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作家の処女作情報スレ

1 :1:2005/07/10(日) 17:17:32

同一スレがなさそうなので初めてスレ立てというのやってみる。
処女作にはその人の全てがあると言います。
それで自分は色々な人の処女作を読みたいと思っていますが、
処女作についての情報が欠乏しているように思い、
このようなスレを立ててみますた。

使い方としては
1.「この人の処女作は「○○」。現在××文庫の『□□』で読める」
2.「この人の処女作ってどれ?」「その人なら(以下同)」
3.「この人の処女作はこれ?」「それは文壇デビュー作。本当の処女作は(以下同)」
などなど。作家については古今東西なんでもOK。
とりあえず処女作の定義としては、「その人がそのジャンルで
正真正銘最初に書いたもの」ということで。

じゃあまず自分から、誰でもきっと知ってるレベル。
夏目漱石:『我輩は猫である』(岩波文庫『吾輩は猫である』ほか)

2 :ズン ◆ieCndECQ1E :2005/07/10(日) 17:23:21
太宰治:『思い出』(新潮文庫『晩年』ほか)

3 :1:2005/07/10(日) 17:29:28
さっそく反応があって嬉しい限り。
別に日本近代限定じゃないのでお好きな人のをどぞ。

手近にあったのでフラ文など。
フランソワーズ・サガン『悲しみよこんにちは』(新潮文庫『悲しみよこんにちは』ほか)

4 :1:2005/07/11(月) 01:40:06

む。伸びないか。。

大江健三郎「奇妙な仕事」(新潮文庫『見る前に跳べ』ほか)

5 :吾輩は名無しである:2005/07/11(月) 01:52:46
作家の処女情報スレかと思った。

また綿矢スレかと勘違いした…orz


6 :1:2005/07/13(水) 01:08:17

保守と細々と情報。とりあえず自分の手持ちを少しずつ書いていこう。

原田宗典「失透」(幻冬舎文庫『処女』ほか)

7 :1:2005/07/13(水) 01:22:58

忘れてた。
>>5
orz

8 :吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 01:57:48
このスレはここから作家の処女膜情報スレになりました。

9 :吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 02:49:56
村上春樹『風の歌を聴け』

10 :吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 19:59:27
松浦理英子 「葬儀の日」
これが処女作ってやってらんね。

11 :1:2005/07/13(水) 21:52:50

保守兼情報。書式がぶれていたので以後気を付けます。

村上龍:『限りなく透明に近いブルー』(講談社文庫『限りなく透明に近いブルー』ほか)

>>10
それって河出文庫でしたっけ?
『親指P』とかも気になるし、読んでみよう。
というか、何故「やってらんね」?

12 :吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 22:07:06
>>1
そう河出文庫です。
『親指P』より『ナチュラル・ウーマン』のが断然上なので未読ならそっちがおすすめ。
やってらんない理由は、才能ってある人にはあるんだなと思い知るから。

13 :1:2005/07/13(水) 22:14:12
>>12
応答ありがとうです。
じゃ、まず『葬儀の日』読んで、
『ナチュラル・ウーマン』も読んでみる。

14 :吾輩は名無しである:2005/07/13(水) 22:23:01
>>1
いえいえ。
スレ違いだけど、また感想など聞かせてください。

15 :吾輩は名無しである:2005/07/14(木) 13:39:15
ガルシン「四日間」

16 :1:2005/07/14(木) 22:03:44

ガルシンキター。現在最も入手容易なのは岩波文庫版でしょうか。

>>14
『葬儀の日』はゲトしますた。
今読んでる本の次の次くらいに読みます。
感想は1自らスレ違いだけどここに書こうかと。

では本日の情報。安直ながらロシアつながりで。
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー:「貧しき人びと」(新潮文庫『貧しき人びと』ほか)

17 :1:2005/07/17(日) 20:59:50

ちょっとサボってしまった。

本日はこの人。
志賀直哉:「菜の花と小娘」(新潮文庫『清兵衛と瓢箪・網走まで』ほか)
この新潮文庫版は、文壇デビュー作なども網羅してるので便利。

18 :1:2005/07/19(火) 02:10:56

うーん眠い。

本日はこの人。
池澤夏樹:「夏の朝の成層圏」(中公文庫『夏の朝の成層圏』ほか)
先んじて詩集とかエッセイとか出してるけど、小説はこれが最初だと思う。

19 :吾輩は名無しである:2005/07/19(火) 02:17:51
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1121056189/

20 :1:2005/07/26(火) 01:50:11

旅に出ていて書き込めなかった。落ちてないかな…、と見てみたら、
残ってた! けど進展無しか…。orz

本日はこの人。

吉本ばなな:「キッチン」(新潮文庫『キッチン』ほか)
角川文庫でも出ている。ベネッセの文庫版は古本屋だのみだろう。

21 :1:2005/07/26(火) 21:26:25

思うのだが、系統立ててやっていった方が良いのだろうか…。
でも、自分の渉猟物ではボチボチとやっていくしかできないな。。

本日はこの人。

森鴎外:「舞姫」(新潮文庫『阿部一族・舞姫』ほか)
これは色々出てます。懐かしき哉、高校時代(教科書で読んだ)。

22 :吾輩は名無しである:2005/07/26(火) 21:45:32
>>12
はげしく同意です。あれが20歳だかで書いた作品だと知ったことは
私が小説を書くのをやめた原因のひとつですもん。
これはかなわんなと。
スレちがいでスマソ。

23 :吾輩は名無しである:2005/07/26(火) 22:01:25
『ガルシン全集』ってなかったっけ?全1冊で。『ラディゲ全集』は絶対にあった。
当然、全1冊。

24 :1:2005/09/06(火) 05:23:51
やっと来られた…。
人大杉に陥った時の対処を考えねば。

再開1回目はこの人。

遠藤周作:「アデンまで」(講談社文芸文庫『白い人 黄色い人』ほか)
多分これが処女作(自信なし)。他に光文社文庫『わかれの船』
(宮本輝編のアンソロジー)にも収録されている。講談社文芸文庫は
高くてやってらんない、という方はこっちが良いかも。

報告。
松浦理英子『葬儀の日』読みました。
確かに処女作とは思えない完成度。
二重影譚の変形とも思えるが、細部まで漲っている
世界観の描写力がすごいと思った。逆に20代でないと
書けない種類の作品かもしれない、とも少々思った。
他にも色々読むものがあるけど、いずれ
『ナチュラル・ウーマン』も読もう。

25 :1:2005/09/08(木) 02:45:23
ところで国内の作家ばかりなのが気になる。
海外作家の処女作は調べるのも難しいし、
判明しても訳されてない場合がある。
訳されてても何年も前の全集に入っている
だけだったりでかなり困る。

愚痴はその辺にして。

司馬遼太郎「ペルシャの幻術師」(文春文庫『ペルシャの幻術師』ほか)
多分この作品はこれだけ。あとは全集か。

26 :吾輩は名無しである:2005/09/08(木) 04:45:18
高橋源一郎「さようなら、ギャングたち」もしくは「ジョン・レノン対火星人」

書いたのはジョン・レノンが先だったかな

27 :1:2005/09/13(火) 20:20:43

微妙な速度で進めます。

今日はこの人。

山本周五郎:「須磨寺付近」(新潮文庫『花杖記』ほか)
歴史小説の大御所だが、処女作は現代を舞台とした淡い恋物語。
っていうか23歳でこの境地はどうよ。

>>26
書いたのは「ジョン・レノン対火星人」の方が早いようです。
現在どちらも講談社文芸文庫で購読可能。

28 :1:2005/09/13(火) 20:25:20

書き忘れますた。

>>23
青蛾書房だか青蛾社だかいう出版社から全1巻の全集が
出ていたそうです。当然ながら現在絶版中。
復刊ドットコムで投票を集めてますが、まだ8票…。

29 :1:2005/09/19(月) 01:54:26

これまで上がった人を見ると、
はてしなく無節操だな、自分。
今日はこの人。

山田詠美:「ベッドタイムアイズ」(新潮文庫『ベッドタイムアイズ・指の戯れ・ジェシーの背骨』ほか)
お手軽。他に河出文庫でも読めます。

30 :吾輩は名無しである:2005/09/19(月) 08:32:54
辻仁成「ピアニシモ」(集英社文庫『ピアニシモ』ほか)

31 :1:2005/09/23(金) 04:19:55
>>30
支援あんがと。

じゃあ某作品で対を成すこの方を。

江國香織:「草之丞の話」(新潮文庫『つめたいよるに』ほか)
※「桃子」「409ラドクリフ」を処女作とする説もある(誰か詳細たのむ)。
ちなみに「桃子」は上記『つめたいよるに』に収録されているが、
「409ラドクリフ」は、マガジンハウス『江国香織とっておき作品集』
という本に収録されていることしか確認できず。ちなみにAmazonでは
書名『江国香織』で登録されているので、検索などの際には注意。

32 :1:2005/09/26(月) 01:16:10

ここのところ女性作家の方が多いな。
でも女性作家の方が元気という事実もあり…。

宮部みゆき:「我らが隣人の犯罪」(文春文庫『我らが隣人の犯罪』ほか)
最近ちょっとご無沙汰かな…。

33 :1:2005/10/06(木) 00:24:34

久々。今日は誰にしようかな。ネット繋がってるところと
本棚があるところが別々でちょっと面倒なんだよね。

川上弘美:「神様」(中公文庫『神様』ほか)
第1回パスカル短篇文学新人賞受賞作品。なので
同賞の最終選考作品と選考経過を収録した
『パスカルへの道』(中公文庫)でも読める。お好きな方で。

34 ::2005/10/06(木) 03:31:04
もうやめた

35 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/06(木) 14:10:41

やめない。こんな過疎なスレで邪魔しないでいただきたい。
とはいえ、先の書き込みはちょっと腐ってた。気を取り直そう。
そういう意味では34の偽1に感謝。今回は久々に男性作家。

松本清張:「西郷札」(新潮文庫『西郷札』ほか)
当時、新聞社に勤務していた経験を活かした感じの歴史小説。

36 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/07(金) 17:20:37

微妙にペースアップ。その分、自分の手持ちが
早くなくなるだけだけど。

島田雅彦:「優しいサヨクのための嬉遊曲」(新潮文庫『優しいサヨクのための嬉遊曲』ほか)
自分が持っているのは福武文庫版。彼は最近は右翼に転向したそうだ。

37 :吾輩は名無しである:2005/10/07(金) 18:46:53
http://www.reonald911.com/hosoki_068.jpg

38 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/08(土) 18:51:01

枯れ木も山の賑わい、なんてぇことを申します。

この人忘れてたなんて…。

谷崎潤一郎:「刺青」(新潮文庫『刺青・秘密』)
書いた時期は戯曲「誕生」の方が早い模様。
「誕生」は何で読めるのだろう。

39 :吾輩は名無しである:2005/10/08(土) 19:59:00
http://www.insectcompany.com/silkmoth/Ecalletalarvaport.jpg

40 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/11(火) 01:31:16

毒虫と言えばカフカであろう。しかし、
まだ彼の処女作については収録本が判らず。
知っている人がいたら御一報を。

筒居康隆「お助け」(角川文庫『にぎやかな未来』ほか)
手元にあるのはだいぶ古いものである。絶版かも。

41 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/13(木) 17:08:43

ここは文学板なわけだが、エンタメ系の作家の処女作も
ここに書いていいん…だよな? いいことにしよう。

とりあえず今日は純文学(?)作家にしておきますが。

阿部和重:「アメリカの夜」(講談社文庫『アメリカの夜』ほか)
ブルース・リーの映画観たくなる。

42 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/16(日) 17:49:03

といいつつも依然文学系。

平岩弓枝:「つんぼ」(文春文庫『鏨師』ほか)
発表時期と、あとがきや解説などから類推して、恐らく処女作。
26歳そこそこでこの完成度。松浦理英子とはまた違う戦慄。

43 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/20(木) 18:25:46

今日は久々に良い天気でよかった。

恩田陸:「六番目の小夜子」(新潮文庫『六番目の小夜子』ほか)

44 :吾輩は名無しである:2005/10/20(木) 19:49:02
吉田修一『最後の息子』

45 :吾輩は名無しである:2005/10/20(木) 21:21:35
1さん、以前松浦理英子をすすめた者です。
「葬儀の日」読んでくれてありがとうございました。

金井美恵子:愛の生活

46 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/22(土) 02:11:40

おお、支援が2件も。今日は良い日だ。
>>45さん、こちらこそ、教えてくれてありがとうございました。
『ナチュラル…』も読んだら感想書きます。

さて、今日は毛色を変えて。

Gilbert Keith Chesterton:“The club of queer trades”(創元推理文庫『奇商クラブ』ほか)
英国の大評論家が最初に著した小説がこれとのこと。
この後、有名なブラウン神父シリーズを書いていくことになった、らしい。
都会の本屋で偶然に発見。他のところで見たことがないので絶版かも。

47 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/10/22(土) 02:12:59

>>44さんにも、もちろん感謝。
吉田修一、気になってはいますが読めていません。
いつか読もうと思います。。

48 :1 ◆D2jq6/Uik6 :2005/11/06(日) 03:26:18

またけっこう日が開いてしまった。
今日は最近出た本から。

佐伯一麦:「木を接ぐ」(講談社文芸文庫『ショート・サーキット』ほか)
これが収録されている単行本は、現在入手困難かと。
文芸文庫はけっこう処女作を収録していそうなので、
調べてみる価値があると思った今日この頃。

49 :吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 04:26:08
>>20
吉本は卒業制作が何か文庫に収録されていたはず。
でもほんとうの処女作は、在学中のゼミ雑誌。
探して読むほどでもないけどな。

50 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/11/06(日) 04:31:14


前回トリップ間違えた。でも同一人物ですので。

>>49
貴重な情報ありがとうございます。
学生時代から習作を重ねてきた作家の、厳密な意味での
処女作というのは入手困難なものが多いですね。
あまり拘泥せずに頑張りたいと思います。

51 :吾輩は名無しである:2005/11/15(火) 01:40:55
今書けるような情報無いけど、あったらここに書くことにする。
川端の「掌の小説」の中に、自分の処女作のことを書いたものがあった気がする。
詳細失念。それもまた、校友会誌みたいなものに発表したんだったような。

52 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/11/15(火) 23:19:58

また人大杉。これで書き込めるのだろうか。。

53 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/11/15(火) 23:28:54

やった、成功。

今日はこの人。最近版権切れで各社から文庫が出ています。

Antoine de Saint‐Exup´ery:“Courrier Sud”(新潮文庫『夜間飛行』ほか)
邦題は「南方郵便機」。飛行機が文系的な浪漫の対象になる時代があったんだ。。
入手難度は易。他にもいくつか収録している本はあると思われます。

>>51
ありがとうございます。川端康成の処女作は何だかややこしそうなので
後回しになってしまっています。可能なら詳細をキボン。

54 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/12/01(木) 00:40:18

2週間ぶりです。やっぱりこれくらいのペースに
なってしまうか…。

今日はこの人。フランスつながりというわけでもないのですけれど。。

Lord Auch(Georges Bataille):“Histoire de L'oeil”(河出文庫『眼球譚<初稿>』ほか)
特異な構成と激烈な性の世界。まだ読みかけだけど、
とりあえず電車の中ではとても読み辛い…。
河出板がわざわざ初稿と銘打っているのは、この作品は
初稿と改稿ではかなり内容が違うからだとのこと。
改稿版は入手可能なのだろうか…。この初稿版の入手は、結構楽だと思う。

55 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/12/04(日) 23:27:01

寒くなってきた。朝夕の電車の中で本を読むけれど、
この時期は眠くなる…。

趣を変えて、今日はこの人。

城山三郎:「輸出」(新潮文庫『総会屋錦城』ほか)
経済小説の草分け(?)。意外なことに文学界出身だったんですね。。

56 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/12/20(火) 23:27:02

久々。年内にもう一度くらい書き込みたい。調べを進めよう。

今日はこの人。

三浦綾子:「氷点」(角川文庫『氷点』ほか)
小説はこれが処女作。これ以前に作者の信仰に
ついて書いた手記として「太陽は再び没せず」がある。
これは個人全集じゃないと読めなさそう。

57 :吾輩は名無しである:2005/12/21(水) 00:30:22
絲山秋子 「イッツ・オンリー・トーク」

58 :吾輩は名無しである:2005/12/22(木) 22:56:59
ばななの学部長賞受賞作は「ムーンライトシャドウ」で
単行本『キッチン』の最後に収録されていますよ。
文庫本は確か未収録。ただ単行本自体が100円で買えますから。

59 :吾輩は名無しである:2005/12/23(金) 03:43:18
>>44

ちょっと亀レスだけど…
吉田の「最息」は文壇デビュー作で、
本当の処女作は「Water」だヨ。
「Water」が文学界新人賞で落選して、
そのあとに「最息」で新人賞獲ってデビューしたんです。
まぁ、もっとも現在読むことができる「Water」は
「最息」が書かれたあとに多少手直しされて
発表されたものだと思うけど。

60 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2005/12/31(土) 19:44:58

年内最後。

今日はこの人。激しく今さらだけど、ご勘弁。来年も地道にいきます。

芥川龍之介:「老年」(角川文庫『羅生門・鼻・芋粥』ほか)
年譜からすると処女作かと。他にも収録している文庫があると
思うけれど、調べて見つかったのは角川文庫だけだった。。

>>57さん
>>58さん
>>59さん
情報ありがとうございました。
後ろお2人のような既出作家への
続報や修正情報も大歓迎です。

では、また来年。

61 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/19(木) 16:15:29
1 ◆TIr/ZhnrYI さん、あけましておめでとうございます。
落ちないとはおもいますが保守っときます。

62 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/01/24(火) 01:43:21

いい加減おそいですが、あけましておめでとうございます。
保守してくださった61さん、ありがとうございます。
本年も遅々とながら進めていこう。

60も過ぎたので、ここらで基本的な自分の方針を挙げてみる。
そんな大したものでもなくて、以下の2点だけど。
 1.意外と処女作の知られていない作家のものを優先的に挙げる
 2.その処女作を読める本として挙げるものは、現在入手可能な
   なもののうち、安価なもの(主に文庫)を優先する。
これは自分だけの方針なので、他の方は好きに書き留めて下されば良いかと。

さて、2006年最初はこの人。

樋口一葉:「闇桜」(ちくま文庫『樋口一葉小説集』ほか)
5000円札になったおかげか、この文庫が出たのは去年のこと。
それ以前にも筑摩文庫には入っていたみたいだけど、安いのはこっちか。
文語体だけど、何とか分かる範囲では。

63 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/03/09(木) 22:30:41

日々の生計に疲れているうちに大分下がってしまった。
気を取り直していきます。

今日はこの人。

町田康:「くっすん大黒」(文春文庫『くっすん大黒』ほか)
新しい文語体、というような。小噺っぽく1日で読める。

64 :吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 18:54:11
幸田露伴が『露団々』を雑誌「都の花」(1889)に発表

65 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/05/24(水) 22:21:02

こっそりと再開。

新田次郎:「強力伝」(新潮文庫『強力伝・孤島』ほか)
全集でしか読めないと思ったら、文庫になっていた。
漠然と、江戸時代の角力でも描いた作品なのかと
思ってたら、全然違っていた。。

66 :吾輩は名無しである:2006/06/21(水) 21:59:02
日本の作家ばっかじゃん

67 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/06/25(日) 18:26:07

って言われたからではないのですが、
奇しくも最近発見して読んでいるのがこの人。

Hermann Hesse:“Peter Camenzind”(新潮文庫『郷愁』ほか)
色々情報があるようだが、小説の処女作としては
これということでいい様。ヘッセ研究の先達におかれては補足されたし。

>>66
率直に申し上げて、その通りです。そも私が国内作品の方に
親しんでいるもので。…各国文学の専門家の降臨を待つ。

68 :吾輩は名無しである:2006/06/25(日) 19:23:02
なぜ童貞作と言わないのだろう。
ちょっと脱線するけど最高の処女作は何だろうね。海外作家も含めて。

69 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/06/25(日) 19:42:39

>>68
それは、「童貞峰」という言葉も「童貞航海」という言葉も
ないのと同じ理由からではないでしょうか。。
憶測ですが、山や船は擬人化されると多くの場合
女性に例えられることと関係があるのかもしれません。

最高の処女作については…何でしょうね?
まだまだ読んだ数が少ないので何とも。

70 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/06/26(月) 06:24:33
>>54
バタイユの処女作についてなんだけど、たしかに《小説の刊行年》ということを基準に
すれば、そのオーシュ卿名義の『眼球譚』 (Lord Auch. L'Histoire de l'Œil. 1928)
ということになるかもね。

ところで >>1 には、「その人がそのジャンルで正真正銘最初に書いたもの」とあるね。
そこでたとえば、《小説の執筆年》ということを基準にすると、1926年頃に書かれた
『W.–C.』 W.–C. ――まあこれは中絶作だけれど――や、1927年初頭に書かれた
『太陽肛門』 L'Anus Solaire (1931年刊)(『眼球譚 太陽肛門/供犠/松毬の眼』
生田耕作訳. 二見書房. 1971年. 所収)という選択肢もでてくるんじゃないだろうか。
また《ジョルジュ・バタイユという文筆家》を基準として見た場合に処女作となるのは、
1918年にサン=フルールの出版社から上梓された『ランスのノートル・ダム大聖堂』
(Bataille, Georges. Notre–dame de Rheims. 1918. 「ランスのノートル・ダム大聖堂」
『ランスの大聖堂』酒井健訳. 筑摩書房. 2005年. 所収)といえはしないだろうか。
もっともこれは小説ではなく、第一次大戦で疲れきったフランスの若者たちに向けて
書かれたエッセーだけれど。

71 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/06/26(月) 06:44:45
バタイユは国立古文書学校の学生でありながらラテン語が嫌いだったというね。
そこでオウィディウスの処女作を――
Ovidius Naso, Publius. Amores. ca 18 BCE.
プーブリウス・オウィディウス・ナーソー『恋愛詩』前18年以降.
(Ovidius Naso, Publius. Ovid Heroides and Amores. Loeb Classical Library, Harvard Univ Pr. 1977., 「恋の歌」『ローマ恋愛詩人集』中山恒夫訳. 国文社. 1985年. 所収)

『メタモルフォーセス』 Metamorphoses や『アルス・アマトリア』 Ars Amatoria
にくらべると、現代ではいくぶん地味な存在となってしまっているような気もする。

72 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/06/26(月) 06:54:42
あとついでに、たまたま今バルザックのスレが上がっていたので、彼の処女作を――
Balzac, Honoré de. Cromwell. 1820.
オノレ・ド・バルザック『クロムウェル』1820年.
(Balzac, Honoré de. Cromwell: tragédie en cinq actes et en verst. Princeton Univ Pr. 1925.)

かの厖大な『人間喜劇』 La Comedie Humaine の作家も、その最初の企ては劇詩であった。
ただし彼が十二歳のときに創ったというインカ帝国に題材をとった叙事詩の第一行目
「ああインカよ、ああ悲運薄幸の王よ!」 « O Inca ! ô roi infortuné et malheureux ! »
が『ルイ・ランベール』 (Louis Lambert. 1832) のなかにある。これをどう捉えるか。

73 :吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 14:56:27
レフ・トルストイ『幼年時代』(岩波文庫、新潮文庫、国土社など)

74 :吾輩は名無しである:2006/08/06(日) 19:05:31
ツルゲーネフ『パラーシャ』
Иван Сергеевич Тургенев: “Параша”

75 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/08/10(木) 15:55:01
ネタが無いけど保守で。

放蕩ものの1ですみません。
気がつけばこのスレも立ってから1年経ちました。
このペースでいくと1000なんていかないんじゃないか、
あるいは、いくとしても何年後だよ、という気がしていますが、
のんべんだらりとやっていければいいと思います。

留守中、書き込んでくださった諸氏に感謝します。
見れば海外文学に詳しい諸兄が降臨されている様子。
頼もしいことこの上なしです。

>>AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg.さん
私は主に小説を読むもので、私が単に「処女作」と云う場合、
その作者の最初の小説をさすものとご了解ください。
その小説が作者の最初の文筆的成果でない場合、
可能な限り>>56のような注釈をつけてフォローするつもりです。
また、この方針を書き込んでくださる皆さんに強制するつもりは
ありませんので、各々のご判断で書いてくださればと思います。
…それと、バタイユから始まって種々の詳細な情報ありがとうございます。
参考になりますです。。

76 :吾輩は名無しである:2006/08/24(木) 00:09:44
AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg
1 ◆TIr/ZhnrYI
ともに頑張って地道に書いてくれ。
ひそかにROM。

77 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/09(月) 07:23:13
■プルースト、マルセル (1871–1922)
Proust, Marcel. Les Plaisirs et les Jours. 1896.
プルースト『楽しみと日々』窪田般彌訳、福武書店、1986年。

小説の登場人物のうちで、バルザッシアンといってゆくりなくも思い出されるのは、たとえばそう、『失われた時を求めて』 À la Recherche du Temps Perdu におけるあの奇矯な人物シャルリュス男爵ではないだろうか。
わたしの好きな彼の評言に、「バルザックは、ほかのみんながまだ気づかないか、あるいは罪の烙印をおすためにしかせんさくしない、あの種の情熱をさえもよく知ってい〔た〕」(『ソドムとゴモラ』 Sodome et Gomorrhe、第二部、井上究一郎訳)
というのがあるのだけれども、もちろんそれは本題とは関係がない。

そしてそのマルセル・プルーストの最初の著作といえば、『楽しみと日々』 Les Plaisirs et les Jours ということになっている。
これは「ル・ゴーロワ」 Le Gaulois 紙やリセ・コンドルセ時代の友人たちとの文藝同人誌「饗宴」 Le Banquet に発表された詩的散文を柱としてまとめられた、絵画的な作品集だ。
さらに収録された十篇の作品をみると、孤児の少女が恋をし、成長して社交界にかかわってゆくさまを描いた、「ヴィオラントあるいは世俗の華」 Violante ou la Mondanité と題する一篇が、最も若い1892年8月という日付を刻んでいる。
(もっとも、彼にはさらに年少の時期になる批評などがないわけではないが、これはしばらく措くとしよう。)
「ある作家を読みはじめると」とプルーストはいっている。「私はすぐ、ほかの作家のとははっきり違った唄の節を、歌詞の陰に苦もなく見分けたものだった。」(『サントブーヴに反論する』 Contre Sainte–Beuve、出口裕弘・吉川一義訳)
これは彼自身についてもはっきりといえることだろう。
なるほど若書きの書ではあるかもしれないが、『楽しみと日々』の諸篇が奏でる響きは、『失われた時』の作家のものにほかならない。

78 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/11(水) 06:21:01
■ウェルギリウス・マロー、プーブリウス (70 BCE–19 BCE)
Vergilius Maro, Publius. "Catalepton." Appendix Vergiliana. c. 50 BCE.
ウェルギリウス「カタレプトン」『アペンディクス・ウェルギリアーナ』
Virgil. Aeneid 7-12, Appendix Vergiliana. Trans. H. R. Fairclough, and G. P. Goold. Loeb Classical Library. Cambridge, MA–London: Harvard University Press, 2001.

オウィディウス(43 BCE–c. 17 CE)[>>71]は、アウグストゥスの怒りを買い、黒海沿岸へ追放の憂き目にあった『悲しみの歌』 Tristia のひとであった。
他方でウェルギリウスは、同じ黄金時代のラテンの大詩人でも畢生の大作『アエネーイス』 Aeneis によって彼から期待されていたわけで、まことに果報者といえよう。
もっとも、わたしに好感がもてるのは、『アエネーイス』よりもむしろあの美しい『農耕詩』 Georica なのだけれども、それについては別のところに書いたように思うから繰り返さない。

プーブリウス・ウェルギリウス・マローの「カタレプトン」 Catalepton は、彼の若き頃の自伝的要素を含んだエピグラム集で、十数篇からなり、ふつう他の雑詩篇とともに、『アペンディクス・ウェルギリアーナ』 Appendix Vergiliana の名の下に括られる。
しかしながら、それらの他の雑詩篇は、いずれも青年詩人たちの共同制作による偽作とおぼしい。
したがって『アペンディクス』のなかでは、「カタレプトン」――とりわけ修辞学を学んでいたころに関係する第五歌、クレモーナの地に触れた第八歌や第十歌――こそが、ウェルギリウスの処女作といってよいだろう。
ちなみに第十歌は、わたしの好きなカトゥッルス Gaius Valerius Catullus のパロディとなっていることを、ついでに付言しておきたい。

けれども、依然として「カタレプトン」にも疑わしきものが含まれているという見方にも立てるわけで、これを除外するとなれば、最初の著作は、やはり『詩選(牧歌)』 Eclogae (Bucolicae) ということになる。

Vergilius Maro, Publius. Eclogae (Bucolicae). c. 37 BCE.
ウェルギリウス「牧歌」『牧歌・農耕詩』河津千代訳、未來社、1981年。
ウェルギリウス「牧歌」『牧歌/農耕詩』小川正廣訳、京都大学学術出版会、2004年。

79 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/13(金) 10:08:14
■ホフマン、エルンスト・テーオドール・アマデーウス(1776–1822)
Hoffmann, Ernst Theodor Amadeus. Cornaro, Memoiren des Grafen Julius von S. 1795.
ホフマン『コルナロ、伯爵ユーリウス・フォン・Sの回想』

オウィディウス[>>71]の『祭暦』 Fasti 六月一日の項に、ストリクス Strix という名の風変わりな鳥がでてくる。
「大きな頭、見開いた目、獲物をさらうにすぐれた嘴、白斑の入った翼、そして鈎爪を備えています。
夜に飛び出して、乳母のついていない子供を襲い、揺籃からさらった体に悪さをします。
うまそうな血のしたたる内臓を嘴でついばむそうですし、喉には飲んだ血がいっぱいに詰まっています。」(『祭暦』第六巻、高橋宏幸訳)
ホフマンの名高い『砂男』 Der Sandmann に語られる、あの恐ろしいドイツ民間伝承の原型は、じつはここにあるのだという。

エルンスト・テーオドール・アマデーウス・ホフマンの処女作はといえば、1795年に書かれた小説『コルナロ、伯爵ユーリウス・フォン・Sの回想』 Cornaro, Memoiren des Grafen Julius von S. ということになるだろう。
同年、彼は『神秘の人』 Der Geheimnisvolle という作品も執筆している。
しかし残念なことに、両作品ともテキストは散逸して伝わらない。
1803年には、雑誌に『首都の友人に送る修道士の手紙』 Schreibens eines Klostergeistlichen an seinem Freund in der Hauptstadt を発表しており、これが彼の最初に活字になった作品ということになる。
ただしこれはエッセーである。
そして彼が『リッター・グルック』 Ritter Gluck のために筆を執るのは、さらに五年後の1808年になってからのことである。
この小説は、翌1809年「音楽報知」 Allgemeine Musikalische Zeitung 紙に発表された。
ホフマン三十三歳のことである。

Hoffmann, Ernst Theodor Amadeus. Ritter Gluck. 1809.
ホフマン「騎士グルック」深田甫訳、『ホフマン全集 1』創土社、1976年。
ホフマン「騎士グルック」鈴木潔訳、『ドイツ・ロマン派全集 3 ホフマン』国書刊行会、1983年。

『グルック』にもみられるように、彼の音楽への情熱は尋常ではない。
のちに『クライスレリアーナ』 Kreisleriana で示したように、音楽によってのみ自然や霊界の高等な歌が理解できる、ということなのだろう。

80 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/14(土) 07:42:02
■フロベール、ギュスターヴ(1821–1880)
Flaubert, Gustave. Louis XIII. 1831.
Flaubert, G. « Louis XIII. » Œuvres Complètes, tome 1: Œuvres de Jeunesse. Paris: Gallimard, 2001.
フロベール『ルイ十三世』

『楽しみと日々』[>>77]のなかの一篇「ブヴァールとペキュシェの世俗趣味と音楽狂」 Mondanité et Mélomanie de Bouvard et Pécuchet には、フロベールの奇妙なふたりの人物が駆り出されている。
そのはしゃぎようからも、彼らをことのほか愛してやまなかったらしい、若きプルーストの底知れぬ感性がうかがえる。
フロベールの絶筆『ブヴァールとペキュシェ』 Bouvard et Pécuchet の作品世界に遊ぶことに悦びをおぼえる者は、いまの世にも尠くないであろう。

「一つ歴史を編んでみようとは思わないかね?」……「ダングレーム公爵の一代記を書こうじゃないか?」「あんな馬鹿殿樣をか!」……
「かまうものか! 二流の人物だって時に大きな影響力をもつことがあるし、あの男はおそらく事件の原動力を握っていたんだぜ。」(『ブヴァールとペキュシェ』鈴木健郎訳)

ギュスターヴ・フロベールは、はじめに歴史を編んだ。
処女作『ルイ十三世』 Louis XIII は、1831年、彼がわずか九歳のときに書かれた史的作品で、プレイヤード版の全集でも華々しく劈頭を飾る。
彼は自身を、作中で同年齢におかれた幼き王になぞらえているらしく、この作品が彼の母親に捧げられているというところも、またなんともかわいらしい。
たしかに修行期の幼い筆でしかないが、わたしたちは、この瑞々しい歴史絵巻の世界に、彼が生涯育てつづけた資料への偏執と、歴史に対する情熱の花の萌芽をみてとることができるだろう。
しかし彼は歴史学者のようには書くのではない。
「解剖学者と生理学者とを、私はフローベール氏のあらゆる部分に見出すのである。」(サント=ブーヴ『月曜閑談』 Causeries du Lundi 土井寛之訳)
そうした器用な資質から生み出される精密な描写の秘密は、やはり彼の類いまれな藝術的想像力と深く係わりがありそうだ。
彼がのちにあの周到な『サランボー』 Salammbô と、モノマニアックな『聖アントワヌの誘惑』 La Tentation de Saint Antoine を書かねばならなかったのも、ゆえなしとしない。

81 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/17(火) 08:09:27
■ シラー、ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ(・フォン) (1759–1805)
Schiller, Johann Christoph Friedrich (von). Die Christen. Absalon. 1772.
シラー『キリスト者』『アブサロン』
――――――――――――――――――――――――――――――
浩瀚な資料に依拠して筆を執るにしても、
フロベール[>>80]の場合はそもそも学者ではなく
あくまでも藝術家として挑んだのであって、
そうでなければ『サランボー』におけるカルタゴの詩美や、
『聖アントワヌの誘惑』の奇怪な幻想の花が咲くことはなかったであろう。

ドイツ古典主義文学を代表する作家であるシラーもまた、
厖大な文献を渉猟し、徹底的に解析したうえで詩文を綴ったわけであるが、
彼の場合は、イェーナ大学に職を得た専門の歴史学者でもあったわけで、
その考証的な姿勢は、まことに端倪すべからざるものである。
しかしそうはいっても、戯曲をなすのに史実に拘泥してしまっては、
作品に生命を吹き込むことはなかなか困難となるのであり、
たとえば『マリーア・シュトゥーアルト』 Maria Stuart におけるメアリーにせよ、
『オルレアンの乙女』 Die Jungfrau von Orleans におけるジャンヌ・ダルクにせよ、
史実とは異なりながらも、あのように水晶のごとく透きとおり輝いているのは、
やはり彼の稀有の詩人的素質がなせる業であろう。

シラーはさまざまな才能に秀でたひとで、戯曲、詩、小説、歴史論文、美学藝術論文、
哲学論文、そして翻訳(彼がウェルギリウス[>>78]を訳すにあたって、
『農耕詩』 Georgica ではなく『アエネーイス』 Æneis を選択したのは、
個人的に残念だけれども)と、多方面の仕事をじつに器用にこなしていることには、
ひたすら感服させられる。
当初ゲーテが彼をこころよく思っていなかったことの心理的要因の一端は、
もしかするとその辺りにもあるのではないか、などと
たわむれに想像したりもするのだが、どんなものだろうか。

――とまあ、勝手な与太ばかり飛ばしていても仕方がないから、本題へ進むとしよう。

82 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/17(火) 08:50:02
(承前)
はじめヨーハン・クリストフ・フリードリヒ(・フォン)・シラーをして
詩作にむかわせたのは、つまらぬことに時間を浪費すべきではない、
という母親の戒めであったという。
そうした彼の処女作は、弱冠十三歳のときにあらわれることになる。
1772年に書かれた悲劇『キリスト者』 Die Christen および『アブサロン』 Absalon
がそれである。しかし、これら二篇の戯曲のうちのいずれが先かは、判然としない。
いずれにせよ、現在伝えられるのはそれらの標題のみである。
詩篇では、同1772年4月に、ラテン語とドイツ語の詩作二篇が両親に捧げられているが、
テキストは伝わらない。哀歌『夕べ』 Der Abend は、その四年後1776年のものである。

散文のほうでは、1779年には『生理学の哲学』 Philosophia Physiologiae と題する
ラテン語の論文が学校に提出されるが、医学の権威を攻撃していたため非受理となる。
これは最初ドイツ語で書かれたが、現存テキストが初稿のものとは確定していない。
翌1780年になると、いわく付きの『人間の動物的性質と精神的性質との関連性』
があらわれる。
このエッセーは宗教上の問題で物議を醸し、彼は士官学校を追われることになった。

Schiller, J. C. F. Zusammenhang der Tierischen Natur des Menschen mit Seiner Geistigen. 1780.
シラー「人間の動物的性質と精神的性質との関連について」植田敏郎訳、『シラー選集 2』新関良三編、冨山房、1942年。

彼には数篇の小説もあるが、1782年の『寛大なる行為――最近の出来事より』
Eine großmütige Handlung, aus der neuesten Geschichte が最も早いようである。

さて、シュトルム・ウント・ドラングの記念碑として名高い戯曲『群盗』 Die Räuber
であるが、すでに士官学校時代の1777年には、その最初のシーンが着手されている。
しかし完成作が発表となるのは、その四年後の1781年(初演は1782年)のことである。
失われた約十年前の二篇『キリスト者』『アブサロン』を除外するとなれば、
これ作品が最初の戯曲ということになるだろう。

Schiller, J. C. F. Die Räuber. 1781.
シラー『群盗』久保栄訳、岩波文庫、岩波書店、1958年。

83 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/20(金) 03:37:58
■ ラシーヌ、ジャン=バティスト (1639–1699)
Racine, Jean–Baptist. Le Paysage, ou les Promenades de Port–Royal des Champs. c. 1665.
Racine, J. Œuvres complètes, tome I. Paris: Gallimard, 1999.
ラシーヌ『風景、あるいはポール=ロワイヤル散策』1655年頃。
――――――――――――――――――――――――――――――
シラー[>>81-82]を評して語られるときの紋切型の表現のひとつに、
理想主義というのがあるけれども、なるほどたとえばショーなどと比較しても、
『オルレアンの乙女』におけるジャンヌは、ひときわ崇高に描かれている。
その意味では、時代も処も隔たるにせよ、彼をコルネイユと比較してみるのも興味深い。
一方、そのコルネイユととかく比較されがちなラシーヌの場合は、
これもしばしばいわれるように、悲痛ながらも人間の真実の姿を描くという点で、
わたしたちをして感歎させずにはおかない。
ラシーヌには「人が周圍の人々において認める事柄、自分の裡に感ずる所の事柄の方が
より多くある。」(ラ・ブリュイエール『カラクテール』 Les Caractères 関根秀雄訳)

1655年、寄宿学校を出たジャン=バティスト・ラシーヌは、それ以前にもいた
ポール=ロワイヤル修道院付設の学校にて、ふたたび峻厳な教育を授かることになる。
同1655年、かねてより彼の地の麗しき景色に魅せられていた彼は、
そのポール=ロワイヤルに、詩集『風景』 Le Paysage を捧げている。
成立は1656年から1658年あたりにかけてという意見もみられるが、いずれにせよ、
この詩集こそが彼の処女作であり、全集の雑詩篇の部にも冒頭に置かれる。
少年ラシーヌが、この作品を通じてポール=ロワイヤルを案内してくれるわけだが、
収録された七篇の標題が訪問先を語ってくれているから、ついでに示しておこう。
「ポール=ロワイヤル頌」 Louanges de Port–Royal en général 、「概観」 Le Paysage en gros 、
「林の叙景」 Description des bois 、「池」 L'Étang 、「草原」 Les Prairies 、
「群牛闘牛」 Des Troupeaux et d'un combat de Taureaux 、「庭園」 Les Jardins
――こうしたコースになっている。

84 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/20(金) 03:40:05
(承前)
――しかしまあ、何といっても彼は劇詩人であろうから、戯曲のほうをみてみよう。
まず最初の企てとして、1660年に書かれた悲劇『アマジー』 Amasie があり、
翌1661年には『オウィディウスの恋人たち』 Les Amours d'Ovide が書かれている。
しかし、これら二作は上演されることもないまま、今日ではテキストは散佚している。
そしてわたしたちの手に残されている『ラ・テバイッドあるいは敵対する兄弟』が、
モリエールの支援を受けて、彼の一座によりパレ・ロワイヤルで上演されるには、
1664年を待たねばならなかった。

Racine, J. La Thébaïde ou les Frères Ennemis. 1664.
ラシーヌ「ラ・テバイード」鬼頭哲人訳、『ラシーヌ戯曲全集 I』伊吹武彦・佐藤朔編、人文書院、1964年。
ラシーヌ「ラ・テバイッド」渡辺清子訳、『世界古典文学全集 48 ラシーヌ』筑摩書房、1965年。

同時代のセヴィニェ夫人(1626–1694)は、その次の作品である『アレクサンドル大王』
Alexandre le Grand (1665年初演)や『アンドロマック』 Andromaque (1667年初演)
といった初期の戯曲を妙にほめているようだが、わたしの場合は、むしろ劇壇引退後に
書かれた神聖なふたつの作品、すなわち音楽的な『エステル』 Esther (1689年初演)と
宿命的な『アタリー』 Athalie (1691年初演)とに、彼の詩魂の円熟の達成をみる。
いずれにせよ、彼の作品は、二十一世紀に生きる者の心をも捉えて放さないのであって、
「ラシーヌは〔彼の愛人である女優の〕シャンメレのために芝居を作るのです。
後世のためではありません」(『グリニャン夫人宛書簡』 Lettre à Mme de Grignan
吉田郁子訳)とは、少々いい過ぎであろう。
処女作のころ、ポール=ロワイヤルで熾烈なる信仰心と深きギリシア古典の素養を
身につけた彼は、ついに「かつて異教徒がその邪神をたたえて歌うのに用いた合唱部を、
真の神をたたえて歌う」(『エステル』序文、戸張智雄訳)までに至るのである。
最後の戯曲『アタリー』の筆を擱いて以降も、彼は処女作を捧げた忘れがたき
ポール=ロワイヤルへの想いをさらに募らせ、1693年に『ポール=ロワイヤル略史』
Abrégé de l'Histoire de Port–Royal を綴りはじめる。

85 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/22(日) 00:30:00
誤記訂正

訂正箇所: >>83 本文2行目末尾
誤: 1665.
正: 1655.

86 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/22(日) 00:37:16
■ セネカ、ルーキウス・アンナエウス (c. 4 BCE/1 CE–65 CE)
Seneca (minor), Lucius Annaeus. De Motu Terrarum. c. 30s.
セネカ『地震について』30年代頃。
――――――――――――――――――――――――――――――
一面ではエウリーピデースの弟子とでも称すべきラシーヌ[>>83-84]ではあったが、
彼の作品にセネカの影が色濃く射していることを、わたしたちは無視できぬであろう。
たんに『フェードル』 Phèdre のみならず、ルネサンス以降の文藝にみられる
セネカの悲劇受容については、いまさら喋々するまでもなく甚大である。

そのルーキウス・アンナエウス・セネカの処女作だが、特定は厄介である。
執筆時期がもっとも早い著作には、まず、彼がエジプトからローマに戻ってきて以降の
ティベリウス帝治世(14–37年)の末期からカリグラ帝治世(37–41年)にあたる時期、
そのおよそ十年のあいだに書かれたとされる三作がある。
すなわち『地震について』 De Motu Terrarum 、『石の本性ついて』 De Lapidum Natura 、
『魚の本性について』 De Piscium Natura である。
いずれもテキストは散佚しており執筆順も未詳だが、このうち『石の本性ついて』と
『魚の本性について』については、真作としては見送られる場合がある。
最近の『断片集』(Vottero, D. ed. L. A. Seneca: I Frammenti. 1998)にも
他の作家が言及している作品として標題が掲げられ、
さらに現存する『自然に関する諸問題』 Naturales Quaestiones にも
その改訂稿の巻が設けられているのは、『地震について』なのである。

ところが、名のみ伝わる作品に『エジプトの地誌と宗教儀礼について』
De Situ et Sacris Aegypiorum というのがあって、仮にエジプト滞在中
(25?–31年)に書かれたものだとすれば、これが処女作となる。

さらにほかにも、失われた作品には『インドの地誌について』 De Situ Indiae 、
『宇宙の形状について』 De Forma Mundi 、『義務について』 De officiis などがある。
このうち『宇宙の形状について』は、コルシカ島流刑期(41–49年)以降に書かれたと
推測されるが、その他のいずれかが処女作である可能性も否定できない。

87 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/22(日) 01:23:17
(セネカ――承前)
それでは現存するなかでの最古の著作は何かといえば、
『マルキアに寄せる慰めについて』ということになる。
成立年については諸説があり、古代ローマ研究の碩学ピエール・グリマルによれば、
カリグラ統治末期の39年から40年の成立である(『セネカ』 Sénèque)。
ほかにジャンコッティの、カリグラ帝即位(37年)のあとの数年後とする説などがある
(『セネカ「対話篇」年代記』 Cronologia dei « Dialoghi » di Seneca)。

Seneca, L. A. Ad Marciam de Consolatione. c. 39–40.
セネカ「マルキアあて、心の慰めについて」茂手木元蔵訳、『セネカ 道徳論集(全)』東海大学出版会、1989年。
セネカ「マルキアに寄せる慰めの書」大西英文訳、『セネカ哲学全集 1 倫理論集 I』岩波書店、2005年。

内容は、息子を亡くしたばかりの貴婦人に宛てて書かれた
「慰藉文(コンソラティオ)」である。

「マルキア様、もし私があなたのことを知らなかったならば、
つまりあなたは女の心の弱さからも、
その他の欠点からも同じように遠ざかっているということや、
あなたの性格が言わば古の有徳の一典型と同じように見なされているということを
知らなかったならば、私はあえてあなたの悩みを
――その悩みには男たちでさえ執着し、屈服しがちなほどですが――
除こうとはしなかったでしょう。……」(茂手木元蔵訳)

『倫理論集』 Moralia 所収のこの作品にしろ、モンテーニュが初期に『エセー』 Les Essais
の種本にした『ルーキーリウス宛倫理書簡集』 Ad Lucilium Epistulae Morales にしろ、
おしなべて彼の哲学的著作は、難解なストア哲学論文のようなものというよりは、
書簡体で書かれたエッセーといってよいであろう。
「セネカのルキリウス宛の書簡は」とフランシス・ベーコンが書いている。
「よく注意してみますと、エッセーズ――すなわち書簡体で表現されていますけれども、
散漫な省察にほかならないからであります。」(『随想録』 Essays 渡辺義雄訳)

88 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/10/22(日) 01:39:02
(セネカ――承前)
しかし、これら上記の作品は、みな自然科学や哲学に分類される著作であって、
ではラシーヌ、コルネイユ、シェイクスピア、マーロウ、マーストン、グリーンなど、
彼らが影響を受けた戯曲はいつ書かれたのか――その特定はいっそう困難を極める。

セネカは、41年から49年までのあいだ、クラウディウス帝(在位41–54年)により
コルシカ島へ流刑となるが、彼の戯曲はこの時期に集中して書かれたのではないか、
とする見方がある(Dingel, J. Seneca und die Dichtung. 1974)。
すなわち彼の悲劇は、追放の身の絶望と悲しみのなか、
ストア哲学への懐疑とともに綴られた、というのである。
また、そのうち何篇かは59年か60年頃に書かれたとも推測されている。

いずれにせよ、正確な執筆年と執筆順序は未詳であり、たしかにいえることは、
今日伝わる最も古い十一世紀の写本 Codex Etruscus は『〔狂える〕ヘルクレース』
Hercules [Furens] を最先頭に配置している、といったことくらいであろう。
その内容だが、ヘルクレース(ヘーラクレース)が最後の仕事である冥界降りを終え、
冥界の番犬ケルベルス(ケルベロス)を連れて地上に帰還する日の物語である。
エウリーピデースの『ヘーラクレース』 Ηρακλής を範としているが、
比較して読んでも面白く、セネカのヘルクレースはいっそう激しい狂気にみちている。

Seneca, L. A. Hercules [Furens]. c. 41–49?
セネカ「狂えるヘルクレス」小川正廣訳、『セネカ悲劇集 1』京都大学学術出版会、1997年。

ところで、セネカを追放したクラウディウス帝が死んで神格化されたときに、
彼が戯文を書いたのは有名であろう。
『神君クラウディウスのひょうたん化(アポコロキュントーシス)』がそれであるが、
このセネカ唯一の諷刺短編は、すなわち54年の執筆ということになる。
花田清輝がこれを「いまは散佚してみるよしもない」(「変形譚」『復興期の精神』)
と断言しているのだが、いったいどうしたことだろう。もちろんテキストは現存する。

Seneca, L. A. Αποκολοκύνθωσις Divi Claudii. 54.
セネカ「アポコロキュントシス」国原吉之助訳、ペトロニウス『サテュリコン』岩波書店、1991年。

89 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 04:13:00
■ モンテーニュ、ミシェル・ド (1533–1592)
Montaigne, Michel de. « 28 février [1533]. » c. 1553. Le Livre de Raison de Montaigne sur l'Ephemeris Historica de Michael Beuther. 1551–1591.
モンテーニュ「家事録 n° 1」『モンテーニュ全集 9 モンテーニュ書簡集』関根秀雄訳、白水社、1983年。
――――――――――――――――――――――――――――――

十六世紀後半から十七世紀前半にかけて、とりわけフランスにおいて一世を風靡した
観のあるセネカ[>>86-88]であるが、なにも彗星のごとく出現したわけではない。
すでに中世の暗闇のなかでヒエローニュムス Eusebius Sophronius Hieronymus や
ラクタンティウス Lucius Caelius Firmianus Lactantius らがこの異教の哲人を賛美し、
名だたる初期キリスト教教父たちが
セネカの思想のうちに彼らの哲学的瞑想との一致を見出して以来、
彼はいわゆる「生来的にキリスト者精神をもつ者」 Anima Naturaliter Christiana
として見做されてきていたという経緯がある。

そうした背景を考慮したにせよ、ミシェル・ド・モンテーニュがセネカ
――とりわけその『ルーキーリウス宛倫理書簡集』――から受けた影響は、
度はずれているといってよいであろう。
主著『ミシェル・ド・モンテーニュのエセー』 Les Essais de Michel de Montaigne
におけるセネカからの引用は、『ルーキーリウス宛倫理書簡集』にかぎっても、
じつに298箇所にもおよぶのである(後述ヴィレによる)。

またひるがえって考えてみるに、モンテーニュほど後世さまざまな著名人に影響を与え、
手垢にまみれ、語り尽くされてきた感のある文筆家もそう多くはあるまい。
しかし、あまりに人口に膾炙しすぎたせいか、つとに十九世紀においてサント = ブーヴ
Sainte–Beuve (『新月曜閑談』 Nouveaux Lundis )が指摘したように、
モンテーニュ研究は、すでに久しきにわたって、いわば暗闇に淀んだ泉のなかで
停滞していたのである。
そこに新たなる光を当てたのがピエール・ヴィレ Pierre Villey の記念碑的労作
『モンテーニュのエセーの典拠と発展』 Les Sources et l'Évolution des Essais de Montaigne
(1908年初版、1933年改訂版)であった。

90 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 04:29:20
(モンテーニュ――承前)

「士大夫の文學は詩と隨筆にほかならない」と石川淳が書いている。
「隨筆の骨法は博く書をさがしてその抄をつくることにあつた。
美容術の祕訣、けだしここにきはまる。」(「面貌について」『夷齋筆談』)
しばしば元祖エッセイストのごとく称されることのあるモンテーニュであるが、
むろん彼は中華の士大夫でも和朝のそれでもないにせよ、
死ぬまで『エセー』全体にわたって象嵌の手を休めなかったのである。
そうであれば、荷風散人とは異なり、面貌を崩さぬだけの美容術だけは生涯しかと
備えていたにちがいないと信じたくなるのは、なにもわたしばかりではないであろう。

まあ、いまはそんなことはどうでもよろしいが、いったいモンテーニュのように
「博く書をさがしてその抄をつくる」作家――とくに初期の『エセー』諸章には
そうした通奏低音が鳴り響いている――、すなわち書物から書物を作るようなタイプの
文人としてスタートしたひとを知ろうとする場合に、まずは蔵書目録を整備し、
つぎに著述中にあらわれる典籍を細大もらさず網羅したインデックスを作成し、
そして彼がいついかなる文献を利用していたかを徹底的に解明するのが重要である
ということは、あらためて申すまでもなかろう。

ヴィレの心眼は、モンテーニュの思想の変遷を探るにあたって、まさしくそうした
必然の角度から見つめようとするのであった。
「そのためには、これまで以上に『エセー』の源泉をもっと明確に知り、
モンテーニュがどのような書物から着想を得ていたのかがわからなければならない。
実際、こうした源泉を知ることで、われわれは執筆年代に関していろいろと教えられるだろう。
[……]こうしてモンテーニュがいかなる書物を読んだかを明らかにできれば、
彼の思想が辿った道程を跡付け、彼の思想に与えたもろもろの影響を明確に指摘しながら、
その変化のさまを理解していくことができるようになるであろう。」
(『モンテーニュのエセーの典拠と発展』序、飯田年穂訳)
初版はおよそ百年も昔の古典的論攷であり、彼の手法には批判も続出しているが、
いまもってその存在価値は失われていないといってよろしかろう。

91 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 04:44:04
(モンテーニュ――承前)

ヴィレによると、『エセー』のなかで最初期の執筆にかかるものは、
隠栖直後の1571年か1572年のものとおぼしき
第一巻第二十章「哲学するとはいかに死ぬかを学ぶこと」
Que Philosopher C'Est Apprendre à Mourir 、
および第一巻第三十二章「神意を判断するには節度をもってなすべきこと」
Qu'Il Faut Sobrement Se Mesler de Juger des Ordonnances Divines
の二篇ということになる。(エセー各版の増補改訂については、ここでは考慮しない。)

モンテーニュ『エセー 〔1–6〕』原二郎訳、全六冊、岩波文庫、岩波書店、1965–1967年。
モンテーニュ『モンテーニュ全集 〔1–7〕 モンテーニュ随想録』関根秀雄訳、全七冊、白水社、1982–1983年。

ついでに初期(1571/1572年から1574年)に書かれた章を、概括的に挙げておこう。
第一巻では、第二章から第二十三章、第二十七章の主要部分、第三十二章から第四十八章、
また第二巻では、第一章から第六章である。

ちなみに上記の最初期の二篇において、
ヴィレが執筆年代を決定する際の根拠とするモンテーニュの利用文献をみると、
やはりそこにはセネカ(『ルーキーリウス宛倫理書簡集』『〔狂える〕ヘルクレース』)や
キケロー Marcus Tullius Cicero (『トゥスクルム荘対談集』 Tusculanae Disputationes
『最高善と最大悪について』 De Finibus Bonorum et Malorum)
といったストア派の哲人たちがいるし、
また、ルクレーティウス Titus Lucretius Carus(『物の本質について』 De Rerum Natura)だとか
ホラーティウス Quintus Horatius Flaccus(『書簡詩集』 Epistulae 『歌章』 Carmina)
といった偏愛のラテン詩人たちの比率も高い。
ちなみに後年頻出するプルータルコス Πλούταρχος は、
まだ『対比列伝』 Βίοι Παράλληλοι からわずかに一箇所である。

92 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 05:04:28
(モンテーニュ――承前)

ところが、これらの章よりもあきらかに古い時期に書かれた内容が
『エセー』中に含まれている事実に、わたしたちはただちに気付くのである。
彼の蔵書であるグイッチャルディーニ Francesco Guicciardini 『イタリア史』 Storia d'Italia 、
フィリップ・ド・コミーヌ Philippe de Commines 『ルイ十一世およびシャルル八世治下の回想録』 Mémoires sur les Règnes de Louis XI et de Charles VIII 、
ギョーム&マルタン・デュ・ベレ Martin & Guillaume Du Bellay 『回想録』 Mémoires
――モンテーニュは、これらの余白に彼自身が記した書評あるいは私註のごときものを、
『エセー』第二巻十章「書物について」 Des Livres のなかに転載している。
この章が書かれた時期は、ヴィレによると1579年から1580年初めということになるが、
典拠であるそれらの書評は、モンテーニュ自身の証言によれば、それより
「十年ばかり前」(『エセー』第二巻第十章、原二郎訳)のことだというから、
1569年から1570年初めごろに書かれたものなのである。

さらにいえば、初期のの諸章もまた、よかれあしかれ、
こうしたいわば読書ノートに匹敵する内容であることを、わたしたちは知っている。
そうであれば、わたしたちはここで、上記『エセー』中に転載されたものよりも
古い時期に記されたノートが残されていることを、思い出しておかねばなるまい。
すなわち、たとえば1564年ごろに書き込まれたと推測されるニコル・ジル Nicole Gilles
の『フランス年代記』 Les Annales et Chroniques de France への百三十箇所以上
にもおよぶ註解や、ルクレーティウスの『物の本質について』に付された
1564年の日付のある書き込みの存在である。
これらはみな翻刻され、今日テキストとして公刊されているのである。

Montaigne, Michel de. « Annotations sur les Annales de Nicole Gilles. » Œuvres Complètes de Michel de Montaigne. Vol. 12. Éd. Arthur Armaingaud. Paris: Conard, 1924–1941.
Screech, Michael Andrew. Montaigne's Annotated Copy of Lucretius: A Transcription and Study of the Manuscript, Notes and Pen–Marks. Genève: Droz, 1998.

93 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 05:20:28
(モンテーニュ――承前)

時系列で多少前後するが、そもそも彼の最初の出版物は『エセー』(1580年初版)ではなく、
1569年に上梓されたレーモン・スボン Raymond Sebond (Raimundus de Sabunde/Sabiende/Sabonde/Seybond)
『自然的神学あるいは被造物の書』 Theologia Naturalis sive Liber Creaturarum
(原著1434–1436年成立)の翻訳書『羅仏新訳レーモン・スボンの自然的神学』
La Théologie Naturelle de Raymond Sebon docteur excellent entre les modernes,
en laquelle par l'ordre de Nature est démontrée la vérité de la Foy Chrétienne & Catholique
traduite nouvellement de Latin en Français
ではなかっただろうか。
父親宛の書簡形式で書かれたその序文の日付を確認すると、1568年6月18日という父親の命日を刻んでいる。

モンテーニュ「父 モンセニュール・ド・モンテーニュ宛 1568年(献呈文)」『モンテーニュ全集 9 モンテーニュ書簡集』関根秀雄訳、白水社、1983年。

94 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 05:29:01
(モンテーニュ――承前)

そしてさらなる古い日付をもつ資料の存在をも、わたしたちは忘れてはならぬであろう。
モンテーニュの蔵書に『ブーテルの歴史暦』 Michaelis Beutheri Ephemeris Historica
というものがある。
これは一家の出来事を永代日記ふうに記録できるようになっている書物で、
ふつう『リーヴル・ド・レーゾン・ド・モンテーニュ』 Le Livre de Raison de Montaigne
と呼ばれている。
購入したのは、おそらく彼がパリ遊学中の1551年と推測される。
そしてそこには、モンテーニュ二十歳前後の手蹟による記入がみられるのである。

購入以前の事項を回顧的に記した文章は六篇ある。(ただし抹消された痕跡の内容を除く。)
そのうち内容的に最も古く、なおかつアルマンゴー編全集の第一番目にも配列されているものは、
モンテーニュ自身の生誕を語っている1533年2月28日の事項である。
ちなみにこの項の原文はフランス語ではなく、彼の「母国語」たるラテン語である。
1951年に行われた筆跡鑑定では、モンテーニュの二十歳(1553年)ごろの手蹟とされている。
これは、なんとまあ、処女作の名にふさわしい内容ではなかろうか。

「二月二十八日 
コノ日午前十一時スギ貴族タル両親ペトルス・エイクェミウス・モンタヌス ト
アントニナ・ロペシア カラ、ミカエル・エイケミウス・モンタヌス ガ、
ボルドレ州 ト ペリゴール州 トノ境ニ近キ モンテーニュ家代々ノ邸ニ生マレタ。
時ハラテン拉典ノ歴算ニ依レバ基督紀元一五三三年ナリ。」(関根秀雄訳)

95 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 05:43:38
(モンテーニュ――承前)

ところで、モンテーニュ自身が生前出版した書物には、『エセー』と
上記レーモン・スボンの翻訳書のほかに、1570年に上梓された
亡友エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ(ラ・ブウェッティ) Étienne de La Boëtie
の遺稿集がある。
やはり父親宛ての書簡体形式をとっているその跋文は、親友の夭逝の様子を
感慨深く物語っており、モラリストの名にまことにふさわしい内容となっている。
執筆時期は、上記『リーヴル・ド・レーゾン・ド・モンテーニュ』のものよりも
新しい日付になってしまうが、一応示しておくと、1563年8月末と推測されている。

モンテーニュ「コンセイユ〔評定官〕ムシュ・ド・モンテーニュが
故ムシュ・ド・ラ・ボエシの病中および臨終において御覧になった若干の特異な事柄に関し
その父モンセニュール・ド・モンテーニュに宛てて送られた書簡の抜書 1563年」
『モンテーニュ全集 9 モンテーニュ書簡集』関根秀雄訳、白水社、1983年。

96 :AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. :2006/11/04(土) 06:12:52
(モンテーニュ――承前)

じつはラ・ボエシの名を挙げたのはほかでもない。
モンテーニュの処女作が何であるかということに、彼は深く関係しているのだ。
『モンテーニュ全集』 (Œuvres Complètes de Michel de Montaigne. Paris: Conard, 1924–1941)
の編纂者であるアルマンゴー Arthur Armaingaud によれば、
上記ラ・ボエシの遺稿集には意図的に収録されなかった彼の代表作
『自発的隷従あるいは反一人論』 Le Discours de la Servitude Volontaire ou le Contr'Un
(1546?–1548?/1549/1553年頃成立)は、じつはモンテーニュの手によるものだという。
その真偽のほどは議論の分かれるところであり、ここでは不問にするよりほかあるまい。
「わたしは判断を保留する。」« επέχω. »
(セクストス・ホ・エンペイリコス Σέξτος ο Εμπειρικός 『ピュローン主義の概要』 Πυρρώνειοι Υποτυπώσεις 第一巻第二十二章、金山弥平・金山万里子訳)
仮にこれがモンテーニュの作品であるならば、
処女作となる可能性が出てくることを付言しておくにとどめよう。

ラ・ボエシー「自発的隷従を排す」荒木昭太郎訳、『世界文学大系 74 ルネサンス文学集』筑摩書房、1964年。
ラ・ボエシ「奴隷根性について」『モンテーニュ全集 9 モンテーニュ書簡集』関根秀雄訳、白水社、1983年。

アンドレ・ジィド André Gide が書いている。「もし、ラ・ボエシーがあのやうに
夭折せずに、その友の拐~にもつと永い間影響を及ぼしてゐたならば、
果して『エセー』はどうなつてゐただらうか」
(『モンテーニュ論』 Essai sur Montaigne 渡邊一夫訳)と。
ラ・ボエシーの生と死こそに『エセー』の真の源泉をみる意見にも聞きあきたころだ。
なるほどわたしは『自発的隷従論』が、モンテーニュ色いっぱいに染まって映ることを
認めるのにやぶさかではないが、むしろ事情は逆ではなかったのか
などと想像してみるのも、散文の美学というものであろう。

97 :吾輩は名無しである:2006/11/30(木) 23:48:22
処女

98 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 00:53:55
非処女

99 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 00:54:45
処女作

100 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 00:55:48
100 get!!

101 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 00:56:41
非ー処女

102 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 00:57:27
syojyo!

103 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 00:58:57
処女作!!

104 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 01:00:19
男が書くと 非処女=作

105 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 01:01:23
おばさん作 非処女 作

106 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 01:02:29
オサーンが書いても処女作

107 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 01:04:19
処女の作家作っていいな

108 :吾輩は名無しである:2006/12/01(金) 01:10:17
>>106
手で描いてもケッ作と言うがごとし

109 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2006/12/31(日) 20:40:25

激しくお久しぶりです。
AmiLaLa :) ◆V0C09R5Pg. さん、充実させていただいて
ありがとうございます。一応、スレ立てた者としてお礼を。

さて、来年はもう少し頑張りたいですね。
今回はこの人。

堀辰雄:「ルウベンスの偽画」(新潮文庫『燃ゆる頬・聖家族』ほか)
高原・サナトリウム・死の匂い。
これはこれである意味完成した世界観だと思ったり。

110 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2007/01/21(日) 23:39:38

あけましておめでとうございます。遅すぎですが。
さて、存亡に揺れる(?)2ちゃんねるですが、とりあえず
処女作をあげさせていただきます。
…もしも本当に無くなるのであれば、またどこかで
同じタイトルでスレッドを立てます。
今日はこの人。

安部公房:「終りし道の標べに」(講談社文芸文庫『<真善美社版>終りし道の標べに』ほか)
読むまで、安部公房はSF作家だと思っていた(間違いではないと思うけれど)。
しかし処女作は違った。故郷からの逃走という存在の自己同一性に
関する問題を扱うことが彼本来の立ち位置だったのだろう。
翻って、彼の後の作品群もそのような切り口から考えられるべき
だったのだと考えるようになった(と言っても、まだ安部作品は
これしか読んでいないのですが)。
やはり処女作というものには、作家活動の動機が浮き出てくるもの
ではないだろうか。
この真善美社版は、ほぼ初校どおりのものとのこと。
新潮文庫でも出ている(絶版)が、こちらは後の作者による
改変がかなりなされている、とのこと。

111 :1 ◆TIr/ZhnrYI :2007/03/12(月) 01:22:22

こんばんは。久々に「これは」という発見があったので。
…そうでもないか。

阿川弘之:「年年歳歳」(講談社文芸文庫『戦後短編小説再発見8 歴史の証言』ほか)
戦後まもなくの広島を、帰還兵の目線から「陰惨にではなく」描く。
同氏の処女作は、本作かあるいは同じ頃(1946年9月)発表の「霊三題」か
だと思われるが、年譜や解説の記述順はいつも本作の方が先なので
こちらが処女作と類推する。ちなみに「霊三題」も、同文庫の『青葉の翳り』
で読むことができる。

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