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ポストコロニアルの文学と批評

1 :吾輩は名無しである:04/02/24 16:54
語る?

2 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:41
語らん

3 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:41
終了

4 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:53
再び語る?

5 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:54
語らん


6 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:55
終了

7 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:56
歌留多

8 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:56
ユニオン・ジャックに黒はない

9 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:58
このスレの本質は6まで見ればわかる。

10 :吾輩は名無しである:04/02/24 17:59
この板の(ry

11 :吾輩は名無しである:04/02/24 18:01
この巨大掲示板群の(ry

12 :吾輩は名無しである:04/02/24 18:39
サイイドとかホミ・バーバとか?

13 :吾輩は名無しである:04/02/25 14:56
今日も語る?

14 :吾輩は名無しである:04/02/25 14:57
語らん

15 :吾輩は名無しである:04/02/25 15:00
終了

16 :吾輩は名無しである:04/02/29 14:03
サイイドは『文化と帝国主義』で、非西洋のナショナリズムを、
オリエンタリズムの内面化と捉えてますが・・・

17 :吾輩は名無しである:04/03/01 01:42
今から語る?

18 :吾輩は名無しである:04/03/01 01:45
いいよ。

19 :吾輩は名無しである:04/03/01 01:58
とりあえずスピヴァックだろ。

20 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:00
サバルタンは語ることができるのか?

21 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:01
ドゥルーズ=ガタリのマイナー文学(minor literature)も絡めて呉

22 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:03
アメリカにはバーバもいる。

23 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:05
ホール、ギルロイなんかの英系もね。

24 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:07
しかし今日は寝よう。

25 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:09
足元も忘れてはいけない。日本の植民地だった地域でも、ポストコロニアルはさかんだ。

26 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:11
臆病者が。名前しか知らんのだろ。そんな知ったかなら美香でもできる。

27 :吾輩は名無しである:04/03/01 02:16
悪いがきみたちと違って多忙でね。
あとここではもったいなくて語れないんよ。

28 :吾輩は名無しである:04/03/01 03:51
いいなーリアルで語れるポジションあって
リアルではいちお、ポスコロなんて絶対認めんっていうスタンスだから
語れないんだよねえ、関心あるのに




29 :28:04/03/01 03:54
だからこんなとこでしか語れない
でもここでも語る相手は寝てしまった
リアルでは保守ってことになってるけど、
心の声が分裂して狂いそうだ、それもどうなることか
だからここではレフト・アローン
ちなみに山崎育太郎じゃないよ

30 :吾輩は名無しである:04/03/01 04:05
漏れは無知なんだが、クレオールとポストコロニアルは
関係ある?全く別物?

31 :28:04/03/01 04:23
そんなに詳しくはないけど、僕の理解する範囲では、
「クレオール性」というのは、ポストコロニアル理論の中心概念だと思う。
それは、ポストコロ二アル理論が、なにに対するオルタナティヴとして出てきたかと関わる。
従来この問題は、西洋帝国主義の支配と、これに対抗して民族・国家の自立をめざす植民地、
という図式で捉えられてきた。被殖民の側が、民族的・国民的なアイデンティティを確立することが
いいことだという見方ね。でもポストコロ二アル理論は、そうした民族性・国民性こそ
植民地支配の道具として生まれたもので、克服すべきものだというわけね。
サイイドはそう言ってるし、バーバもclosureという概念を使って、民族・国民という
「閉じた」アイデンティティからの解放を、主張している。
そこで、独自のアイデンティティを、西洋文化とは逆のとこに打ち立てるんじゃなくて、
西洋文化の浸透を受け入れながら、それとの「混交」という形で、複合的なアイデンティティを
引き受けるのがいいんだ、そうして西洋文化を換骨奪胎すればいいんだってことで、
異種混交性=クレオール性という概念が、出てくるんだと思う。
おれの理解はそんなとこ。もっと深くやってる人に聞くと違うかもしれないけど。


32 :28:04/03/01 04:27
てか今日で2ちゃんを引退するよ
まあ名無しだから引退とか関係ないけど
こんなことやってる場合じゃない
気分転換にもならないし、よけいストレスたまるから
でも抜けられないドラッグみたいなもんだな
ドラッグやったことないけど

33 :28:04/03/01 04:33
でもおれがいなくなると
この板はますますバカ・サイドに傾斜すんだろな
正直言っておれ文学板のレベル守ってきたと思うよほんと
なんの得もないのに、もう疲れたよ
美香とか見てると、なんでおれがこんなゴミの教育
してるんだろとか思うよ




34 :28:04/03/01 04:42
で31の続きだけど、そういうふうに固定した
アイデンティティを壊すことが、本当に「抵抗」になるのか?
たんに大きな渦に飲まれてしまうことにはならないか?
ポスコロ理論が逆に、抵抗の足場を奪ってるんじゃないか?
と思うんだよな。どうも文学理論ていうのが、
抑圧されたもの、虐げられるものの闘争というとこへ
結びつかない。なんか固定したものを
流動化させればいいっていうのは、おかしいと思うんだよな。
それより流動化した状態でなお作用する、権力、暴力みたいなのを
抑制する枠組みってのが、必要だと思うんだよな
だから万国の労働者よ、団結せよ!!!!!さらば・・・・





35 :吾輩は名無しである:04/03/01 20:08
サイードといい、コンラッドを貶した何がしといい、
ポスコロ論客はやたらと狂犬みたいなのが多いよな・・・・・・・

個人的にはサイードはオリエンタリズム批判の皮を被ったオリエンタリスト
または西洋的価値観の持ち主に過ぎないと思う

文学で言えば上記のコンラッド、あとはラシュディーなんかいいと思う
英語圏ではナイポールの文体効果は抜群らしいが、よくわからん

36 :吾輩は名無しである:04/03/01 21:06
>>35
>個人的にはサイードはオリエンタリズム批判の皮を被ったオリエンタリスト
>または西洋的価値観の持ち主に過ぎないと思う

ある意味しかたがないんだよね。
やっぱり世界の中心はアメリカなわけで、その教育を受けたサイードが西洋的価値観でないはずがない。
経済学者だけどセン(センはインドで育ったけど)あたりにもそういうことが言えるよね。
でもサイードの『オリエンタリズム』や『文化と帝国主義』は好きだなー

37 :30:04/03/02 03:18
>>28
many many thanks
ほぼ24時間ぶりに来たんだが
丁寧に教えてくれてありがとう。
勉強になりました。

38 :30:04/03/02 03:34
お礼ついでに多少貢献しておこうか(以下が貢献になってればの話だが)
漏れの専門は国際関係論なんだが、
非西洋における独立運動を担った人物は、
往々にして宗主国で高等教育を受けてる。
ネルー、リークアンユー、ラーマンはみんなケンブリッジ卒だし。
あ、でも、スカルノとかは留学経験がなかったかもしれん。
そうした人物を、Westernized non-Western Intellectuals
(西洋化された非西洋知識人)ともいうんだが、
サイード、セン(センは小和田元国連大使と同時期のケンブリッジ学生)
とも通じるものがあるといえるんだろうね。
で、彼らの功績と同時に限界がこうした共通点から窺えると。

39 :吾輩は名無しである:04/03/02 20:52
第一次大戦時のトルコと第二次大戦時の日本

40 :吾輩は名無しである:04/03/03 01:02
法政大からバーバの『文化の場所』が刊行されるとかされないとか・・・


41 :吾輩は名無しである:04/03/04 05:26
さすがに下がりすぎだな。あげておこう。
以下、はてなダイアリーによる「エドワード・サイード」の説明。
比較文学研究者。コロンビア大教授。
西洋の内部を考察したフーコーの仕事を、西洋/非西洋の関係に展開した。
「力の強いいじめっ子が、みんなのあだ名を勝手につけてる」みたいな事を言った。
日本でのフォロワーは姜尚中。
2003/9/25 白血病のため死去。享年67歳。

42 :吾輩は名無しである:04/03/04 09:07
ポストコロニアルの文学は英語が用いられているために注目を受けやすい

43 :吾輩は名無しである:04/03/05 23:52
>>41
>「力の強いいじめっ子が、みんなのあだ名を勝手につけてる」みたいな事を言った。

なかなかいい説明かも

44 :吾輩は名無しである:04/03/06 13:57
で、日本でのフォロワーはカンサンジュンと…

45 :吾輩は名無しである:04/03/06 15:09
スガ秀実

46 :吾輩は名無しである:04/03/09 19:11
ベルニエ『ムガール帝国誌』読んだ人いる?

47 :吾輩は名無しである:04/03/10 01:21
それよか日本をなんとかせい!
ポストコロニアルどころかまんまコロニアルな世界に逆行しておるぞ。
国境の内側にもコロニアルな格差が広がりつつある現状だってある。
サイードも良いが、日本を語らないと始まらん。

48 :吾輩は名無しである:04/03/10 06:03
和魂洋才とか東洋の平和とか言って戦争に突入して、
その結果として現在の惨状があるわけです。
ロシアマルクス主義的抵抗路線に行くとボルシェビズムに、
反植民地・第三世界闘争路線に行くと超国家主義的管理体制に逢着する。
結局、昭和初期の状況にループしているだけ。

49 :吾輩は名無しである:04/03/19 13:12
ポストコロニアルとルサンチマンの違いを教えて下さい。

50 :吾輩は名無しである:04/03/19 13:19
植民地のあと、逆怨み

51 :吾輩は名無しである:04/03/19 14:18
上の28さんの説明を読んで、和魂洋才という発想と、クレオールという発想は、結構似てるんじゃないかと思ったのですが。
ただ、和魂洋才はアイデンティティが固定的で、クレオールはアイデンティティが流動的で、
その違いがモダンとポストモダンを分かつ決定的な違いなのでしょうか。

しかし、流動的なアイデンティティというのは、具体的にどういう存在の仕方なのかよく分からない。

で、ポストモダン以降に必要とされているものとして、
よく言われる「枠組み」というのがクローズアップされてきたのでしょうか。

しかし、このポストポストモダン的「枠組み」と、なつかしいナショナリズムやパトリオティズムや共同体は、
果してどこが違うのか?

52 :吾輩は名無しである:04/03/19 16:53
代表的なクレオール作家は誰とされているんですか?

53 :吾輩は名無しである:04/03/19 17:15
共同体
   @コミュニズム(共産主義)…主として二次集団、
                プロレタリアート主体
                流動的
   Aコミュニタリアニズム(共同体主義)…自治体等の一次集団
                     住民主体
                     固定的

ポストモダンはどちらかと言えば前者の方。

54 :吾輩は名無しである:04/03/20 01:10
共産主義と共同体主義の違いは何なんでしょう?

55 :吾輩は名無しである:04/03/20 01:29
日本のポスコロの第一人者はカンサンジュンなんですか。
てっきり小森陽一だと思ってた。

56 :吾輩は名無しである:04/03/20 01:43
小森はシニタイ

かんさんじゅんは、今日の日経のPR記事で
ダンディー代表になっていた


57 :吾輩は名無しである:04/03/20 01:51
ダンディーさんじゅん

58 :吾輩は名無しである:04/03/20 01:51
ゲッチュ!

59 :吾輩は名無しである:04/03/20 01:52
みた?あの記事?

60 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:26
流動的なアイデンティティ=サイード

61 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:32
サイードはアメリかではなく、英国で教育を受けたのでは?

まあ、コロンビアでは相当疎外されていたらしいが。

62 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:35
日本でのポスコロ受容を見ると、
ちゃっかり自分の居場所は確保している人が、
何かとポスコロ、サブカル、ポストモダン!
と啖呵を切っている風景が多いような気がするな。

まあ、考えてみれば、
インテリの世界で何が流行ってるかなんて、
自分の居場所をしっかり確保して、
余裕のある人くらいしか興味のないことだけどね。

63 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:37
日本の知識人はそのへんで自足してるからね。

64 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:40
だから、居場所ってことで
カンや、スガなど。

65 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:41
チョムスキーは?

66 :吾輩は名無しである:04/03/20 02:44
居場所への拘泥がナショナリズムの淵源だと思うのだけど、
その辺り、カンやスガはどう考えているのだろう?

67 :吾輩は名無しである:04/03/20 03:03
だから、流動的であるべきで。
エグザイル。

68 :吾輩は名無しである:04/03/20 03:06
ナショナリティと流動性はどう止揚されるのですか?

たとえばカンさんの場合は、「在日」というナショナリティが彼の思想の原点になってる訳ですよね。
そして、ナショナリティは、ある種の固定性無くしては成立しないものだと思うのですけど。

69 :吾輩は名無しである:04/03/20 03:08
そんなこたあ、ない。
在日、それがもう流動的じゃん。

70 :吾輩は名無しである:04/03/20 03:14
「在日」と括った時点で、既に固定的なアイデンティティが成立していると思うのですが・・・。
「在日」を根拠にして、彼らは日本の社会の中でのポジション(居場所)を自覚している訳ですよね。
「在日」それ自体が流動的、というのはよく解らないです。

71 :吾輩は名無しである:04/03/20 03:26
そもそも「アイデンティティ」という概念が固定的なもので、
「流動的なアイデンティティ」という言葉が語義矛盾であって、
その矛盾にモダンを超える可能性を見出そうとしたのが、
ポスコロ、ということになるのでしょうか?

72 :吾輩は名無しである:04/03/20 09:30
ナショナリズムは産業化、大衆化といった流動性の副産物。
流動化され、疎外された民衆が国家や民族といったフィクションによって
安定した地位を確保しようとする。
だから、排他的で熱狂的な傾向が強い。



73 :吾輩は名無しである:04/03/20 20:22
「在日」=固定ではないでしょう。
そういう括りがあるだけで、本人達はそこにアイデンティティを
もっているか。勿論、そういった人もいるでしょうが。
それぞれ、居を構えている社会に、ポジションを自覚しているのか。

エグザイルだよ。

74 :吾輩は名無しである:04/03/20 20:32
ポスコロのせいで、アメリカに留学する非西洋人が
なぜか自国史をやらされるという差別が発生している。
結果自国で通用しない議論をフォローさせられたあげく、謎の博論が量産される。
もちろん日本も例外ではない。

75 :吾輩は名無しである:04/03/20 20:37
↑それはあなたのいった、米国大学、大学院の話でしょう。
それに、留学生が自国史をやるとどうして差別?

76 :吾輩は名無しである:04/03/20 21:12
>>75
「やらされる」から。
例えば某インド留学生は、
アメリカ作家について調べるつもりだったのに
繰り返しサバルタン研究を参照させられていた。
実質的に義務化しているよ。

77 :吾輩は名無しである:04/03/20 21:42
じゃあ、「在日」とか、「日系〜」とか呼ばれる人たちが、
ポスコロいうところの「クレオール」という認識でよいでしょうか?

78 :吾輩は名無しである:04/03/20 21:48
>>76
>実質的に義務化しているよ。
そういうしょーもない大学(or指導教官)からは
早く出ていった方がいい

79 :吾輩は名無しである:04/03/21 01:46
まあ、アファーマティブアクションで、入ったところで
そんな扱いうけたんじゃあ、
それこそ逆差別だな。

80 :吾輩は名無しである:04/03/21 01:54
サイードのコンラッドやスピヴァクのイエイツのように
英文本道を偽装してやっていた時代の方が、
逆説的にも自由度が高かったのではないだろうか。

81 :吾輩は名無しである:04/03/21 02:08
はあ??
どっから、きりばってきて
書きこんでんの??

82 :吾輩は名無しである:04/03/21 02:21
なんかさ、サイードの場合だけど
文学の学者さん、ってよりも
実践に向かったってことが評価の対象でない?

誰かが書いてたみたいに、狂犬のように。
晩年のインタビューや、文章は殺気立ってるし
それでいて、静かで、恐ろしい。

83 :吾輩は名無しである:04/03/21 02:32
>>82
独りよがりのレスだね
何いってるのかさっぱりだよ

84 :吾輩は名無しである:04/03/21 19:11
>>81 オースチンのマンスフィールド・パークとかね♪

85 :吾輩は名無しである:04/03/21 19:11
>>80ですた

86 :吾輩は名無しである:04/03/21 20:24
ひとりこうばしい香具師がまぎれこんでるな

87 :吾輩は名無しである:04/03/22 01:00
「帝国」(ネグりとハート)と、ポスコロの関係を
教えて下さい。

88 :吾輩は名無しである:04/04/29 14:27
ハート&ネグリはポスコロつーよりもポモ。
しかもめっちゃ西洋中心かつアメリカ寄り。
2人ともアメリカ批判したいのかもしれないが、結局アメリカ擁護になってる。

89 :吾輩は名無しである:04/05/15 13:34
最近平凡社ライブラリーから出たエメ・セゼールの
『帰郷ノート|植民地主義論』ってのはどういう
位置づけなんですか?

90 :吾輩は名無しである:04/06/06 01:17
思想としてのポスコロってのは有効だと思うんだけど
文芸批評となるとどうなんだろうなあ。
文学作品も思想の図式化の中に回収されてしまうような。

91 :吾輩は名無しである:04/06/06 18:15
日本のポストコロニアルの代表格は、安部公房です!!!
『死に急ぐ鯨たち』を読んでみると、よく分かる。


92 :吾輩は名無しである:04/06/06 18:27
日本において、クレオールというのを高く評価したのは、やっぱり安部公房だろう。
安部公房の満州体験というのは、実は、彼が満州生まれのクレオールだったというこ
とじゃないか。

最近、クッツェーの『恥辱』を読み返してみたが、ある意味では、
安部公房の「けものたちは故郷をめざす」だとか、「闖入者」だとか言った作品と
パラレルな関係になっている。植民者、征服者の白人男性(日本人男性)の不安、
都市文明住民の農村文明(野蛮)への恐れを主題化しているものと読める。

ちなみに、二人とも、原-植民地開拓小説であるロビンソン・クルーソーについて
コメントをしている。クッツェーは、Foeという作品でパロディーを書き、
安部公房は『死に急ぐ鯨たち』でエッセイを書いている。

カフカの継承者のカミュ、安部公房、クッツェーが植民地クレオールだということは、
偶然ではないように思うんだよね。(サイードやスピバークは、安部公房に言及して
おらんのかね?)

93 :吾輩は名無しである:04/06/06 18:33
>>91
おもしろい。卓見かも

94 :吾輩は名無しである:04/06/06 22:08
>>74
>ポスコロのせいで、アメリカに留学する非西洋人が
>なぜか自国史をやらされるという差別が発生している。

これは、ポストコロニアル理論たまった関係のない話である
アメリカに留学する非西洋人は、ネイティヴ・インフォーマントとして、自分の国の研究をやらされるだけである。ネイティヴ・インフォーマントとは、第一級の研究主体ではなく、西洋人の研究主体のために情報提供をする現地人の協力者ということである。

それが今では、ポストコロニアル理論の名の下で、ネイティヴ・インフォーマントやらされているだけにすぎない。しかし、ネイティヴ・インフォーマントをやる方が、留学生にとっても、学位が取りやすいという利点もあったのではないかと思われる。



95 :吾輩は名無しである:04/06/18 13:39
語る?

96 :吾輩は名無しである:04/06/18 20:12
ポスコロのガイド本が今度岩波から出るらしいけど。

97 :吾輩は名無しである:04/06/18 20:15
岩波じゃなかったかもしれん。。。

98 :吾輩は名無しである:04/08/12 14:17
ageとこう。

99 :吾輩は名無しである:04/08/16 21:32
英国の文学賞でウィットブレッドというのがあるけれど、
あれって「英連邦」の作家に与える賞だということで、
作家のなかにはノミネートを拒否する人もいるんだってね。
最近知ったよ。

100 :サギリ・エルゲルージ・ゼット ◆drSaGirIZ. :04/09/28 23:15:38
100!ゲットだぜ!

101 :吾輩は名無しである:04/10/30 01:22:07
>>99
かのブッカー賞も対象者は英連邦、コモンウェルスの市民ですよ。
主にイギリス、インド、南ア、カナダ、オーストラリアからの受賞者が多い

102 :吾輩は名無しである:04/10/30 19:43:10
ちょっと前まで主流だった気がする
詩を書く正当な権利をもった人たちとされてたから

103 :吾輩は名無しである:04/11/28 23:13:08


104 :吾輩は名無しである:04/12/15 16:58:55
安部公房の問でもっとも重要なのは、なぜ韓国や中国は植民地的収奪を
やられたのに、現代文学が存在するのか、読者と作家が存在するのか、という
問だ。普通は、文学など不可能になってしまうからだ。第三世界出身者の
文学というのは、実はインド系イギリス文学だというわけだ。つまり、
ポストコロニアルの英語文学である。

この問に、東アジアはのポスコロたちは、誰も答えていないんじゃないのか?
安部は、植民地的収奪が徹底していなかったからかな、と仮設しているのだが、
別の答えもある。それは韓国は植民地ではなくて、支配された従属民族にすぎ
ないというものだ。なにしろもともと韓国には国があった。李氏朝鮮という王朝
があった。そういう国は、いくら支配されても、いわゆる植民地とは違う。
支配されるのだったら、チェコがソ連の支配下にあっても、クンデーラを生み
出すことが出来るように、文学は可能なのだ。

全然植民地ではなかったのに、ポストコロニアルを名乗るところが、
朝鮮派の在日派の文学論のおかしなところなのだ。本当の植民地とは、
たとえば、カリブ海だとか南アフリカのようなところなのだ。

105 :吾輩は名無しである:04/12/22 17:42:58
文学板 『比較文学?ふざけんな!』スレ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1103703448/l50



106 :吾輩は名無しである:04/12/29 19:39:08
ポストコロニアル批評の問題は、あまりに偏った文化主義的主張である。バーバは

文学者だから、植民地者と被植民者の境界を複雑化せよと述べる。しかし、現実には

この二つは全く別のものなのであって、依然として民族というアイデンティティと、
民族経済という物質的な支えの果たす役割は非常に大きい。

民族経済のような制約から自由になれるのは、ごくごく一部の上流階級の移民だけなのだから。
また、かりに一部の移民がサイードのように成功していたとしても、大半は
もっと辛い現実を堪え忍ばなくてはならないのだ。このことを、ポストコロニアルな
上流階級移民の知識人はどう捉えているのか。



107 :吾輩は名無しである:05/01/04 03:24:07
hage
ナイポールとラシュディとクッツェーとナギーブ・マフーズを取りあえず読んでみ ベタだけどモロ。

108 :吾輩は名無しである:05/01/05 22:35:20
>>107 ナギーブ・マフーズとは誰?

109 :吾輩は名無しである:05/01/07 02:16:02
>>108
エジプトのノーベル賞作家。代表作はカイロ三部作

110 :吾輩は名無しである:05/01/07 10:36:07
>>109 thanks ところで、邦訳はあるのでしょうか? あるいは英訳?
 検索してもみつからないのですが。 あと、読みやすいの。面白いの?

111 :吾輩は名無しである:05/01/07 10:40:22
自己レス。ノーベル賞で調べたらありました。
1988年文学賞受賞

蜃気楼 パレスチナ選書 or 第三書館(パレスチナ選書)
ナギーブ・マハフーズ (著), 高野 晶弘 (翻訳)
ただし、在庫無し



112 :吾輩は名無しである:05/01/25 13:14:36
アウラとアゴラ
他者との交渉に開かれた陶酔、そして隙間から語ること

ホミ・K・バーバ
〔磯前順一/D・ガリモア訳〕

みすず no.523
2004年12月号

http://www.msz.co.jp/monthlyreview/index.html


113 :吾輩は名無しである:05/01/25 13:57:32
バーバはDisseminationくらいしかいいのがないな。

114 :吾輩は名無しである:05/01/25 14:14:30
だから著書の日本語訳が出ないんだよ

115 :吾輩は名無しである:05/01/25 14:46:05
あ、でも視点としてはいいかもな
ただやっぱり偏りすぎてるんだ。それが残念>バーバ

116 :吾輩は名無しである:05/01/25 14:47:37
偏りは狙っているからな
そこを残念がるのはどうよ?

117 :吾輩は名無しである:05/01/25 14:53:06
あれは狙いなのか?

・・・


118 :吾輩は名無しである:05/01/25 14:55:09
そうだよ。で、あの偏りは、特殊アメリカ的なんだよな。
日本の差別闘争の人のレトリックとも似て、
ああいうのはdislocationできない。
文脈依存的な文章だから、
サイードほどの力は持ち得ないだろうね。

119 :吾輩は名無しである:05/01/25 15:05:09
法政大学出版局の叢書ウニベルシタス778で

バーバの『文化の場所──ポストコロニアリズムと批評理論』

が数年前から近刊予定になっているのだが、
どうなっているのだろう?

本橋哲也訳になっているのでこいつが悪いのか?

120 :土曜日:05/01/26 22:29:25
本橋哲也の『ポストコロニアリズム』(岩波新書)を購入した。 本橋はかなりの英語
の達人で、バーバあたりの難解な英語を通訳したり、翻訳したり できる力があるそう
である。もちろん、ここでは、クッツェー「敵あるいはフォー」の翻訳者 としても知
られていることだろう。英文学専攻の本橋だからこそ、ポストコロニアル批評と文学
とを 埋めることを、私は期待したのだが、そういう意味ではダメだった。

ひたすら政治的正義としてのポストコロニアリズム論に徹している。そのうえで、サイード やスピヴァークの紹介と言う感じがする。



121 :吾輩は名無しである:05/01/27 00:13:06
>>120
たぶん「岩波新書」だったから。
これが「ちくま新書」だったらもう少し期待できたかも。

122 :吾輩は名無しである:05/01/28 19:16:21
>>121 カルチュラルスタディーズとかならば、良い本なの?
なんだが、洋一先生と同じような英語屋さんなのかなと、思い始めるように
なった。それはそれで、有り難いことではあるんですが。

123 :吾輩は名無しである:05/01/29 08:21:59
>>121 むしろ中公新書で……。

124 :吾輩は名無しである:05/01/29 12:01:34
16 :名無しさん@社会人:05/01/27 18:40:58
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/4ddd445b868f20fb9816b9e0b7717ec7
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書)は、その見本だ。
内容のほとんどが他人の本の引き写しで、最後に「日本にとって
のポスコロ」として、問題の「戦犯法廷」が登場する。女性で韓
国人で人身売買となれば、法廷に参加した日本人はみんな「加害
者」として懺悔しなければならないわけだ。

こういうレトリックの元祖は、マルクスとフロイトである。表面
的な物語の「深層」にイデオロギーやリビドーなどの「本質」を
発見する。ポスコロやカルスタは、そのパロディみたいなものだ。
この種の「脱構築」のトリックは、「お前は潜在意識では差別し
ている」といわれると、「していない」と反論しにくいところに
ある。「あなたはセックスに執着している」という精神分析と同
じで、それ自体が物語にすぎないのである。


125 :吾輩は名無しである:05/01/29 22:37:51
>それ自体が物語にすぎないのである。

文学に関心のあるやつが、そんな表現って良いのだろうか。文学捨ててない?
まあ、本橋の御本も文学を捨てた政治的正義の固まりで、私は支持できないのだが。


126 :吾輩は名無しである:05/01/29 23:04:02
マルクスとフロイトがポスコロの元祖なんて初めて聞いたよ。

127 :125:05/01/29 23:32:17
本文を読むと、どうやら文学に関心がない人が批判しているようですね。

さて、ポストコロニアル批評や文学を論じるならば、ぜひとも「左翼だ!」
という決めつけをやらないで欲しいと思う。なぜならば、ポストコロニアル
批評家のユニークさをそれなりに評価した上で批判してもらいたいからだ。
また、彼らは、民族主義や民族文学(国民文学)を断念しているわけなのであって、
その点が旧来の左翼とは大きく異なっている。彼らの脱民族主義を論じないで、
ポストコロニアリズム批判はできないはずである。

128 :吾輩は名無しである:05/01/30 09:17:30
>民族主義や民族文学(国民文学)を断念しているわけなのであって、
>その点が旧来の左翼とは大きく異なっている。
左翼はプロレタリアートに国境はないってマルクスのお言葉を信奉したのだったが。

129 :吾輩は名無しである:05/01/30 11:09:32
>>127
あの〜、常識的に考えて、「弱ければ正しい、強ければ悪い」「周辺的なら偉いが
中心的ならステージが低い」という発想が強いのはサヨですよ。
もちろん、自分自身は金持ちで、社会的地位も高いのだが……。

宮台も、丸劇トークオンデマンドで、共産党員は自民党員よりもお金持ち、サヨは日本においてはもうひとつの強者
、だから2ちゃんなどで激しく叩かれると指摘していましたっけ。

そんなことだからポスコロ・カルスタは、宣伝文句とは裏腹にもうひとつの強者の論理だと
見られている。疑われている。


130 :吾輩は名無しである:05/01/30 11:53:06
>>127
右翼のポスコロって存在するの? どう見てもPC的左翼だよ。

131 :吾輩は名無しである:05/01/30 13:52:41
デリダ論 『グラマトロジーについて』英訳版序文

著者/訳者名
ガヤトリ・C・スピヴァク/著 田尻芳樹/訳

出版社名
平凡社 (ISBN:4-582-76524-6)

発売予定日
2005年01月中旬

販売価格
1,155円(税込)

フェミニズムとポストコロニアリズムの交差点から現代社会に鋭く介入し続ける著者が、
ニーチェ、フロイト、ハイデガーらを通じてデリダの思想を自在に論じたデビュー作。

http://esbooks.yahoo.co.jp/books/detail?accd=R0040547

132 :125:05/01/30 14:31:37
>>130 ナイポールはどうなんだ? 右翼のポスコロじゃないの?
 ジーン・リースだって、所詮は白人奴隷所有者の子孫だよ。
 クッツェーはアフリカーナー系の白人男性で、南アを追い出された。
  彼は右翼とは言わないが、左翼とも言えない。

 ちなみにより左翼的なゴーディマだって、ナイポールを褒めているよ。
 あとサイードがキプリングを好きなのはどうして?

133 :吾輩は名無しである:05/01/30 14:34:32
http://d.hatena.ne.jp/merubook/20050129

134 :吾輩は名無しである:05/01/30 14:51:58
とにかく、
ナショナリズムを断念してるから左翼ではないなんて>>127の理由づけは誤りだよ。

135 :吾輩は名無しである:05/01/30 14:57:55
>>132
作家ではなく批評・研究のポスコロを話題にしてたんではないの。
植民地支配はいけません、って絶対正義の印籠をかざすばっかでしょ。
追詰められた左翼の避難所。

136 :吾輩は名無しである:05/01/30 15:00:56
>>135
批判の仕方が適当すぎ
「岩波氏ね」ぐらいの気分で叩くとやつらは延命するぜ
もっと精密に叩け

137 :吾輩は名無しである:05/01/30 15:03:14
叩くのも面倒。馬鹿は放っておくさ。最大の罵倒は黙殺である。

138 :吾輩は名無しである:05/01/30 15:05:49
>>132
そもそも出自は右翼かと関係ないし。
リースが奴隷商人の子孫だから右翼なら、
なんで南アの白人エリート階級のゴーディマが「より左翼」なのさ?

139 :吾輩は名無しである:05/01/30 15:09:51
いやいや出身階級が思想を規定すると見るのは、実は左翼なればこそなんですよ。

140 :吾輩は名無しである:05/01/30 15:14:27
内地出身の日本人男性がポスコロなんぞ笑止。
沖縄・北海道・旧植民地関係者以外、日本文学でポスコロやるの禁止。

141 :吾輩は名無しである:05/01/30 15:16:20
しかも、出自が下とか貧しいとかだとプロレタリア扱いする、つまり変革の主体
になると決めつけるのもサヨクの得意技。
実際には、下層出身のヤシほどかえって保守的になる傾向もあるし、
上流に近いほど余裕があるためひねくれて反逆、あるいはもうひとつの強者としての
サヨ利権に入るためにサヨ思想をふりまくケースもたくさんある。
だけど、現実無視。あくまでもマルクス主義の教説を遵守する、サヨ・コミュニティ内部の
順応主義者。それがサヨク。
で、サヨが喜んで群っているのが、ポスコロ。

142 :吾輩は名無しである:05/01/30 16:53:42
>>141
左翼だっていろいろいるんだよ。少しは勉強しろ。
いつの時代のことを言ってるんだ?

143 :吾輩は名無しである:05/01/30 17:02:04
>>142
だから、未だに時代錯誤・世代錯誤な連中もいますから

144 :吾輩は名無しである:05/01/30 17:13:46
>>143
すべて一まとめにするなと言ってるんだよ。批判するんだったら個人名挙げろ。

145 :吾輩は名無しである:05/01/30 18:43:19
だから本橋哲也とか。

146 :吾輩は名無しである:05/01/30 18:54:58
出自の問題はいいから、ナイポールの文学と思想を左翼とは呼べないのは、
自明だろう。キプリングを評価するサイードを、どう評価するのかも、
考えてみてくれ。サイードの好きなコンラッドは、社会主義叩きの作家だという
ことも忘れないで欲しいな。

147 :吾輩は名無しである:05/01/30 18:56:59
>なんで南アの白人エリート階級のゴーディマが「より左翼」なのさ?

彼女の思想は、クッツェーよりも左翼的であることは明白じゃないの?
南ア共産党にたいするシンパシーもあるのではないか。
なお、ジーン・リースの小説はどうみても左翼とはいえない。
イギリスの周辺的植民地人の文学である。


148 :吾輩は名無しである:05/01/30 19:02:26
左翼と言えないイコール右翼かよ

149 :吾輩は名無しである:05/01/30 19:58:27
左翼だとか、右翼だとかで、思考が止まっているやつが多くて、
嫌になるね。

本橋哲也の本がダメなのは、左翼的=政治的PC=ポストコロニアリズム
という図式で書いてしまった点である。そんなに単純ではないから、
文学を読む意義があるわけなのだ。少なくとも、もともとの文芸批評では、
そういう簡単な図式で整理できないものである。たとえば、バーバやサイードの
著作を読めば、実に複雑である。

この点、たとえば、歴史学はもっと簡単・単純だ。たとえば、ベルヌの『80日間』
や『15少年漂流記』などの著作から、当時の「帝国意識」について明らかにした
人がいた。(文芸批評の世界では、そういう単純な「帝国意識論」では相手にされない)。

歴史学と文学との違いはなんなのか。すくなくとも、本橋を読んでも理解不可能。
単純な議論でよいのならば、文学批評なんか止めちゃえばいいと思う。


150 :吾輩は名無しである:05/01/30 22:40:52
しかし、ここで左翼叩きの奴らの無内容さをみると、まだ左翼のほうがマシかな
というきになってくる。以前、噂の真相をみたら、田嶋陽子はフェミニストだと
いうが実は英文学専攻じゃないかと書いてあって、唖然としてしまったが、
そのレベルの人たちが左翼叩きをしているのではないか。

151 :吾輩は名無しである:05/01/30 23:49:20
田嶋陽子って無責任よね。授業休校ばっかしてさ。

152 :吾輩は名無しである:05/01/31 01:47:25
>>149
なるほど。そういう傾向もあるのか。それは初耳だ。ご教示、感謝する。

ただ、逆の方面から言うと、文学からのアプローチでポスコロをやっている人たちは、
歴史的な視野とか社会システム論について、基本的なところが欠如してるのよ。
かなり前に古典に書いてあったり、別の高名な論者が指摘したり、論争して決着がついている
問題について今でも最先端の問題であるように扱ったり、自分(たち)のオリジナルの言及だと
思ってるの。だから傍から見ると、言っちゃ悪いけれどとても稚拙に見えたり手抜きの議論に思えたりするわけ。
だから、その勉強不足が思考停止を想起させ、さらに「サヨク」イメージにつながるんだと思う。

153 :吾輩は名無しである:05/01/31 02:09:55
社会的不公正を問題にするのならば、サイードよりもウォーラースティン
のほうが、よっぽど魅力的だ。左翼、左翼と非難する人は、むしろウォーラースティン
を問題にすべきではないかと思うわけですね。

たとえば、世銀批判の論客でも良い。サスキア・サッセンなんかも、面白いね。
ポストコロニアリズムを名乗る人は、こういった政治経済学や世界社会学(?)
との違いを明らかにして欲しい。サイードの移民論なんかよりも、サッセン
のほうが明晰だし、現代の植民地主義の問題を考えるならば、ベリョの著作
を読んだほうが良い。

ところで私としては、貧困の問題についてポストコロニアリストが問題にしないの
がどうも納得がいかない。(こんなことを書くと左翼だと批判するやつがでてくるが
私は相手に出来ない)。ポストコロニアル文学や批評でも、そういうことはあんまり
テーマにはならないような気がする。ポストコロニアルの最大公約数は、専門職の
コスモポリタン世界ではないのか。露骨なのは、姜尚中だ。ポストコロニアリズムは
東アジアにありなんて言っていたよ。要するに、貧困問題を解消した日韓台の専門職
とアッパーミドルでポスコロをやりましょうという話だ。

154 :吾輩は名無しである:05/01/31 02:12:46
ただし、ポストコロニアル文学でも、ベン・オクリだとか
ナイポールは貧困問題を描写している。ナイポールは偏見に
みちているような時があるが(笑)、ときには、素晴らしく
生々しくて、捨てておけない作家だ。

Read "A Bend of the River"

155 :吾輩は名無しである:05/01/31 02:39:13
>>146 サイードが何を好むとしても、彼が「左翼」であることは揺るがないでしょ?

156 :吾輩は名無しである:05/01/31 02:55:40
>>149
>文芸批評の世界では、そういう単純な「帝国意識論」では相手にされない
いや、文学研究・批評におけるカルスタ・ポスコロでも、その程度の愚劣なイデオロギー的裁断ばっかだよ。

157 :吾輩は名無しである:05/01/31 09:31:35
>>156 たとえば、誰のどんな著作か?
 すくなくとも、スレーリの難解な本は、そういう風には読めないぞ。
 サイードの『文化と帝国主義』も同様。

158 :吾輩は名無しである:05/01/31 13:31:54
サイードはダメだよ。『オリエンタリズム』とか、
その「政治」概念の混乱については彌永信美の批判があったね。
もっとひどいのは日本の研究者・批評家ども。『ディスクールの帝国』とか。

159 :吾輩は名無しである:05/01/31 13:39:02
>>158 サイードのコンラッド論やキプリング論のどのあたりがダメなの?

160 :吾輩は名無しである:05/01/31 13:48:06
>>158は『オリエンタリズム』だって言ってるのになぜキップリングに固執するんだろ。

161 :吾輩は名無しである:05/01/31 14:17:06
『オリエンタリズム』第三章第二節でのキプリング批判が、キプリング評価に転じちゃったわけ?

162 :吾輩は名無しである:05/01/31 15:14:08
>>160 サイードならばキプリング論、本橋哲也ならばシェークスピア論あたり
で評価してやる必要があるんじゃないかと思うんだ。オリエンタリズムは
細かいところは、おれは関心もてないんだよ。潮流を作った御本という
ふうにしか思っていないんだ。

163 :吾輩は名無しである:05/01/31 15:16:57
「潮流を作った」からこそ功罪を論ずべきなのでは?

164 :吾輩は名無しである:05/01/31 15:32:51
大熊栄『サルマン・ルシュディの文学―「複合自我」表象をめぐって』
なんかは、評価はどうなんだ?


165 :吾輩は名無しである:05/01/31 16:06:49
もう・・文学やるなら、彼らの「英語」に埋没する意味を救い上げて
やればいいじゃん。右翼とか左翼とか関係ないし、地域性(国)
なんて全部背景にしか過ぎないよ。なんか、変な気がするなあ

166 :吾輩は名無しである:05/01/31 16:15:36
>>165 「英語」に埋没する意味、とは?

167 :吾輩は名無しである:05/01/31 16:49:32
>>163 もちろん、そういう流行思想をつくったサイードを論じても良いと思う。
でも、あんまり実り豊かな議論にはならないように思うんだが、どうだろうか。
ちなみに、アマゾンの書評では、『オリエンタリズム』はたくさんあるのに、
私にとっての名著であるアシュクラフトほか『ポストコロニアルの文学』の書評はない。
ルーンバのまあ、まともな『入門』にも書評はない。もちろん難解な
スレーリの本には書評はない。逆に、つまらないと思われる
姜尚中編の『ポスコロ』にはたくさんの書評が多い。
みんな、安直なんだよなと思う。

168 :吾輩は名無しである:05/01/31 16:54:18
>>167 
つまり、その「安直」さこそが今のポスコロだってことよ。
実り豊かな議論にはならないのは、元になるサイードが貧弱だったからよ。

169 :吾輩は名無しである:05/01/31 16:59:58
>>168 本当にそう思っているの? コンラッド論とか読んでみたの?
 熟読に価するのは、繰り返すがコンラッドだとかを論じている文章
だと思うんだけれどな。

170 :吾輩は名無しである:05/01/31 17:03:30
『オリエンタリズム』ならともかく、作家コンラッド個人に興味無いなあ。

171 :吾輩は名無しである:05/01/31 20:03:50
>166
結局は自らその場に入って言葉を剥離したのか、
よそ者の介入で場から言葉を剥離させたのかで違う。
失った英語はどう変容して今に残るのか。

で、フランス語よりもイギリス英語での方がその植民地支配
領域が違う。平たく言えば研究する課題が増える。
こんなとこ。

172 :吾輩は名無しである:05/01/31 22:22:34
>>170 文学に興味がないのならば、ここには来ない方が良いんじゃないの?
 あるいは、他の文学者に関心があるのでしょうか。

俺が今読んでみたいのは、Vassanjiというアフリカ生まれのインド系カナダ人作家
のマウマウ体験にまつわる話。

173 :吾輩は名無しである:05/02/01 10:24:52
スゲーなそれ。人種的にはインド人でアフリカで幼少時代?を過ごして
自らカナダ人になったってことかね?

174 :吾輩は名無しである:05/02/01 20:48:51
>>171
>結局は自らその場に入って言葉を剥離したのか、
>よそ者の介入で場から言葉を剥離させたのかで違う。

そのどちらもポストコロニアル文学である点が興味深いと思うんだけれども、
みんなはどう思っているのだろうか?


175 :吾輩は名無しである:05/02/01 21:07:46
ポストコロニアルを批判するやつらが、結局は保守的発想しかできない
ウヨちゃんなのは、どうもさびしいね。だからナイポールについて意見を求めても、だれも
返答がないのだろう。

私のような素人からみて一番疑問なのは、なぜあんなに難しい議論でなくては
いけないのかということだ。「サバルタンは語ることが出来るか」なんて言わずに、
「インドの不可触民に発言権はあるのか」では何故ダメなのかとやれば、良いではないか。
あるいは、チョムスキーみたいにずばっと分かり易い言葉で言えないのは何故なのか?
山際 素男 「不可触民―もうひとつのインド」だとか、千田夏光あるいは梁石日あたりの
大衆作家の発言では、なぜダメなのか?


おそらく政治的発言を確保するためには、難しいことをいわなくてはならないのだろう。
チョムスキーやラッセルのような人は、学者として超超一流だから、政治的発言の足場
を確保できたが、英文学者は難解語を駆使してはじめて、足場を確保できるのではないか。
(なんとくインド人のもっともらしい語り口とにているような気がする。ポスコロの偉そうな
ところがね。そういえば、ナイポールの処女作のマッサージ師も、そういうテーマだった)

純文学=アカデミズムといった権威主義・エリート主義こそが、ポストコロニルの最大の
問題なのではないかと思うのだが。もっとも、2ちゃんねらーは、権威主義者が多そうだが。

176 :吾輩は名無しである:05/02/01 21:51:37
>>175
>おそらく政治的発言を確保するためには、難しいことをいわなくてはならないのだろう

おそらく予算ゲットと「批評空間」「現代思想」といった人文系インテリにとってのビルボード
に掲載されるためには、難しいことをいわなくてはならないのだろう。

>純文学=アカデミズムといった権威主義・エリート主義こそが、ポストコロニルの最大の
>問題なのではないかと思うのだが

その傾向はありますね。ただ、それは長所であると同時に短所でもある。権威がなければ
ただのグチ、ルサンチマン、被害者意識で片付けられるおそれもありますから、
ある程度偉そうに振舞う必要もあるのでしょうが、今は少し行き過ぎでいるのかな?


177 :吾輩は名無しである:05/02/01 21:53:58
今は少し行き過ぎでいるのかな?


178 :吾輩は名無しである:05/02/01 22:06:22
>>175
駄目に決まってんじゃん。
そしたら「じゃあ不可蝕民の代わりに語ろう」と上野千鶴子みたいな事になって終わる。
それはそれでいいんだがね。必要だし。

179 :吾輩は名無しである:05/02/01 22:22:36
>>175-178
はじめは白人が黒人解放運動をになったり、男性が女性解放運動を
すすめていた時期もありましたね。旧ソ連の改革も共産党や軍の内部から
起こりました。
これは難しい問題です。いずれ当事者中心にシフトすることになるのでしょう。
その時期とシフトのしかたが当否を問われるのでしょう。

180 :吾輩は名無しである:05/02/01 23:11:51
>>178
上野千鶴子って、社会的弱者のことについて語ったの?
アカデミズムは弱者切り捨てが原則でしょ。強いて言えば、学問的には弱そうな
社会福祉だとかじゃないの? 例外的にいえば、フランスのブルデューあたり
でしょう。

文学ならば、むしろ、いると思う。梁石日なんて、評価に価するんじゃないの?


181 :吾輩は名無しである:05/02/02 00:20:09
チョムスキーは読めば分かるが支離滅裂。

182 :土曜日:05/02/02 00:43:59
昨日、丸山哲史の本を立ち読みしたら、安部公房とファノンを比較していた。
すごく良い論文というわけではないが、まあまあの出来だった。
支配する者と、される者とを、共通の枠組みでみるのがポストコロニアルなのだ。
その点、上野千鶴子あたりだと、植民者と被植民者をともに、見下す視点に立ちがちだ。
これではいけない。

安部公房とクッツェーのようなコロン、あるいはカミュとかを、論じる視点が
大事だと思うのだ。

183 :吾輩は名無しである:05/02/02 02:29:44
結局、ポスコロの是非で問われているのは、
他者に対する視線の問題ということになるのですか?


184 :吾輩は名無しである:05/02/02 10:52:52
他者なら他者でいいが、なぜそれが、特に植民地に関係する他者でなきゃならんのかね?
その固執ぶりに反省が無いのがポスコロの問題点ですよ。

185 :吾輩は名無しである:05/02/02 11:26:34
ポスコロの言う他者って何よ? 他者化すると差別だ、植民地化だって騒ぐでしょ。
んでもって、他人の他人たるゆえんを理解・尊重しようとすると、今度はイヤだ、ダメだ
ってダダをこねている? 
差異と平等なんて追求したらキリがないんだし、実際にはどこか欺瞞的にやるしかない。
そのことによって保たれる尊厳もある。その点無視してんじゃないの。

>>184
本当は自分の問題をやってみたい。だけれども、そうするとテレくさい、弱みをさらすことになる、
自分が「弱者」だなんて絶対に認めない、という感情で、他人の問題を通じて自分を知る。
しかも、クレームがつきにくくて優越感を持てる社会的弱者・周辺者をわざわざ選ぶ。
そのことには自覚ゼロ。他人がーー特に当事者がーー指摘すると、キレるか黙殺する。
そのためには他人の過去の心の傷をえぐる質問も、名誉やプライバシーにふみこむことも
すべて許されると勘違いしている。
研究のためだから、客観性が必要だからといいわけすればいいと思っている。
そうして、非常識で失礼で残酷なことをあえて成す自分はカッコイイ! みたいな
タイプのヒロイズムに酔っているヤシもいる。
特に調査とか予備調査のときには、そもそも会話がヘタなので信頼関係のないうちから
デリカシーのない質問や安っぽい意見を述べて、相手から人格を疑われている。

>その固執ぶりに反省が無いのがポスコロの問題点ですよ。
それは時にストーカー的にも見える。ものすごくネチっこくて気持ち悪い。
嫌がったり、とても見ていられなくて注意する人間を「被害者意識が強すぎる」
「あなた自身のことじゃないのに。関係妄想だ。言いがかりだ」「弱者の解放に協力
する気がないのか」「分断統治だ!」などとマニュアル的演説と偉そうだがトンチンカンな
説教で乗り切ろうとするも、周りは全員あぜんとしている。その彼ひとりが
自己完結した使命感と自己過大評価のなかでまどろんでいる。他人を巻き込み、
傷つけ、混乱させながら……。



186 :吾輩は名無しである:05/02/02 11:39:54
>>182
共通の枠組でみるのはいいがそれでは「サバルタン」、
現に虐げられているものへのコミットメントにならない。
理論と実践にズレが生じるのは当然で、実践を理論で批判して何になる?
そのズレが「サバルタン」問題なわけで、曲がりなりにも
引き受けて語ろうとする存在は必要だと思うがね。
そしてそいつらを左翼と呼ぶのは正当だろ。
上で挙がった右翼のポスコロって理論面だろ?
別に自分の関係ない問題に口出すポスコロではない。

187 :吾輩は名無しである:05/02/02 11:42:02
>>185 名を挙げた具体例が欲しいな。

188 :吾輩は名無しである:05/02/02 11:50:50
>>186
>上で挙がった右翼のポスコロって理論面だろ?
作家だから、批評家・研究者と違って理論よりも創作って実践になるのでは。

189 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:01:42
>>188
じゃあ言説と実践にしてもいいよ。


190 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:08:49
>>178-179
それってつまり
「彼らは、自分で自分を代表〔=表象〕することができず、だれかに代表〔=表象〕してもらわなければならない」
(マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』)
ってことなのでは。
まさに、批判されるオリエンタリズムの基本構図だよね。
東洋には自らが表象できないから西洋が哀れな東洋のために代ってそれをする、って奴。


191 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:24:14
>>190
問題はそのオリエンタリズムが必要悪だってこと。
蛮勇であるがゆえに叩かれうるけど、関係ないから語るな。
では余りにお粗末では?

192 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:28:42
然り。
サイード『オリエンタリズム』は「余りにお粗末」です。
サバルタンは語り得ません。
以上。

193 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:34:39
>>192
短絡すな。お粗末なのはサイードの論法で上野千鶴子を批判するような輩。
植民地を分析するのにサイードのような理論は必要だって。
ねっこはフーコーにつながっていくと思うが。

194 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:39:01
>>193
『オリエンタリズム』はフーコーを理解できてませんから。
下記参照。
彌永信美「問題としてのオリエンタリズム」『歴史という牢獄』青土社、1988.12
丹生谷貴志「歴史の〈外部〉」(『GS』3「特集 千のアジア」冬樹社、1985.10

195 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:47:48
実際、オリエンタリズム式の代理=表象を批判するならば、
>>186の言った「引き受けて語ろうとする存在」=「左翼」は批判さるべきはず。
だのに何でポスコロ左翼はサイードで以て威勢よくなってるわけ? サイード自身も。
左翼用語で言ったら「自己批判しろ!」って感じ。


196 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:47:51
>>194
ねっこだから別にいいと思うが。
流れとして出てきたって事で。
一定のアクチュアリティがあるって程度でいいと思う。
全否定をすべきものじゃない。
ガヤトリにしても上野にしてもだが。

197 :吾輩は名無しである:05/02/02 12:58:36
>>195
だから理論と実践分けましょう。
実践は確かに左翼そのもの。
理論だけじゃ駄目ってのがガヤトリだろう。
勿論実践に理論的根拠はないから、
右翼的ポスコロはないってのは正しいんじゃないの?
他人様の差別無くしてやろうってとこからポスコロの実践は生まれてるんだから。

198 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:01:16
理論(的実践)こそ「左翼」でしょ。でポスコロは、理論的にも矛盾しとる、と。

199 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:06:15
理論と実践が矛盾してるとは思うが、理論自体も矛盾してるの?

200 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:09:35
文化の場所 
ポストコロニアリズムの位相
《叢書ウニベルシタス778》

ホミ・K. バーバ著
本橋 哲也・正木 恒夫・外岡 尚美・阪元 留美 訳

2月10日発売
定価5665円(本体5300円+税)四六判
ISBN4-588-00778-5 C1322

植民地支配の過去を都合よく忘却してきた者たちと、忘れたくとも忘
れ得ない者たちとを、歴史の文脈の中で出会わせ、周縁化された「他
者」や、抑圧されたマイノリティの声を歴史から掬いとる作業として
のポストコロニアリズムに、不可避の戦略と指針を提示する。サイー
ド、スピヴァグとならび〈ポストコロニアル理論御三家〉の一人とさ
れるバーバの主著。
〔歴史・思想・文学〕


201 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:11:53
理論とは理論的実践である。――と、アルチュセールも言っとるな。
代表=表象を批判する癖に他者を代表=表象しようとする理論は、矛盾だわな。

202 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:31:30
>>193
>植民地を分析するのにサイードのような理論は必要だって。

いや、正確に言うと、植民地帝国や植民地政策だと思う。
植民地の分析にはサイードは直接には役に立たないのでは。

それから左翼右翼論争は不毛。
だいたいポストコロニアルっていうんだから、むしろ、民族解放運動
との関係で論じられるべきではないのか。



203 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:36:15
民族解放運動が自民族は自民族で表象することを目指すとすれば、それは本質主義に陥る。
そこで、フーコー流の社会的構成主義からする代理=表象批判と、矛盾をきたす。

204 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:37:20
>>201
>代表=表象を批判する癖に他者を代表=表象しようとする理論は、矛盾だわな。

もう少し具体的に言うと、どのような他者を代表しようとしているのでしょうか?
サイードの◎◎の本の何頁とか、書いてみてよ。


205 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:39:39
>>201
うん、まぁそういった意味でならね。
しかし左翼的にはそこに区別つけるんだろな。
>>202
なるほど。そうかもね。

206 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:40:53
>>203 いったい何を言いたいの? フーコーと民族解放運動が
 異なる見解なのは、当たり前ではないですか。ポストコロニアリズム
と民族解放運動は異なる見解。

 ついでに言えば、最後の民族解放運動の南アでは、ポストコロニアル作家の
クッツェーはいずらくなり、オーストラリアに亡命した。

207 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:50:57
もしかして、ここの皆さんは、サイードのオリエンタリズム
しか読んでいないのかな、と心配になる。私は次の本を薦めます。

Naipaul, A bend in the River
Rushdie, Imaginary homelands, Foe, Disgrace
Coetzee, White Writing
アシュクラフトほか ポストコロニアルの文学
安部公房 けものたちは故郷をめざす、死に急ぐ鯨たち

208 :吾輩は名無しである:05/02/02 13:51:50
果してポストコロニアリズムは民族解放運動を支持しないか?

209 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:00:25
>208
ポストの意味を落としてます。

210 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:03:14
植民(支配−被支配)の関係を、
民族解放に拠らず解消しよう、
というのがポスコロですか?

とすれば、具体的にはどのようなやり方で
民族解放に拠らず植民地支配を解消し得ると、
ポスコロは提唱しているのでしょうか?

チェチェン紛争とか、ポスコロ的にはどう考えているのだろう。

211 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:05:18
>>208 安部公房はアパルトヘイトの時代に、南アの黒人運動について
微妙な立場をあげている。(「死鯨」文庫の62頁)対立儀式の式典を歌うのは
嫌だな、と。

ラシュディやナイポールのインドにたいする態度なんかは微妙。
サイードはアラファト批判の人だった。

ポスコロではないけれど、キョウコ・モリなんて反日日系作家だよな。
ナイポールの反トリニダードとにていなくもない。

212 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:05:34
>>209
colonialism 植民主義,植民政策(『新コンサイス英和辞典』)

植民地主義者(帝国の側の人)は「民族解放運動」の対極だろ?

213 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:08:15
>>210 クッツェーなんて微妙な立場。黒人が勝利すれば白人は居場所が
なくなるわけで、怖いわけだ。(自伝的作品のYouthより)。しかし、彼は
子供時代から一貫して、共産党にたいして好意を持っている。ソ連や共産党が
南アを破壊してくれたらよいという自己破壊願望がある。

214 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:13:26
>>210 文学的に考えれば、土着語による文学にしなくてはならない。
 アフリカにそういう作家もいるが、ごく少数だ。

215 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:14:38
グレー人って
一番得な立場だよね

どっちが勝っても負けても
責任ないし、楽チン

これからの時代は、こういう立場にいる人が
勝ち組だと思う。

アメリカ人は負け組。可愛そうに。
ワスプの人たちって異様に真面目だよ。
とくに若い人達って信じられないくらいカタブツ。
ストレスたまりまくってそう…。自殺者も多いそうです。

自らの正義心にがんじがらめで人生楽しめないより
どこの国にもぞくさない
ジャーニーな人生はとてもスリルがあって
生きてる感じがするし、縛られないし
みんなに良い顔できるし、喧嘩もしないですむし
こんなに美味しい立場ってないと思う。

持ち家よりマンションみたいな…

216 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:17:16
愛国心とかにがんじがらめの人って
バカみたい
結局いきつくところはエゴじゃん

自分の子供のためだったら、思想もなにもないわけでしょ?
ぷっ!

217 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:32:14
>>209
コロニアリズム(植民地主義)を批判するのがポスト・コロニアリズムだとすれば、
それが民族解放路線に結びつきやすいのは当然では?

218 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:38:54
>>209 ポストコロニアリズムは、民族解放運動のあとで、
あるいは第三世界主義の挫折した後で起こった運動ではないでしょうか。

ところでポストコロニアルフェミニズムと第三世界フェミニズムの違いは?
たぶん、前者のほうが、敗北を認めているんだと思う。

219 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:46:21
>>218
挫折とか敗北って? そしてポスコロはそれをどう評価・批判するの?
依然としてコロニアリズム批判どまりが多い気がするけど。
特に現代作家でなく過去の文学作品をポスコロ批評が論ずる場合は。

220 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:50:45
>挫折とか敗北って? そしてポスコロはそれをどう評価・批判するの?
>依然としてコロニアリズム批判どまりが多い気がするけど。
>特に現代作家でなく過去の文学作品をポスコロ批評が論ずる場合は。

これって、要するに現代の視点から、
歴史を裁いてしまっていることになりますよね。

221 :吾輩は名無しである:05/02/02 14:55:26
>>220 そ。だからポスコロ(の大半)は駄目なんだ。

222 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:20:03
>>204
>もう少し具体的に言うと、どのような他者を代表しようとしているのでしょうか?
既出だと「インドの不可触民」とか「サバルタン」とか。

223 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:28:10
>>219-220 挫折というのは、民族解放運動の挫折ということなんですが。
仮に成功していたら、いまごろポストコロニアル批評ではなく、民族批評
になっているのではないでしょうか。

ところで、ポストコロニアルの将来ということでは、ネグリらの『帝国』が
参考になるだろうと思う。多文化主義から帝国へという道筋を彼らは見せてみた。
 姜尚中のような韓国人は、東アジアに限定した帝国(=東北アジア共同体)
のなかに多文化主義を定着させようとしている。(もっとも、北朝鮮問題があると
どうだかわからんが)。しかし、インド・カリブ海、アフリカ、中南米、イスラム
の人には、まだ落としどころが分からないよね。

224 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:29:09
日本だって外国からみりゃ極東のぽすころだろ

225 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:34:39
>>223 それだとまるでネグリや姜尚中が「帝国」主義者であるみたいだぞ。
帝国主義こそコロニアリズムでありコロニアリズム批判の対象だったはず。

226 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:41:05
>>222 サバルタンを誰が代表しようとしているのですか?
 スピバークは、そういう意味では慎重な姿勢はあると思うのですが。

227 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:43:53
そもそも代表しようとする気もない人が代表し得るか否かを論ずるかね? >>226
表象しようと志せばこそ、問題が起こるわけで。

228 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:47:38
>>225 

帝国主義と「帝国」は別物です。

ところで、サイードは英仏の植民地主義を批判的に捉え返したのだが、
肝心のアメリカの新しい帝国主義や植民地主義を論じてはいないように
思える。キプリング、コンラッド、カミュ、フォースターも、すべてヨーロッパの
植民地主義だ。それでは現代の問題を語ったことにはなるまい。

彼の自伝を読むと、英国流と米国流の違いを、子供時代に体験している
のだが。アメリカの世界支配は、英仏とは質的に大きな違いがある
わけだし、まさにアメリカ文学批判という形で論じるべきテーマが残された
のだ。彼の本では、そうですね、『地獄の黙示録』なんて映画がちょっと
だされているが、論じているとはいえない。メディア批判はあるが、文学の解読
でないと、サイードは才能を発揮できなかったと思う。誰か、そういう仕事を
すれば良いんだよね。(もうしているのかな?)

もっともラシュディあたりは、ニューヨーク、アメリカを描こうとはしているみたいで
すが、私は未読です。

229 :吾輩は名無しである:05/02/02 15:49:52
>>228 
ネグリ&ハートは、アメリカって「帝国」を批判してたんでないの?
多文化主義だから帝国オッケーって話ではないだろ。

230 :吾輩は名無しである:05/02/02 17:00:25
>アメリカって「帝国」を批判してたんでないの?

違います。
ポストコロニアルとネグリというのは、興味深いテーマの一つでありますね。


231 :吾輩は名無しである:05/02/02 17:16:31
>>206
クッツェっていつオーストラリアに亡命したの?
知らなかった・・・

232 :吾輩は名無しである:05/02/02 17:27:30
>>230
アメリカ≠〈帝国〉にせよ、ネグリも姜尚中も〈帝国〉を批判してることはたしか。
だから>>223はヘン。

233 :吾輩は名無しである:05/02/02 18:38:07
ポスコロあなたは
かよわきサバルタンの
代弁者なのか〜?

234 :吾輩は名無しである:05/02/02 18:56:04
>ネグリも姜尚中も〈帝国〉を批判してることはたしか

姜尚中は帝国を議論していないと思う。
ネグリは、帝国における変革主体multitudeを構想したのでは。
いずれにせよ、ネグリを読み返そう、みなさん。
なお、英語は無料でダウンロードできるって、知っているかな?

235 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:03:22
>>234
>姜尚中は帝国を議論していないと思う。
しかし>>223曰く、
>姜尚中のような韓国人は、東アジアに限定した帝国(=東北アジア共同体)
>のなかに多文化主義を定着させようとしている。

>ネグリは、帝国における変革主体multitudeを構想したのでは。
マルチチュードは〈帝国〉に抵抗する者として構想されてる。
したがって〈帝国〉批判の意図は明らか。

236 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:09:09
>>206ってまじ?普通にショックなんだけど。
コステロの出身地なのが意味深だな・・・

237 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:27:29
>したがって〈帝国〉批判の意図は明らか。

どうも、話が伝わっていないな。
ネグリの145頁を写しておくぞ。
postcolonial theorists such as Bhabha interest us primary insofar
as they are sumptom of the epochal shift we are undergoing, that is,
the passage to Empire. Perhaps the discourses themselves are
possible only when the regimes of modern sovereignty are already
on the wane.

つまり、ポストコロニアリストは古い体制である植民地主義の批判
をしている。だが、彼らの議論は新しい帝国をとらえていない、
むしろへバーバの二元論批判は帝国への移行期の思想なのだ、
ということだろう。

「落としどころ」みたいな表現を用いて、混乱させたのは悪いと思う。



238 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:32:57
民族解放支持云々の問題がポストコロニアルではないだろ?
歴史であるその過程を見、展望するのがのがポストコロニアルの
文学批評だ。

239 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:33:43
「のが」が多すぎた。抜いてヨロ

240 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:35:13
>206
だから何?って感じだけどな

241 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:36:19
>233
すまんワロタ

242 :吾輩は名無しである:05/02/02 19:50:52
>>238 民族文学かポストコロニアル文学か、という対抗軸だと
 思うんだが。

243 :吾輩は名無しである:05/02/02 20:04:31
>242
わっかんないな、それ。対抗軸なんてあるの?区切られるものなの?

244 :吾輩は名無しである:05/02/02 20:14:38
いいじゃん、雑種で。

245 :吾輩は名無しである:05/02/02 22:21:03
他者の不幸を語ることのおこがましさを、ポスコロはどうやって解消しようとしているのでしょうか。

246 :吾輩は名無しである:05/02/02 23:06:20
>>245 自分の不幸を語るのだよ

247 :吾輩は名無しである:05/02/02 23:26:47
スピヴァクってしょせん上位カーストじゃん
アメリカの白人に都合の良いカードを使い、
フーコーやドゥルーズの知識人像を叩いているけど、
こいつの方がよっぽど最悪だと思う。
企業家になった元「サバルタン」を叩いているけど何様のつもりか、と。

248 :吾輩は名無しである:05/02/03 02:53:05
>>246
で、行き着くところは「だめ連」みたいな露悪趣味。ダメ自慢。不幸の宣伝・広告。
物語っているうちに、どんどん悲劇の主人公ぶりが高ぶって、しまいには自分でも
何をしているのか分からない状態に……。

249 :吾輩は名無しである:05/02/03 08:48:09
ダメ連は、ポスコロですか。

250 :吾輩は名無しである:05/02/03 12:17:09
ナラティブ・セラピーの行き着く先は明るくないようでつね。

251 :吾輩は名無しである:05/02/03 13:43:46
>>248 もっと、普通に考えてみてよ、
ジーン・リース『サルガッソーの広い海』
クッツェー『恥辱』
安部公房『けものたちは故郷をめざす』
ナイポール A bend of the river

みんな植民者の悲劇だよ。

252 :吾輩は名無しである:05/02/03 13:53:21
不幸中の幸いなのは、オンダーチェの作品か
『イギリス人の患者』のインド人中尉キップ (第二次大戦下の多民族の登場人物)
『アニルの亡霊』のアニル(在外スリランカ人) (内戦下スリランカの多国籍・職業)

基本的にみんな不幸なのは
ナイポール、クッツェー、コンラッド

不思議なのは
ベン・オクリ(ナイジェリア)

253 :吾輩は名無しである:05/02/03 14:18:47
オーウェルは、ポスコロ的にはどう評価されているのでしょうか。

254 :吾輩は名無しである:05/02/03 18:07:15
>245
>246
限定的な枠を作ることこそナンセンス

255 :吾輩は名無しである:05/02/03 18:12:58
悲劇で片付けたくないな。彼らの文学は共同体への
不信があるとは思うが、それでも生命力があるもんな

256 :吾輩は名無しである:05/02/03 22:14:11
正直言って、一番共感して辛くなってしまうのは、ナイポールの作品だよ。
A Bend of the Riverと、『ある放浪者の半生』。
貧困のインドを描いたものも、胸につきさすようなものを感じる。


257 :吾輩は名無しである:05/02/03 22:22:40
>>247
>企業家になった元「サバルタン」を叩いているけど何様のつもりか

よく見る風景ですね。いつもテストで一番の人が、やっと最近トップ30に入ったばかりの人を
「頭が悪い」「努力が足りない」「やる気がない」とか言って叩いているような。
あまり気持ちのいい景色じゃyないですよ。

258 :吾輩は名無しである:05/02/03 23:21:09
土曜日クッツェスレから移動したのね。
毎回言ってること一緒・・・

259 :吾輩は名無しである:05/02/04 00:33:15
>>ダメ連は、ポスコロですか。

これは、ダメ連をおす丸川哲史のことだと思うんですが、なにか内的なつながりがある
のでしょうか。彼の台湾論等は、まあ、まともなポストコロニアルだと思いますが。

ダメ連というのはよくわかりませんが、今流行の引き籠もりなんかをダメだとすると、
なんとなく時代的にはつながるような気がする。かつてならば、地主の息子とかが
革命運動とかを率いたり、共産党の入党していたのが、いまでは、そういう気分には
ならず、閉じこもってしまう。小説で言えば、カフカの「変身」の主人公。
安部公房の小説の闖入されるほうの人。
積極的に権力奪取するのではなく、なされるがままに受動的に受け入れざるを得ない存在。
他者による革命をただ恐れている存在。
(なお、貧困層の家の子供が閉じこもると、食えなくなってしまうので餓死なので、
引き籠もりは原則的にある程度以上の金のある家の子だと思う)

260 :吾輩は名無しである:05/02/04 02:47:11
とあるポスコロ・カルスタサークルの長のことを聞いてくれよ。
彼は、変にフォロアーらを縛りたがるんだ。自由・のびやかさ・柔軟性、明るく元気であることなど
まですべてを罪悪視してやっつけようと必死。
しゃべり方もアジテーション気味だし。「党派」とか「プロパガンダ」とか「分断統治」とかいう表現好きだし。
いまどきの20代おわりとは信じがたいほど古いタイプの「左翼知識人」だな。まるで「生きている化石」だよ。
読書暦を追求していくと、マルクス臭がぷんぷん。
わずかでもマルクスを相対化することを語る相手に対しては、信じられないほどぶしつけで失礼な態度をとる。
ものすごく陰険な人を罠にかけるような攻撃性を発露している。
おまけに、何かあるとすぐに人をキチガイ扱いする。誰かの病歴をしゃべったり、
決まり文句のように文脈を問わず「被害妄想」「嫉妬妄想」「関係妄想」と高い声で言い立てる。
そのほか、「言いがかりだ」「何をしてもよいと思っているのか!」などと人聞きの悪いことを、
公共の場で大声で言い立てる。
周りの迷惑、恥をかかされる人の名誉、それが批判ではなく侮辱であることなどは
おかまいなしだ。
そのことを指摘・非難されても「自分は偉い。正しい。」の一点張り。
あまりに性格が壊れており、なんとか支持して修復を試みるもますます荒れてくる。
しまいにはこちらの日常生活やまともな神経が壊されそうになったので、
関わりを断ちました。
とても距離をおいてつきあえる人物ではなかったので。

261 :吾輩は名無しである:05/02/04 09:53:24
左翼、右翼なんて関係ないよ!みんな仲『よく』だよ♪

262 :吾輩は名無しである:05/02/04 11:11:56
やっぱり、ポストコロニアリズムとポストコロニアル(文学または理論)
とを別の概念として区別した方が、よいのではないのか。

263 :吾輩は名無しである:05/02/04 14:54:48
そうですね、イズムの領域に立ち入った人は、もう壊れていますもの。

264 :吾輩は名無しである:05/02/04 15:12:16
ismは別に思想とかイデオロギーではないんだが。>>263
rheumatismはリューマチ主義ではない。
magnetismは磁石主義ではない。
植民地後に特有の現象全般をポスト・コロニアリズムと総称するわけで。

265 :吾輩は名無しである:05/02/04 16:51:39
じゃ思想じゃん

あほ

266 :吾輩は名無しである:05/02/04 16:58:48
社会変動現象も経済現象も思想か。 アホ。

267 :吾輩は名無しである:05/02/04 19:32:17
たとえば、中村和恵なんかは良いセンスの持ち主だと思うんだが、
この人の文章はいわゆるポストコロニアリズムではなく、ポストコロニアル文学論
だと思う。

268 :吾輩は名無しである:05/02/05 04:02:03
>>256
ベンドオブザリバーおもろかった?コンゴだっけ?
今のところナイポールで最高はインアフリーステートなのだが読んでみようかな

269 :吾輩は名無しである:05/02/05 04:31:01
ナイポールって頭いいのはわかるけど、
厭世的すぎて読んでてイヤになってくる

270 :吾輩は名無しである:05/02/05 14:18:20
>>268 in a free stateは全部読んでいないが、おもしろいみたいね。
アメリカに行ったインド人の話がおかしかった。

でも、ナイポールをどう理解するか、受け入れるかというのが、ポストコロニアリズム
あるいはポストコロニアル理論家にとっての試金石だと思うんだよね。PCのポスコロ
だと、たんにケシカラン奴だけれど、私はそういうふうには考えたくはない。

271 :吾輩は名無しである:05/02/07 01:10:38
Rushdie, Step Across This Lineを読んだ奴いるか?

272 :吾輩は名無しである:05/02/07 10:26:15
>>271
読んだよ、しかしどちらかというとimaginary homeland のほうがオススメ


273 :吾輩は名無しである:05/02/07 10:53:31
思うに、ラシュディがポスコロぽかったのって
midnight's childrenからthe satanic verseまでの
三部作だけ(+East,West)のような気がする。
the moor's last sighからfury まではあまりポスコロ臭はないような。
ラシュディは相当西洋エスタブリッシュメントに気に入られてるから、
(とりわけファトワ以降)あまりモチベーションがないのかも名。

274 :吾輩は名無しである:05/02/07 12:27:05
imaginary homelandsは、翻訳する価値があると思うんだけれど。
これだけ「ポスコロ」と騒がれている割には、大御所作家のエッセイすら
翻訳がないのはどういうことなんだろう。

275 :吾輩は名無しである:05/02/08 00:42:45
欧米・国内以外の現代文学なんて売れないからな。
ポスコロ文学を実際読んでるのなんて一部のマニアだし。
まして、ラシュディは五十嵐氏暗殺事件があり、「真夜中の子供たち」
ですら絶版なんだからな。
とはいえ、「ジャガーの微笑み」とか「東と西」とか訳すくらいだったら
ムーアの最後のため息を訳してほしいとは思う。

276 :吾輩は名無しである:05/02/08 11:44:13
サイードも本当に読まれているのは、『オリエンタリズム』と『知識人』だけ
じゃないのだろうか。

ところで、アミターブ・ゴーシュ(読み方、これで宜しいのでしょうか?)
あたりを読んだ人いますか? 面白いの。ビルマものとか読んでみたいような
気はするんだが。

277 :吾輩は名無しである :05/02/08 15:59:18
「オリエンタリズム」と「知識人」以外に、
サイードのお薦め作品、教えて下さい。

278 :吾輩は名無しである:05/02/08 17:05:42
ポスコロは文学だけではないからだよ。>>274-275

279 :吾輩は名無しである:05/02/08 17:28:06
「ポスコロ」という表現を使うとき、普通、文学を意味しないのでは。

280 :吾輩は名無しである:05/02/08 17:31:29
既出。「植民地後に特有の現象全般をポスト・コロニアリズムと総称するわけで。」(>>264

281 :吾輩は名無しである:05/02/08 18:46:02
>植民地後に特有の現象全般をポスト・コロニアリズムと総称するわけで。

だれが、そういう定義をしたのですか。引用は正確にお願いします。




282 :吾輩は名無しである:05/02/08 18:49:34
>>281 “ism”の語法から言って、それが当然では――って話でしょ、>>264は。

283 :吾輩は名無しである:05/02/08 18:58:17
>>278
は、可哀想に、頭が悪いんだな。

284 :吾輩は名無しである:05/02/08 19:58:59
とは? >>283

285 :吾輩は名無しである:05/02/08 20:37:38
おまえら、文学板で何ほざいてんの?

286 :吾輩は名無しである:05/02/08 22:15:34
遅ればせながら、Ishiguro, When we were orphansを読んだよ。
イシグロは自分はポストコロニアル作家ではないといっているそうだが、
なるほどと思った。ポストコロニアル作家は移民の思想なんだが、
イシグロは孤児の思想なんだね。それに友となるのは、帝国主義勢力の日本の人。

287 :吾輩は名無しである:05/02/08 23:56:10
そういえば来月カズオイシグロの新作が出るな。


288 :吾輩は名無しである:05/02/09 10:29:34
Never Let me goね、
アマゾンで調べたら、CDやテープも同時発売だそうだ。
まるでハリポタみたいだ。「孤児」の映画化がされるならば、楽しみである。

ところで、Life of Piはポストコロニアル小説と呼べるのだろうか?
たぶん違うな。(これは映画化が決まっている)


289 :吾輩は名無しである:05/02/09 11:59:16
>>288
あれ映画化されんの?ビックリ。結構グロいのに。
どうすんだろ、最後の仕掛けとか・・・
しかし、実写版リチャードパーカーは見てみたい気がする。


290 :吾輩は名無しである:05/02/09 13:45:26
>>289 sixth senseの監督さんだよ。この人は、なんとポンディシェリー生まれの
インド人だから、まさにぴったりの人選だね。

291 :吾輩は名無しである:05/02/09 16:55:33
マジで!シャラマンが!(ポンディシェリ生れだなんて初めて知ったが)
確かにどんでん返しが十八番だからその点からもぴったりだな。

ブッカー賞受賞作って結構映画化されるとオスカーとったりするから
結構期待できるのかもしれない。「シンドラーのリスト」、「日の名残」、
「イングリッシュペイシェント」等のように。

インド系は最近本当に活躍してるなあ・・そういえば、モンスーンウェディング
の監督がハリポタ5の監督するって話しどうなったんだろ。


292 :吾輩は名無しである:05/02/09 20:03:18
シャラマンは終わってるよ・・

293 :吾輩は名無しである:05/02/14 13:44:18
バーバの『文化の場所』かでたよー。
上の方で『国民の散種』くらいしかいいのがない。とか言ってたけど・・・
どうなの?

294 :吾輩は名無しである:05/02/17 21:27:59
agetokimasuka

295 :吾輩は名無しである:05/02/17 23:31:02
>>250
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1042465942/

296 :吾輩は名無しである:05/02/18 20:31:19
私は、Amitav KumarのWorld Bank Literatureを購入した。
やっぱり、こういう方向に行かないとダメではないのか。

297 :吾輩は名無しである:05/02/20 23:00:32
Amitav-->Amitava の間違い

298 :吾輩は名無しである:05/02/25 03:29:38

ジェイムソン読み掲示板
http://8210.teacup.com/jamesonyomi/bbs

299 :吾輩は名無しである:05/02/25 05:55:21
サイード追悼
http://www.uchicago.edu/research/jnl-crit-inq/issues/current/currentissue.htm

300 :吾輩は名無しである:05/02/26 23:30:10
Mishra Pankaj については、どのような評価があるのでしょうか?
ナイポールの影響があるそうですが、かなりあたらしい世代です。

301 :吾輩は名無しである:05/03/01 20:14:45
ロシア研究の塩川先生(東大教授)のホームページのポストコロニアル論
には、共感を覚えました。

302 :吾輩は名無しである:05/03/02 23:10:26
現代の日本も半ば植民地みたいなものだけど、ポスコロ的には、この日本の現状はどのように語られているのでしょうか?

303 :土曜日:05/03/04 17:39:45
ナイポールのミゲル・ストリートが翻訳でているじゃないか!
今日の朝日新聞の広告

304 :吾輩は名無しである:05/03/12 21:16:57
Wrong about Japan by Peter Carey は、アマゾンcomの書評ではさんざんだが、
日本人読者はどう取るだろうか?

305 :吾輩は名無しである:05/03/15 07:15:54
無事に卑劣な社会構成主義者共を退治することができました。
これもみなさんのおかげと感謝しております。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1087575846/l50

306 :吾輩は名無しである:05/03/17 20:36:19
なあなあ、ポストコロニアルとポストモダンって全然違うもんなん?

307 :吾輩は名無しである:05/03/20 15:22:11
hage

308 :吾輩は名無しである:2005/04/14(木) 23:22:11
そろそろagetokuka

309 :吾輩は名無しである:2005/04/24(日) 11:50:51
そろそろagetokuka

310 :吾輩は名無しである:2005/04/29(金) 17:05:12
真剣にやってる人間がこの板にはいないと見た

311 :吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 20:37:25
ポスモダどもへ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1116175495/

1 名前:人文男 2005/05/16(月) 01:44:55
>ポスモダどもへ

もうおまいらには愛想がつきた。
ただでさえ大学改革の時期で人文系は予算もポストも学術誌の誌面も削られそうで頭痛いのに
さらに他分野からの信頼失うような恥さらしやがって。
世間様はポスモダでない人文系も一括して「これだから人文系は・・・」としか見てくれないんだぞ。
この責任どうしてくれる?
これで人文系全体のパイが減って俺がアカポスつけなかったらおまえらのせいだからな。
科学哲学の連中も、科学哲学ってだけでポスモダ相対主義者って思われるって怒ってたぞ。
実際の科学哲学系の連中はポスモダ嫌いが多いのにさ。
哲板の科学哲学スレ行って謝ってこいよ。

>自然科学系/社会科学系/教育行政担当者さんへ

頼むからポスモダと人文系全体を一緒にしないでください。
少なくとも私は非ポスモダの人文系です。
ポスモダ連中の処理は、そうですねえ、首都大学東京にでも一括して送り込んで、
「都市ポストモダン学部」でも開設したらどうでしょう?





312 :吾輩は名無しである:2005/05/17(火) 20:38:27
グローバリゼーションを擁護する
ジャグディシュ・バグワティ (著), 鈴木 主税 (翻訳), 桃井 緑美子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4532351405/250-8535806-5336252

1999年にシアトルで開催された世界貿易機構(WTO)会議は、暴動の勃発によ
り大荒れとなった。この事件は、グローバル化をめぐって巻き起こっている
極めて感情的な論争の、もっとも深刻な例である。グローバル化反対論者は、
児童就労から環境破壊、文化の画一化、さらには貧しい国々を苦しめる数々
の災難にいたるまで、あらゆる悪の元凶としてグローバル化を責め立てた。
そんななか、論理の明快さと筆致の鋭さで知られる世界的な経済学者、
ジャグディシュ・バグワティが、その批判を受けて立った。

適切に管理さえすれば、グローバル化は今日の世界に社会的利益をもたらす
最強の武器となるという事実が解説される。バグワティは国際経済に関する
圧倒的な知識を駆使しながら、反対派が得意げに示す例は実情と異なるもの
が多い理由を説明し、グローバル化が原因とされている問題の多くは、実は
グローバル化により緩和できるのだと説く。

313 :吾輩は名無しである:2005/05/29(日) 12:48:59
カルスタ・ポスコロ・ポモがいろんな場所で議論の対象となっています。

社会学板↓
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1116175495/
仮に研究する人生↓
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/3974/1116759980/

314 :吾輩は名無しである:2005/05/30(月) 01:09:18
安部公房の中南米文学の話はポスコロっぽかった

315 :吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 00:01:00
157 :論理が破綻したデリダ:2005/06/12(日) 15:12:58
デリダに代表される脱構築論者は、テキストの意味は作者によって特権的に決定されるものではなく、
一旦書かれたテキストは作者の手を離れ、読者による自由な解釈に開かれていると論じているはずなのに、
ここでは、ド・マンのテキストの特定の解釈が「正しい」とされ、そうでない解釈は「誤解」だと決めつけられている。
どちらが「正しい」かをいう以前に、そもそもテキストの「正しい」意味というものがあり、
その特権的な決定者は作者(ド・マン)の盟友(デリダ)だという言い方自体がポストモダニストにとって自己破壊的ではないか。

ttp://www.j.u-tokyo.ac.jp/~shiokawa/ongoing/books/deman.htm



158 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 19:07:15
いいとこついてるね。超越的なものを破壊する行為自体が超越的になってる、という自己矛盾。


159 :名無しさん@社会人:2005/06/12(日) 22:55:21
『高次の迷信』でも指摘されてたようですね(金森修『サイエンス・ウォーズ』)


316 :吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 17:41:42
【緊急】脱構築とナチズム【討論】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/philo/1118651400/

317 :吾輩は名無しである:2005/06/13(月) 19:48:36
スピヴァクなんかド・マンの弟子だったと思うけど、師匠のナチ疑惑にはなんと発言してるの?


318 :晒し者:2005/06/14(火) 09:54:56
救済の場を与える文学なんだろ?
ある面置いてけぼりされてる学問だと思わずにはいられない。

319 :吾輩は名無しである:2005/07/03(日) 23:05:47
今は、借りてきた大熊栄『サルマン・ラシュディの文学』を読んでいます。
これは、複合自我に論点を絞ったものですが、読みやすいですね。
ただし、全然ポストコロニアルではありません。

ただ、この中でちょっと面白いのは、彼にとっては西洋>東洋であると
書いてある点です。まあ、当たり前の話なんですが。こういうことを
しっかりと確認したうえでの葛藤がラシュディなのでしょう。ある意味で
正直で好感を持てます。(サイードなんかよりも)。

320 :吾輩は名無しである:2005/08/04(木) 01:42:23
クレオール礼賛買ってから全然読んでない・・・

321 :吾輩は名無しである:2005/08/13(土) 21:10:03
あげとくよ。

322 :吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 01:36:06
あまりにも安易な発言に唖然とする。

> ■[一般] 世界文学は「国民文学」から離陸した(東京外国語大学大学院教授・今福
> 龍太) (聖教8/31) 16:12
>
> 世界文学はかつてのように、「日本文学」「英文学」「フランス文学」
> 「ドイツ文学」「アメリカ文学」といったかたちで、ナショナルな国家
> 空間によって細分化されて成立していた近代文学の数世紀が終わり、さ
> まざまなやり方で「文学」という営為が国家や言語の境界を越えて旅を
> 始めたのである。
>
> 近年のイギリス最高の文学賞ブッカー賞が、カズオ・イシグロ(日本)、
> ベン・オクリ(ナイジェリア)、アルンダティ・ロイ(インド)、J・M
> クッツェー(南アフリカ)といった民族的バックグラウンドを抱えた(多
> くは旧植民地の)英語作家につぎつぎと贈られていることは象徴的である
> 。
>
> 英語とタガログ語と少数部族とが混交するフィリピンはマニラに生まれたザ
> モラ・リンマークは、やがてハワイという虹色のクレオール語の島に移住し
> て教育を受け、さらにサン・フランシスコに移り住んだ後に、ポリネシア・
> 日本・コリア・フィリピン・ベトナム・西欧といった多くの文化と言語が貢
> 献しあってできたハワイアン・クレオール語の響きを、彼独自のピジン(混
> 交言語)化した英語によってポップに甦(よみがえ) らせる。  (→→詳
> しくは聖教新聞をお読みください)


323 :吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 01:42:26
相対主義ってことで!

324 :吾輩は名無しである:2005/09/04(日) 04:29:33
つまりクレオールなら何でも(・∀・)イイ!!ということですね!

325 :土曜日:2005/10/20(木) 03:52:37
>つまりクレオールなら何でも(・∀・)イイ!!ということですね!

その通り。良くも悪くも、それがポストコロニアル文学なのだ。




326 :吾輩は名無しである:2005/11/29(火) 09:50:20
age

327 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/20(金) 09:05:29
今福龍太って土人みたいなツラしてるね クレオールなんて死ねば?

328 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/31(火) 12:44:15
嫌韓厨にとっては痛いところを突かれるからジャンルごと潰したがるだろうけども。


329 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/09(木) 21:55:41
サイードってもう亡くなっているんですね。
ところで、サイードがよく引用している、フランツ・ファノンとはどうゆう人物ですか?

330 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/02/11(土) 20:14:15
ポストコロニアルって、文芸社会学みたいな感じですか?

331 :吾輩は名無しである:2006/03/22(水) 12:10:20
>ポストコロニアルって、文芸社会学みたいな感じですか?

ちょっと違うんじゃないか。歴史学の帝国意識論で取り扱われる
文学論は、社会学と似てくると思うが。

332 :吾輩は名無しである:2006/03/23(木) 13:28:04
文学の中ではポストコロニアルはマルチカルチャルに変換が
始まってると思う

333 :吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 19:00:34
オムニというかマルチというか。
まあ「越境」とか「脱領域」とかいう語で
いまの批評の状況をあらわしてるね。
この先どうなることだろう…。

334 :吾輩は名無しである:2006/05/16(火) 21:44:54
小森陽一キモい

335 :吾輩は名無しである:2006/05/17(水) 21:32:43
Amitav GhoshのThe Glass Palace読んだ人いますか。

336 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 23:43:38
沖縄の作家又吉栄喜や目取真俊はポスコロですか?

337 :吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 04:58:07
本橋さんの登場を待ちたいところですねw

338 :矢印くん@ボインにターッチ ◆Ripvkk4JmM :2006/06/25(日) 23:55:47
まあ、エイモス・チュツオーラはマイナー文学作家としては一流ですね

339 :吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 07:01:47
実写版リチャードパーカーは見てみたい

340 :吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 07:04:26
>>337

本橋優華ブログ
http://blog.livedoor.jp/yuukamotohashi/

341 :吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 14:54:02
>>338渋いねえ

342 :吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 23:36:50
相対的=人それぞれ
重層的非決定=人それぞれ
ニヒリズム=かっこつけ
パラダイム=常識
イデオロギー=思いこみ
テクスト=文章
エクリチュール=文章
コンテクスト=話の流れ
コード=お約束
アイデンティティ=わがまま
アフォーダンス=わかりやすさ
アウラ=よくわかんないけどなんかすごい
現前性=ある
反グローバリズム=金持ちムカツク
身体性=ボクね、こう見えてもなかなか頭でっかちってわけじゃないんだなぁ。わかる?

343 : :2006/08/04(金) 01:13:36
微妙に違うものもある。

344 :吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 01:17:46
ポストコロニアルって「植民地が解かれた後」って意味でしょ?
現実に生活にかかわる在日やハーフの人以外にはあんまり日本では流行しないんじゃないの…。

345 :吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 01:21:21
だからそれとは無関係にこの分野にたずさわっている人は、たんなるシンパシーに依っているとしか言えないのではないか。
他者なんかには絶対になり替われないという個の問題を日本人はまだまだ心底理解できない。
まあ当面は「それが日本のアイデンティティだ」となるのだろう。

346 :吾輩は名無しである:2006/08/04(金) 12:48:01
>>344
在日コリアン作家が何人も現れ、ごく当然のようにポストコロニアル文学作品を出し、
当たり前のように日本人読者に受け入れられていますが。

347 : :2006/08/04(金) 13:04:39
文字どおりの植民地じゃなくても
日本は欧米の植民地ってのは文化に関わっていれば
普通の認識なのでは。

348 :吾輩は名無しである:2006/08/22(火) 17:54:31
箱に入ってるものを触って見せたところで面白くも可笑しくもない

349 :吾輩は名無しである:2006/08/30(水) 15:54:26
リチャードパーカってあのベンガル虎の?

350 :吾輩は名無しである:2006/10/10(火) 02:03:33
agetoko-

351 :吾輩は名無しである:2006/12/10(日) 04:09:38
∩( ・ω・)∩ばんじゃーい

352 :吾輩は名無しである:2007/01/17(水) 08:07:06
kiran desaiのthe inheritance of loss読んだ奴いる?
母親より先にブッカー賞とっちゃったね。

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