品を書く作家がDQNだからといって
その作品がダメになるわけではない。
殺人鬼だろうが博愛主義者だろうがな。


25 :吾輩は名無しである:04/11/20 21:11:29
電車男。

26 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:01:19
作家なんて飾りです

27 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:20:51
誰が書いたか、ということからは逃れられないけれど
あとがきとかはつけて欲しくない、個人的に。
何か逃げてる気がする。

28 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:33:56
作品は作家から離れて評価すべきって考え方は、もう古いよ。

29 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:38:36
その作家が凡才であれば凡才であるほど、作品と作家の距離は離れる。

30 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:44:45
大江スレでよく話題になってるネタだね。
大江の政治的発言や出処進退がドキュソなことと
作品の価値をどう関連させて(orさせないで)評価するか、と。

31 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:48:49
作品と絡めて作者を問題にするならいい。
作品抜きで作者について語ってもねえ。
作者がたとえ犯罪者であっても
作品の質が高ければ別にかまわないよ。

32 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:51:07
>>30
大江スレにいるのって、そんなに単純バカばっかりなの?
大江がどんなことをしたかじゃなくて、なぜ大江はそれをしたかを考えればいいのに。
そうすれば小説を更に楽しめる。

しっかし、作品の価値って貧乏くさい言葉だな。相場があるんか。

33 :吾輩は名無しである:04/12/08 11:56:09
>>31
>作者がたとえ犯罪者であっても〜
っていう馬鹿っぽさにうんざり。>>24も言ってるな。
それ以上の痛手は考えつかないんだろうね。

34 :吾輩は名無しである:04/12/08 13:06:54
ハイデガーを例にすればわかるはずだ。>33
それで24や31の意見が君にこれ以上ない「痛手」になったのかい?

35 :吾輩は名無しである:04/12/08 13:11:21
無理無理
創価や朝鮮人工作員がまともな考えをもつはずが無い。
文芸界は既に朝鮮マネーに汚染されているよ。


36 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:37:14
>>34
悪いね。
作者がたとえ犯罪者であっても〜 っていう紋切り型の表現に、
うんざりしちゃって。

小さいのも含めれば、犯罪を起こした作家なんて沢山いるよね。
でも、犯罪を起こしたことで、文学史の中での評価を落とした作家はいない。
だから「たとえ犯罪者であっても〜」なんていう表現には、意味がないよね。

37 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:38:36
作者が最も評価を落とすのは、盗作がばれた時なんじゃないかな。
盗作で書かれた作品でも、質がよければ評価するの?

38 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:40:37
永山みたいな場合はどうなるんだ?

39 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:42:07
バロウズは作家ありきな作品だよな。引き剥がすのに苦労する。

40 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:46:12
作品と作家を離して考えるべきだって思う人は、
作品と作家には何のつながりもないって考えてるってこと?

41 :羅刹女:04/12/08 14:54:15
切り込み方は人それぞれなの。
作品を主軸において読むのがもっとも文学の真髄に近づける
と思うわけ


42 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:59:16
作品から解読するのは演繹的。作者から解読するのは帰納的。
その違い。

43 :吾輩は名無しである:04/12/08 14:59:50
迷路は帰納法のほうが簡単に解けるけど、迷路とは違うからねぇ。違うかねぇ?

44 :吾輩は名無しである:04/12/08 15:04:33
>42
それはなんだか違う気もするけどいいや

45 :吾輩は名無しである:04/12/09 17:24:11
どっちにしろ読めない奴は読めない。
1は自分が読めてるか読めてないかをまず考えるべき。
評価の段階に簡単に行けると思うのが傲慢。

46 :吾輩は名無しである:04/12/09 17:38:40
それぞれ別のアプローチであるだけじゃないのかな
自分のイメージだと
作品単体での評価は2次元的
作品+作家での評価は3次元的
作家ではなく時代でもいい。背景が見える

ここで勘違いして欲しくないのは
3次元的アプローチのほうが2次元的アプローチより好ましい、高度である、という意味ではないんだよね

47 :吾輩は名無しである:04/12/09 17:41:05
ただいわゆる「文学賞」はどっちのアプローチなのか、そのつど都合のいいほう出してくるから
どういう基準なのか明快化した賞があってもいいなとよく思う

48 :羅刹女:04/12/11 15:15:09
その3次元からアプローチしても内容を複雑にするだけだし、
結局シンボルハンティングに力が入って、取り出したいものと
取り出せたものがまったく違ってしまいそうな気がする。

・・というかさあ、下手すると社会学になってしまわないかな?

49 :吾輩は名無しである:04/12/13 18:10:55
これってさー、涙混じりに言う言葉だぜ。

「三代目魚武濱田成夫の詩っていいよねー」
『はぁ?あんなDQNどこがええねん』
「作品は作家から離れて評価されるべきだ!」

ってな感じで。


50 :吾輩は名無しである:04/12/13 23:05:15
>49
わけわかんね

51 :吾輩は名無しである:04/12/13 23:52:25
>>37
作家にとって最も評価が下がるのは確かに「盗作」だね。

あとは戦争に対する姿勢、政治的な転向なんかでは
多少評価を落とした作家もいるだろう。

そういう意味で、ハイデガーに対する批判は典型的例。
ナチスに加担したという事実考証だけで論じても、
ハイデガーの哲学なり『存在と時間』なりの解釈に
影響を与えないかぎりは、そうした批判は弱いってことだ。

52 :吾輩は名無しである:04/12/14 23:35:01
つまり、そのう、なんだ、ほら、あれだよ、
作家を語るのもいいが、作品抜きで語っても
それは「作家」を語ることにはならないわけだ。
一方、作者抜きで作品を語ることはどうか。
これはひとつの読み方として可能だ。
ロラン・バルトのテクスト論なんかを参照。
ただ、加藤典洋なんかはテクスト論的読解を批判してるが、
別にすべてをテクスト論的に読む必要はないわけであり、
まあいろんな読み方があるってことだね。
ただ、作品を抜いてしまえばもはや文学的読解ではなくなるってことだ。

53 :吾輩は名無しである:04/12/15 12:11:44
こういった問題が提示されると、反射的に思い出してしまうのが、志賀直哉の、
夢殿の救世観音の話なんだよな。

志賀は、「自分にもあんなものが作れたら、その作品に自分の名を記そうとは思わない」って言った。
そういった彼自身はしかし、一度として自分の名を記さない作品を残すことはなかった。

これって、ここで提示されてある問題から言うと、近代の作品は作家から離れて評価することは出来ないって
ことでもあるんじゃないだろうかと思う。
現代の作家の作品はどうかワカランが。

54 :吾輩は名無しである:04/12/15 12:15:23
似たような話で、作品の登場人物の意見が、そのまま作者の意見だと思われて、
迷惑することもあるらしいね。
暴力的な小説を書くから暴力的な人間だと思われたりとか。

55 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:34:08
>>54
それは書き方が下手糞なんだから、やはり馬鹿にしてよろしい。
フローベールの自由間接話法によるアイロニー効果に学ぶのは
近代小説のイロハだよ。

56 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:36:38
>>55
フローベールの自由間接話法によるアイロニー効果って何?
説明できたらして。

57 :処刑ライダー ◆.EDMOUBKE2 :04/12/15 14:40:17
嗚呼、ポスモダ!
嗚呼、高揚感よ!
嗚呼、心地良き知の傲慢よ!

・・・一切はバブル景気の副産物ですた。

58 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:44:20
おまいらはノンフィクションしか読みたくないのか?って話だな

59 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:46:08
ひとに訊く前に「自由間接話法」で検索したか? >>56
フローベール『ボヴァリー夫人』はエンマ・ボヴァリーの心理を描く。
そこで単にエンマに一人称的に焦点化して心理描写をすると
エンマに一体化し同情したかのごとくになり、
それはフローベール自身の心理でもあるかに見えるおそれがある。
しかしフローベールにとってエンマは田舎の文学かぶれの馬鹿女に過ぎない。
その距離感を示すために、三人称的な焦点化と語彙とを以て一人称的な内面描写をした。
それが間接話法により直接話法(一人称)を模した自由間接話法(中間話法・描出話法)だ。

60 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:49:59
ちなみに日本語では人称や時制など文法的制約から
自由間接話法にしようとしても自由直接話法になりがち。
下手な作家・評論家はそこがわかってない。

61 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:52:32
>>59
ほほう。なるほど、よくわかった。ありがとう。

62 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:58:07
読みたいんじゃなくて読めないんだな

63 :吾輩は名無しである:04/12/15 14:58:50
「この世に初めて、ヒーロー、ヒロインを嘲笑する本が出現することになります。皮肉が悲壮感を損なうわけではありません。逆にそれを誇張するのです」とフローベールは執筆中の『ボヴァリー夫人』を語っているが、作品のこの深い二重性を担うのが自由間接文体の役割である。
――中山眞彦「日本語はフローベールをどこまで受容できるか」『文学』1988年12月号特集《ギュスターブ・フローベール》

64 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:04:09
へー、ポヴァリー夫人って88年に書かれたんだ。最近なんだね。

65 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:08:13
日本文学は私小説的伝統によって作者と作中人物のズルズルベッタリだから
フローベール以前なんだよな。
読者も作者=作中人物にズルズルベッタリで批評的距離が足りない。

66 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:12:32
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1034435329/712-723
>作者に聞くしか文学を理解することは不可能なんだから、生きてる作家だけにインタビュー重ねることが
>文学理論だと思います!

67 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:13:56
>>59
ふと思ったんだけど、フローベールって「ポヴァリー夫人は私だ!」って言ってなかった?

68 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:20:27
>>67>>63の論文読みなされ。
「そもそも作者の思想や感性が投影されない文学作品などあろうはずがな
い。「ボヴァリー夫人は私です」というかの有名な文句をもちだずまでもなく、
[……]物語文あるいは小説と作者の自己表現はもちろん矛盾しない。[……]
問題は「私」をいかに表現するかである。」
で、その表現方法の一つが自由間接言説だよ。ジェラール・ジュネットでも勉強してね。

69 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:24:09
で、技法云々で文学の何がわかるの?

70 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:26:47
いかに書くか(=技法)こそが文学だろ。内容本位ならルポでもニュース映画でもいいやね。

71 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:36:20
作家と作品(や作中人物)とがどうしても切り離せない人は、
とことん内容本意主義者なのかもな。

72 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:47:00
おまえはワナビ?

あのさあ、技法なんてごはん(作品)を食べる時の「箸」なんだよ。
伝達されるものの「確信」じゃないの。

>いかに書くか(=技法)こそが文学
これだと立て札やポスター、便所の落書きも文学なわけだな。
ま、ある意味正しいが、そこにならんでる
>ルポでもニュース映画
という、ビジュアルと比べてるところが、なんとも痛い

73 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:49:43
>>72
この人アホだ

74 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:50:12
>71
簡単な思考回路の人間が端的に答えを求めるとそうなるんだろう

75 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:50:22
>伝達されるものの「確信」じゃないの。
宗教や教祖の託宣と間違ってないかい。
ごはんはフォークでも食べられるが、言葉無くして文学無し。
文学において言葉は手段なるのみに非ず。


76 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:52:13
>73
そんな答えじゃだめよ、楽しませて・・

77 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:53:05
>>72
>>いかに書くか(=技法)こそが文学
>これだと立て札やポスター、便所の落書きも文学なわけだな。

これって、「いかに書くか」と「何を書くか」を取り違えてないか?

78 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:53:46
>>72
ルポ(ルタージュ)は「ビジュアル」ではなく文字で書くが?

>>74
「そうなる」とは、その単純な奴が内容本位主義者になるってこと?

79 :吾輩は名無しである:04/12/15 15:57:32
>>76
あんたほんまにアホやで。

80 :吾輩は名無しである:04/12/15 16:10:42
>77
これは解釈の問題になるな。おまえは書く人間としての立場で
言ってるだろ?俺は読む人間の立場だからな。
>78
それ、アゲアシじゃん。

81 :吾輩は名無しである:04/12/15 16:12:23
また何か書いといてよ。 お ・ ね ・ が ・ い ♥

82 :吾輩は名無しである:04/12/15 16:14:24
議論は無用。結論は出てるだろ。
「ルポ」の意味を知らなかったアホの>>72ですら
>いかに書くか(=技法)こそが文学
ってことは「ある意味正しい」と認めたのだから。

83 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:03:45
多分、「いかに」書くかという問題と、「どう」書くかという問題を混同してるんじゃないかと。


84 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:23:42
難しい話はほかの人間に任せておくとして
わかりやすく具体的にいくぞ。

作者は自分の作品で何を書いてもいいわけだ。
作者の人格や人間性を作品に投影しなくてもいいんだよ。

しかし、どんな内容の作品であれ、
そこに作者の特徴を見出すことはできるだろう。

ただ、その「特徴」というのは作者の「人間性」とは必ずしも一致しないし、
内容(何を書いたか)よりは方法(どう書いたか)のほうに現れるものだ。

「善」を書いた作家が必ずしも善人ではにように、
「悪」を書いた作家が必ずしも悪人ではないわけだ。

85 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:28:16
>>83 その二つが一体*どう*異なると?

いかに 2 【〈如何〉に】
(副)
(1)状態・状況を尋ねたり、推量したりする。どのように。どんな風に。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%A4%A4%AB%A4%CB&kind=&mode=0&jn.x=30&jn.y=14


どう 1 【〈如何〉】
(副)スル
(1)物事の内容・状態、またやり方などについて疑問に思う気持ちを表す。どのように。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%C9%A4%A6&kind=jn&mode=1&base=1&row=9

86 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:40:09
>>85
すまん、語の意味それ自体は異なるところがないんだが、
書くという水準の違いを表すのに、ほかにうまい言い方が思い浮かばなかった。



87 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:45:51
>>86
>書くという水準の違いを
だから、それはどう異なるのか? 依然として説明以前だよ。

88 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:47:09
ある何かを書くというときに、もっともふさわしい(と思われる)、決まりきった書き方をすること=どう書くか

ある何かを書くというときに、新しい書き方を発明、発見すること=いかに書くか


どうもうまく言えんな…


89 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:52:47
*いかにも*うまくないネ。 >>88
「もっともふさわしい」のが「新しい書き方」であることもあるし、
決まりきった書き方は必ずしも悪くはないものだし。君、わかってないだろ。


90 :吾輩は名無しである:04/12/15 18:58:49
>>1
意味ワカンネ

同じ作家の作品は全部同じ評価なのか?
違うだろ?
じゃ終了だな。

91 :吾輩は名無しである:04/12/15 19:25:05
>>90
アホだ。アホがいる。

92 :吾輩は名無しである:04/12/15 23:18:25
はぁ。
ある1つの作品を作家とともに評価するということはつまり、
その他全ての作品を内包しているのが作家という存在であるとするならば、
結局はどの作品をとってみても作家の全作品を評価してるだけってことになるから、どの作品を評価しようが同じ結果になるんじゃないの?

だからもし作品ごとに違う評価を与えるとすればそれ自体作家と離して評価しているという証拠に他ならないと思うんだ。
そして作品ごとの評価は当然別々であるべきだと思うんだ。

93 :吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 11:27:55
そうかな?

94 :吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 15:29:41
>>93
遅レスにもほどがある

95 :吾輩は名無しである:2005/03/29(火) 15:58:44


96 :吾輩は名無しである:2005/05/13(金) 22:22:16
最近あんま思わんくなった


97 :吾輩は名無しである:2005/08/31(水) 23:25:00


98 :吾輩は名無しである:2005/09/01(木) 12:19:50
かつて志賀直哉が何かの仏像見て
「あんなものが小説で作れたら、私はそれに自分の名前を冠しようとは思わない」
みたいなことを言っていた記憶がある。

こういう発言を思うと、作家から離れて作品は評価されるべきじゃないかなぁと思う。

99 :吾輩は名無しである:2005/09/01(木) 15:39:41

じゃ、印税も払わなくていいのか

100 :吾輩は名無しである:2005/09/01(木) 15:59:02
>>99
どゆこと?

101 :吾輩は名無しである:2005/09/02(金) 05:37:21
スレの趣向と違うのでsageるが。

作品と作者を関連させて読むのは、古い読み方(古いというだけで、悪いわけじゃないぞ!)だろう。
時代が進むにつれて、誰が書いたか関係なく作品を一人歩きさせて読むようになっていったから。
個人がどちらの読み方をするかに優劣はないし(研究目的だったらそこは意識して分けるべきだが)、
評価の仕方がそれによって変わること自体にも面白みがあるんじゃないだろか。


102 :名無し物書き@推敲中?:2005/09/13(火) 21:59:26
キバヤシ

103 :無名草子さん:2005/10/05(水) 11:33:07
右手にペン、左手でめくる

104 :吾輩は名無しである:2005/10/09(日) 14:43:28
蛇足ながら「正しい」日本語なら、「評価されるべし?」か「評価されるべきか?」ですが何か?

105 :イラストに騙された名無しさん:2005/10/26(水) 12:10:43
切り捨てられる

106 :吾輩は名無しである:2005/10/27(木) 09:24:29
どういう人間が書いたのかある程度のイメージを
頭に入れずににものを読んだことは、多分ない。

107 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/31(土) 15:10:46
ほしゅ

108 :吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 03:39:13
.


109 :吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 04:18:36
作家とテクストを関連付け得る確かな証拠はない。
作家の意図(頭の中)は誰にも論証できない。
というわけで、ここから「作者は死んだ」という標語ができました。
しかし、批評家とその批評も全く同様のことが言えることが分かって、
とうとう「テクスト以外何もなし」ということになってしまいました。

めでたしめでたし。

110 :吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 05:14:54
ではテクストと読者の感想・感慨・(読んでる最中の、読んだあとの)思考はどうとらえますか?

111 :吾輩は名無しである:2006/02/22(水) 06:04:58
読む前の状態が既に偏向しており、読んだ後もそうではないという(客観的事実に結び付くような)保証はない、ということになりますか。
「論証」といったのは、大体こういう意味です。

112 :吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 23:26:17
  

113 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 02:07:55
専門じゃないけど、クリステヴァのテクスト論は、父権性の告発のための手段。
彼女によれば、テクスト解釈に限らず、同一性は父権的で、多様性は母権性?らしい。
人間、特に西欧人はおぞましいものへの嫌悪と好感のふたつを感じる。おぞましいものの最たる例が母権性。母権をみつめろ、とクリステヴァはいう。
彼女はフェミニストです。
ようは作家の手から離れて解釈すべきという結論です。


114 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 02:28:50
>>113
このレスだけ読んで書くけど、三行目までの説明から
最後の行の結論が出てくる理由がよく分からない。
「作家はテクストの父親だから排除」ということ?

でも作家って母体じゃないかな。で
作家が持っているイデオロギーが子種。
「父権性を告発」する意味でやめるべきは子種の種類
に読解を左右されることであって、母体=作家まで排除する必然性は
ないのでは、というか、そこまでやれというからには「みつめ」るべき
「母権性」がそれ以外のどっかにあるってことだと思うが
それはどこにあるの? 読解者の脳か?


115 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 03:29:29
ごめんなさい分かりにくかった。
てか、テクスト論と「おぞましきもの」を直接につなげたのは間違いかもしれません。
申し訳ない。
とにかく、私の知る限りでまずクリステヴァのテクスト論を説明します。
第一に「相互テクスト性」。
1つのテクストは他の諸テクストから影響されてる。
さらに、テクストの中には「複数の声」(確かそう読んでた)がある。
登場人物も作者の意図を離れて勝手に動き出すし、
読む主体がどう位置づけるか、
他の作品とどう関連付けるかによって、意味が変わってくる。

で、「おぞましきもの」は、多様性というより、「同一性と対立するもの」って感じです。分かりやすくいえば。
自分の同一性をおびやかすのが「おぞましきもの」。
たとえばナチにとってのユダヤ人。
彼女は同一性と「おぞましきもの」の対立を、
文化と自然、母性原理と父性原理の対立として捉えた。
で、サド・マゾの関係が典型的だと思うんですが、
実は好悪両面を感じるものなのに、社会ではおぞましさが先行している。

私が考えたのは、
クリステヴァは、作家とその作品の同一性を前提とするテクスト解釈を「父性原理に基づくもの」として批判したのでは、ということです。
作家が母体、作品が子種、というのはそのとおりで、
別に「排除」までは行かないですが、
母子の関係を強調すること自体が父性原理とつながって、解釈の多様性を縛ることになりはしないか。
とクリステヴァは危惧したのではないでしょうか。

ただ、ちょっとネットで調べた感じだと、両者を結び付けてる文はないっすorz





116 :吾輩は名無しである:2006/06/02(金) 22:07:53
>>115
簡単に纏めると、作者を想定すると読者すべての読書体験が均質化され、作者から自由なら多様化するということのようですが、その説明には、読者は多様であるという当たり前の前提が欠落しているように見えるのは気のせいでしょうか?

117 :吾輩は名無しである:2006/06/03(土) 17:23:20
横レスだけど、それはジュリアに聞け。

118 :吾輩は名無しである:2006/06/03(土) 19:19:10
>>117
まあそうなんだけど、でもそれだと、書いた奴のことなど気にかけるなという彼女の流儀に反しますね。

119 :吾輩は名無しである:2006/06/13(火) 18:34:02
作者なんて単なる学者ネタ。
鑑賞するのに知らなくても困らん。



120 :吾輩は名無しである:2006/07/31(月) 01:08:03
そうだな。
コンスタンティヌスの寄進状や天上位階論が後世の人間による偽書だろうと
神学者以外の一般信徒にはどうでもいいことなのかもしれんな。

121 :吾輩は名無しである:2006/08/13(日) 12:04:33
>>119
つーか、おまえがいま居る場所をどこだと思ってんだ?

122 :119:2006/08/16(水) 15:32:22
>>121
スレタイ嫁よ

123 :吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 22:15:36
>>122
おまえこそ夜目。
「評価」が読めないのか?
ここは文学鑑賞板じゃねーんだよ粕。

124 :吾輩は名無しである:2006/08/25(金) 22:17:17
>>123
評価は鑑賞と無関係だよなあ。

通信簿とおんなじだもんな。12345の点数付けでことは足りるわけだ。
で、評価基準はどうする?文字数が多い順とか、形容詞数の多いもの順というのでもいいかな?
まさか読んで評価する、なんて馬鹿なこと言わないよな。それじゃまったく馬鹿の、あ、いや、お前の主観
ってことになってしまうもんな。(笑 糟



125 :吾輩は名無しである:2006/08/27(日) 02:26:05
アゲ

126 :吾輩は名無しである:2006/08/27(日) 20:02:48
良くあるのが、どちらも同じ様なモチーフの絵が有る。

Aは貧乏でユダヤ人で障害者の絵、Bは白人金持ちセレブ奥様の絵。

世間はどっちを買うか。

127 :吾輩は名無しである:2006/08/27(日) 20:02:50
「評価されるべきか」で100レス以上を費やしてきて、やっとご登場とはな。馬鹿はこれだから馬鹿なんだよ。

128 :吾輩は名無しである:2006/10/25(水) 17:41:27
>115

難しい事は分かんないけど
「解釈の多様性」ってのは作者との連関を切断するって事なのかな

129 :吾輩は名無しである:2006/10/25(水) 17:48:15
やべぇ、5ケ月も前のカキコかw

>同一性は父権的で、多様性は母権性?らしい

これは何となく分かるけど、
読者に「解釈の多様性」を認めるってのは作家が想定(容認)することじゃないと思うけど

28 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.02 2018/11/22 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)