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★山本健吉★

1 :平下流:2005/10/29(土) 12:53:40
山本健吉のスレが無かったので。
忘れてはいけない人だと思って。


2 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 12:58:37
そうそう、それでいいんだよ。
こういう格調の高い評論家は文学板の方が似合ってるし。

3 :平下流:2005/10/29(土) 13:02:37
>>2
親切に有難う。
でも、レスつくかな?

4 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 13:04:41
まずは主のあんたの見解を書いてみたらどうかな。
オレは丸谷才一の評論の影響で折口系の評論家に興味を持ち始めたけど、
まだよく分からないところもあるし。

5 :平下流:2005/10/29(土) 13:13:35
今は丸谷才一の方がポピュラーだろうから、その絡みでの法がいいかも。
ところで、丸谷才一が山本健吉のことを書いている本をのタイトル、
わかったら教えて下さい。読んでみたいので。

6 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 13:17:16
丸谷かどうかは分からないけど、折口系の「うたげ」「社交」を
重視している評論家、ってことで知ったんだけどね。
ソースは忘れたよ。ゴメン。

7 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 13:18:01
まあ、山本それ自体を論じてるんじゃないにしても
『日本文学史早分かり』は読んで欲しい。

8 :平下流:2005/10/29(土) 13:20:31
読んだことある。
うる覚えだけど、和歌、特に勅撰集を日本文学の背骨に据えていた本じゃなかったかな?

9 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 13:22:02
そうそう。
部分的に山本のことも言及していたような気がする(違ったらゴメン)。

10 :平下流:2005/10/29(土) 13:27:10
>>6
確か、健吉は共同体的なものを日本文学を理解するうえで重視していた。
>>7
ちょっと、探してくる。

11 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 13:29:16
>>10
>共同体的なもの


丸谷だってそうだよ。「詞華集的人間」(共同体とうまくやっており、
歓迎されるようなアンソロジーを作成できる詩人=評論家のこと)
っていうのは彼の造語だけど。

12 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 13:47:08
なるほど、やっぱりこの二人は同じ見解を持っていたってわけだ。

13 :平下流:2005/10/29(土) 15:57:56
>>10の続き
探したけど分からなかった。

それとは違うけど、丸谷が健吉について書いている文章を見つけた。
 

14 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 19:04:46
何?教えて?

15 :平下流:2005/10/29(土) 20:09:40
>>13の続きと>>14

健吉が1981年に『いのちとかたち』で野間文芸賞を貰ったときの丸谷の祝辞。

前半は一緒に中国旅行に行ったときに、健吉に「十六七のかはいい女の子」
を横取りされた恨み。(ちなみにこの旅行には井上ひさしも一緒。)
後半は文芸批評家・山本健吉の本質を語っている。
これを読めば、健吉を知らない人も健吉を読みたくなるかも。

 『俳句 特集山本健吉』角川書店 1985.1月号 188p 
 丸谷才一『挨拶はむづかしい』朝日新聞社 1985.9.15 108p


16 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 21:16:45
サンクス。『挨拶』から読んでみるよ。

17 :平下流:2005/10/29(土) 21:52:47
上記2冊とも手に入りにくいとおもうので、少し引用。
なお、上記2冊に載っている文章は同じものです。健吉が復活しますように。

「わたしが山本健吉といふ批評家の名を知ったのは、昭和22年の『批評』に載った『挨拶と滑稽』によってでした。」
「今の日本文学の注目すべき傾向は、かなりの部分、あの『挨拶と滑稽』にはじまってゐるんですね。日本古典への関心も、伝統と共同体の重視も、短詩形文学の再評価も、言葉あそびとユーモアの尊重も、歌仙ばやりも、みなあそこに端を発してゐると言える。』



18 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 22:02:36
ありがとう。
でも「挨拶」は朝日文庫から出てるんだよ。

19 :平下流:2005/10/29(土) 22:11:10
そうなんだ。最近、情報誌も目録も見ないし、本屋に行かないしな。

『いのちとかたち』に興味を持ったら
    ↓
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0483.html

20 :吾輩は名無しである:2005/10/29(土) 22:18:38
ころにゃんは会ったことあったっけ。

21 :平下流:2005/10/29(土) 22:41:08
>>19の続き。
ゴメン、駄目だ。このサイトは読まないほうがいい。
前半の滑り出しが良かったので最後まで読まずに推薦をしてしまった。
松岡正剛は時々いやに小難しい文を書く。
こんな書評では健吉を知らない人は誤解をしてしまう。
健吉は誰よりも平易な文章で解かりやすく書く人です。


22 :吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 11:57:43
山本からちょっと離れるかもしれないけど、折口系なら最近の高橋睦郎の著作も
面白いと思うよ。

読みなおし日本文学史―歌の漂泊 岩波新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004305500/250-1594180-0635418
百人一首―恋する宮廷 中公新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121017250/250-1594180-0635418
百人一句―俳句とは何か 中公新書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4121014553/qid=1130640857/sr=1-31/ref=sr_1_2_31/250-1594180-0635418

「うた(=詩)」は神に捧げるためのものである、て言説はややオカルティックにきこえるかもしれないけど、
丸谷だって「古代の天皇は豊穣を祈る大祭司だった」って言ってるわけだし、「高橋理論」も詩人の直感が
反映された興味深い考えだと思う。
高橋と丸谷(そして山本)の文学論がそういった点で共通していることは誰も指摘してないけど、
もっと論じられてしかるべき問題だと思うよ。

23 :吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 12:10:35
高橋の百人一首本は、王朝和歌を象徴詩・現代詩的な抽象的観点から読むっていう
アプローチを知ることが出来るって点でも興味深い本だと思う。
まあ、業平の「ちはやぶる」を「血早降る」って解釈してるところとか
(業平の祖父の平城帝をたぶらかした薬子のことを詠んでるって言ってる)
学術的な観点からすれば?なところもないわけではないが、
高橋も言ってる通り、詩ってのは結局想像の産物なわけで、その詩にあたるのも
想像力がなくてはつとまらないわけだろうな。


実際、この本と丸谷の『思考のレッスン』がなければ王朝文学(と、その末裔としての
中世・江戸文学)に興味を持つことも無かっただろうし、山本も知らないままで終わっただろうな。

24 :吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 12:17:00
あと、折口の孫弟子の林望の一連の能に関する著作も、平下流さんなら楽しめると思う。
リンボウの一連のエッセイはなんか腹が据わってない感じで読んでてイライラするが、
こと能関係になると、折口学の流れを受け継いだ的確な解釈をしてるし、
通俗的な能入門本にイライラしてたオレには本当にいい勉強になった。



いっそこのスレ、折口系の評論家・国文学者関係なら何でもOKにしない?
どうも文学板では俳句や短歌はあまり伸びないみたいだし。

25 :吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 12:20:59
リンボウの能エッセイは下の通り。

能は生きている 集英社文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4087487253/250-1594180-0635418
林望が能を読む 集英社文庫
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/408748551X/250-1594180-0635418

26 :吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 13:32:28
折口は下でどうぞ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/min/1026407185/l50

27 :吾輩は名無しである:2005/10/30(日) 16:49:25
折口系の「評論家」ならいいだろ。
池田弥三郎みたいな学者までふくめたらまずいだろうけど。

28 :吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 03:43:35
林望より池田弥三郎の方がまだ趣旨に近いんじゃない?


29 :吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 09:30:58
まあリンボウのイギリス物エッセイを含めるのに無理があるのは認める。
能エッセイはそうではないが。

30 :吾輩は名無しである:2005/10/31(月) 09:38:16
しまった、スレ主が一般書籍板に戻ってしまった...

31 :平下流:2005/11/01(火) 03:26:15
一般書籍版でもレスが伸びないのでまた戻ってきました。
山本健吉はダメなのかな。
まー、流れに任せましょう

>>22-23
高橋睦郎は何冊か読みました。
『読みなおし日本文学史』に
「詩歌がいまだ神神のものである段階の国(日本)に、詩歌がすでに人間のものである段階の国(中国)の文化が文字を伴って流入してきた・・・」
とあり、気になるのは、続けて
『より進んだ国の文化がより遅れた国に入ってきた時の状況は知れている。遅れた国は進んだ国にやみくもに準(ナラ)おうとするだろう。』
と言っているところ。

取りあえずここまで。



32 :吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 12:11:31
>>31
うーん、その点についてはコメントが難しいけど、高橋の原点(だと思う)ギリシアだって
文芸は神のものから人のものへとなっていったわけだし、そういう現象自体は
多分普遍的なものであって、高橋はそれが言いたかったんじゃないかと思う。
でも別に、「神の文学」が「人間の文学」より劣るとは限らないし、進歩史観的にというよりは
循環史観(「古代にもモデルニテはあった」@ヴァレリー)的に考えるべきなんじゃないの?
高橋の記述はたまたま進歩史観的になってしまったわけで、その点この人はやっぱり
国民学校世代だな(俗論かも知れんが)って気がする。

33 :吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 12:13:02
>循環史観

つまり、「人間の文学」から「神の文学」に戻る可能性だって十分あるわけだよ。
高橋も『百人一句』での対談で「現代が終わって(文化的)中世が来る」って語ってたし。

34 :吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 13:10:01
丸谷才一が言うように、勅撰和歌集は大陸の影響で出来たわけだし、
「進んだ国にやみくもに準(ナラ)おうと」したこと自体は無駄じゃないよ。

35 :吾輩は名無しである:2005/11/01(火) 23:43:05
古橋信孝氏の萬葉論も山本の影響をかなり受けているみたいだね。
詩の自覚の歴史の解説も書いていたし。

36 :吾輩は名無しである:2005/11/02(水) 08:27:59
>古橋信孝

どの本から読んだらいい?

37 :吾輩は名無しである:2005/11/02(水) 08:36:13
『誤読された万葉集』の人だね。
大岡信の評論に親しんでるオレにすれば、「そんなの当たり前だろ」って
ことばかり書いてあったけど、世間的には「当たり前」じゃないんだろうな。
そんなに万葉集をリアリズムに近づけたいのか、って思うよ。

38 :吾輩は名無しである:2005/11/02(水) 14:34:18
>>35
大岡信もだろうか?

39 :吾輩は名無しである:2005/11/04(金) 03:52:48
>>24-25
林望も10冊以上は読んだが、玉石混交。言いすぎかな?
書誌関係=★★★なるほど
書評=★★面白い
イギリス関係=★少しちゃらちゃら

さて、能関係は★
能の本を読むとき、葵上のことが書かれていたら、まずそこから読む。
『林望が能を読む』と『能は生きている』を読んだ。
付け焼刃でなく、また囚われていないことは解かるが、読んで葵上を見たいとは思わなかった。

『能は生きている』のあとがき
 「私はとかく物事に感動しない、・・・」
同書の野村萬斎の解説
 「役者は最終的には『狂わ』なければならないと思う。それにとりこまれてお客も『狂う』。
 林先生があくまでも『覚めた目』で能をご覧になっているとおっしゃるのはちょっと意外で、
 学者としてのプライドがストップをかけて、取り憑かれない、狂われないのかな、とも思います。」

林望に関しては、ここまででどうでしょうか。


40 :平下流:2005/11/04(金) 03:58:43
>>39は平下流でした。

41 :吾輩は名無しである:2005/11/04(金) 09:12:12
>林望も10冊以上は読んだが、玉石混交。
これは納得。少しは格調を保ってくれって感じ。
>さて、能関係は★
葵上の演出の問題とかを国文学者らしい観点から指摘してるのは流石だと思ったけどね。
>『能は生きている』のあとがき
 「私はとかく物事に感動しない、・・・」
>同書の野村萬斎の解説
 「役者は最終的には『狂わ』なければならないと思う。それにとりこまれてお客も『狂う』。
 林先生があくまでも『覚めた目』で能をご覧になっているとおっしゃるのはちょっと意外で、
 学者としてのプライドがストップをかけて、取り憑かれない、狂われないのかな、とも思います。」

最終的には知の勝った人なんだけど、同じく知の勝ったタイプの丸谷才一なんかは
「冷静に狂う」ことができると思うし、それが出来ないのがリンボウの限界だろうな。


42 :吾輩は名無しである:2005/11/05(土) 19:29:06
伸びないなー。

43 :平下流:2005/11/05(土) 20:59:01
誰も山本健吉が好きな人いないのかな?

44 :吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 09:48:18
というより、(短歌や俳句を含めた)伝統文学を普遍的な詩学の観点から
理解しようって奴が少なすぎるんだろうな。
オレも丸谷や高橋の本がなかったらブルトンやエリュアールみたいな
前衛詩と定家や人麻呂を同じ平面で読めるなんてことは気がつかなかっただろうし。

45 :吾輩は名無しである:2005/11/06(日) 10:14:16
いっぺん、古文・漢文板を覗いてみ。あまりの低レベルさに唖然とするから。
「お前ら、象徴詩や現代詩を読んで出直して来い!」って怒鳴りたくなるから。


まあ、文法教育一辺倒の日本の古典教育にも問題があるのだが...
丸谷や大岡信(高橋はさすがにぶっ飛びすぎ)が言ってるようなことが
日本の「常識」になる日が来ることを願うよ。

46 :平下流:2005/11/16(水) 03:09:43
ここ数日間、人大杉で繋がりませんでした。

47 :吾輩は名無しである:2005/11/16(水) 12:40:54
オレも。

48 :平下流:2005/11/20(日) 23:48:58
伸びないなー・・・
郷入らば郷で古橋信孝を少し。

>>35->>37
万葉と琉球はなるほどなと思う。
古事記については疑問。
 疑問点1
「いくつかの村落共同体が統括されてクニができると、そのクニも神話をもち、その神話によって各村落との関係が絶対的に位置づけられるのだが、そのクニの神話は一つひとつの村、個別的にある村落をクニの歴史に位置づけなければならないから、歴史は深くなる。」
という前提を置いている。
本当に歴史は深くなるのだろうか。


49 :吾輩は名無しである:2005/11/21(月) 07:35:31
中国史では、古代社会は村落の発展した「都市国家」の集合体で
夏・殷からはじまる諸王朝ももとはその都市国家の一つに過ぎないってのが
常識なわけだけど、日本史もそうなんだろうな。
日本社会は「ムラ社会」の連合体なわけなのに、その一方で
歴史は(戦前の名残か)大和朝廷中心になってしまってるわけだから。
そのあたりの事情を言ってるんじゃないの?
(実はこの部分、あまり覚えてない)

50 :吾輩は名無しである:2005/11/21(月) 07:38:49
個々の「ムラ」同士の関係の解明は日本史だけじゃなくて日本社会を
知る意味でも重要だと思う。
現代なら例えば三菱グループの各会社の関係とかがそれに当てはまりそうだし。

51 :平下流:2005/11/23(水) 09:45:14
>>49-50
ありがとう。
僕の言いたかったことは少し違うのだけれど、これ以上は健吉から離れてしまうので。

それにしても、伸びない・・・
健吉は忘れられたのか?

52 :吾輩は名無しである:2005/11/23(水) 10:00:00
違った?ゴメン。

53 :平下流:2005/11/23(水) 10:19:24
何が違ったの?

54 :49/50:2005/11/23(水) 10:22:01
いや、平下流さんが>>48で言いたかったことを読み違えたかな?ってことさ。

55 :吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 02:13:14
山本健吉の評論には驚きが無い。退屈。
古典に学んでその退屈さを助長したのではないか。

56 :吾輩は名無しである:2005/11/24(木) 21:47:31
何よ、「共同体」も「詩歌の発生」も当然のように知ってたのか?


中村真一郎スレ並みに荒れそうだな...
まあどんどん荒らしてスレ主を勇ませてくれ...

57 :吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 05:45:55
山本健吉は、凡庸なことしか言ってないからねー。

58 :吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 08:56:58
また確信犯アンチか?

59 :吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 13:12:39
山本健吉に鋭さがないのは、誰しも認める所では。アンチの所為にしたがるのは信者?

60 :吾輩は名無しである:2005/11/25(金) 13:25:33
健吉をいつか鳴かさん蝉時雨


61 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 07:31:16
てか、スレ主の平下流こそ何か書いてくれ...

62 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 10:28:24
奴はマルチでコピペしまくった荒し。

63 :吾輩は名無しである:2005/12/06(火) 11:44:05
そんなことはどうでもいいが、彼の責任感のなさは嫌になる。
中村真一郎スレなんか、誰がアンチと戦ったんだっていいたくなるよ。

64 :平下流:2005/12/13(火) 03:03:55
>>63
真一郎スレに少しだけ書きました。
機会があったら又書くつもりです。

65 :吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 03:53:58
その前に、多重投稿を謝れ。

66 :吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 07:43:29
少なくとも、自分が立てたスレは守ってくれ。
オレなんかその為に毎日時間さいてるのに...
(楽しいけど)

67 :平下流:2005/12/13(火) 20:09:15
>>66
失礼をしました。
スレを立てたのは、皆で話し合ってもらえればとの思いでした。
特に言いたいことがあったからではないのですが・・・。
いずれにしても、何か書きます。
今は、西鶴に書いていますので、それが終わったらにします。

68 :吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 20:40:38
その前に、多重投稿を謝れ。

69 :平下流:2005/12/13(火) 21:25:40
>>66
それから、あなたの立てたスレを教えて下さい。

70 :吾輩は名無しである:2005/12/13(火) 21:32:34
荒らすためにか?

71 :平下流:2005/12/29(木) 03:02:29
>>55 驚きが無い。退屈。
>>57 凡庸なことしか言ってない
>>59 鋭さがない

そうかもしれません。奇を衒ったところはありません。文章も平易です。
でも健吉はの価値は、>>17で書いたように日本の古典の再評価ではないでしょうか。

少しそれますが、その点では中村真一郎も同じでしょう。
さらに、ふたりとも古典を論じてはいても、目は常に現在にあることも感じます。



72 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/29(木) 10:47:06
「でも」が反論になってないぞ。>>71
日本古典の再評価なら、鋭さが無くてもいいのか?
まして、現代的評価だってなら猶更、古典常識そのままでいいわけあるか。

73 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2005/12/31(土) 18:50:46
平下流は安東次男には興味が無いのかな。
あの妖刀みたいな切れ味の評論は山本以上だと思うが...

74 :平下流:2006/01/01(日) 02:15:35
>>73
切れ味という点では安東次男には確かにあると思います。
特に芭蕉の歌仙についての評釈は抜き身で読む側に迫ってくるといった感じです。
私にとっては、安東次男は疲れます。健吉には癒されます。でも、両者とも好きです。
ただ、健吉と安東次男とは同列には論じられない気がします。
それは、実作者かどうかの違いといったことではなく、ふたりの体質の違いでしょう。




75 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 07:16:02
そうかな?

76 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/01(日) 23:34:10
そうだろ?

77 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/02(月) 16:01:39
評価秤量を避けてるだけだろ。比べれば、山本健吉の甘さは擁護できないもの。

78 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/02(月) 20:05:19
それぞれの個性があるのだから、敢えて二人を比べる必要はないだろ。

79 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 05:10:07
個性とか見解の相違とか、論議を回避する便利な逃げ口上だよね。

80 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 08:21:07
ここで議論をする必要も義務もないだろ。
特に、相手が確信犯で屁理屈を言ってくる場合は。

81 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 08:23:24
他人のことを屁理屈と言っちゃったら、そこで説明責任の義務が生じるヨ。

82 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 08:49:28
>>81
その通りですね。
いつもながら、貴方の指摘の的確さに感心しています。
今年も、頑張ってください。非常に参考になります。


83 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 09:13:00
>健吉と安東次男とは同列には論じられない気がします。

学者と評論家の違いとかじゃないんなら納得行かない。

84 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 09:20:00
>>83
そうですね。
学者と評論家の違いとかなら納得がいくんですけどね。

85 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 09:26:42
仮に学者と評論家の差違はあったとしても、比較して論じられるよ。

86 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/03(火) 09:27:57
山本や安東の評論を参照してる学者もいるだろうし、
結局「逃げ」か。

87 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/21(土) 12:41:13
『いのちとかたち』読んだ。



この人、結構文章が粗いな。
雑誌連載だったとはいえ、「ヌーボーとした人物」って表現も読んで脱力した。
「やまとだましひ」論とか面白いことも色々言ってるのに、そういう「粗さ」が
原因で必要以上に損してるんじゃないかって思う。
特に、古典評論は大岡信や安東次男みたいな猛者と比べられるわけだから。

88 :名無しさん@自治スレッドでローカルルール議論中:2006/01/22(日) 19:08:29
文章の粗さは、頭脳粗雜・思考粗放なればなり。

89 :吾輩は名無しである:2006/03/29(水) 03:00:26
age age

90 :吾輩は名無しである:2006/03/30(木) 13:12:27
スレ主が消えたし、沈めれば?

91 :平下流:2006/04/11(火) 03:25:05
>>87
「ヌーボーとした人物」という表現が書いてあるページを教えて下さい。

92 :吾輩は名無しである:2006/04/11(火) 07:16:19
その前に、マルチ書き込みを謝りなさい。

93 :吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 14:33:29
>>91
そんなもん、知ってどうするんだ?

94 :吾輩は名無しである:2006/04/12(水) 18:32:08
古典に詳しい人からすると、健吉はあんまり評価されてないのかな。
「古典と現代文学」とか「詩の自覚の歴史」とか、面白かったけど。

内容はいささか凡庸なのかも知れないけど、
あの少し天然な感じの飄々とした文体は魅力的だと思う。

95 :吾輩は名無しである:2006/04/21(金) 14:43:52
少し天然な感じ

96 :平下流:2006/04/25(火) 02:22:44
>>94
同感です。
でも、私は、健吉の話は決して凡庸ではないと思っています。
>>17の丸谷氏の意見は私も同意します。
健吉の文章は平易です。難しい言葉を使いません。表現は凡庸かもしれませんが・・・。

97 :吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 08:16:50
大岡信や安東次男だって難解な語は使わない。

98 :吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 11:47:29
評論家を読む楽しみは内容もさることながら文章それ自体の魅力も大きいわけで。



同門の池田彌三郎、加藤守雄、西村亨、岡野弘彦みたいな学者なら
文章が平凡でもそれなりに読めるわけだが。
(もっとも、西村の文章はなかなかいいとも思うけど)

99 :吾輩は名無しである:2006/04/25(火) 22:16:15
山本健吉は凡庸なだけではなく、無知で不勉強で無理な理窟で歪めて読む。
……と、谷沢永一『雉子も鳴かずば』に暴露されてる。

100 :吾輩は名無しである:2006/04/30(日) 13:43:06
もう少し鋭さのある人だったら他の古典評論系の連中と対比できるのに。



まあ十数スレかそこらで消えるよりはましか。

101 :平下流:2006/05/11(木) 03:08:34
先日、健吉を読んでいると、内容は凡庸で表現もだらだらしていて、嫌になってしまいました。

うなされて気がつくと、夢でした。ホットしました。

健吉は凡庸だとか、鋭さが無いとか言われ続けていたので、こんな夢を見てしまいました。


102 :吾輩は名無しである:2006/05/11(木) 15:48:10
凡庸以下の者には、凡庸な評論家すら優れて見えるわけかな。

103 :吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 23:00:01
凡庸の無自覚の歴史

104 :吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 23:11:56
先日、平下流の古本屋に立ち寄った。
東京は明治通りである。図書館学的に丁寧に整理されており
大変気持ちのいい書店である。主人である平下流は、
目鼻立ちの整った50前後の女性で、小粋な眼鏡を鼻にひっかけている。
服装のセンスも抜群によく、やや地味で薄暗い店内に自ら華を演出する。
もう一度、いや、故意の乗り越し電車でもし、用もないのに立ち寄って見たい
都内屈指古書店である。

105 :吾輩は名無しである:2006/05/14(日) 23:39:09
104か平下流かが図書館学を理解してないことは、わかった。

106 :吾輩は名無しである:2006/05/24(水) 02:03:01
>>104

http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1147619954/l50

322 :吾輩は名無しである :2006/05/23(火) 03:32:24
>>319
そんなの数え切れないさ。
しかし重要な情報は何も知らないから、まあ流れを作ったり
流れに乗ったり。そんなことしかやってないさ。

平下流ってひとは、哲学板でよく見かけいて、ちょっと好きだったので、
思わず妄想を書き綴ったら、それがスレの冒頭で取り扱われて驚いたさ。


107 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 00:29:03
551 :平下流 :2006/05/02(火) 02:37:49
「いのちとかたち」の単行本に

中村光夫様
   山本健吉

と小さな短冊状の紙が挟んであった。


108 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 00:31:26
だからナニ、って感じ。平下流も、107も。

109 :107:2006/05/25(木) 00:34:19
>>108
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1130558020/l50

書いて当たり前でしょ。

110 :107:2006/05/25(木) 00:37:58
>>109
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/book/1130558020/l50


http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1078567602/l50
の間違い。


111 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 00:45:18
で、出典や説明もぬきに、無意味な書き込みをコピーしたのは何故?

112 :107:2006/05/25(木) 00:50:02
出典は「いのちとかたち」でしょ。

釣れた、吊れた、いつもの新氏が。いっつひっつひ!

113 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 01:20:45
この場合、出典とは、コピー元のこったろ。ばからし。

114 :107:2006/05/25(木) 01:26:25
113
コピー元は
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/books/1078567602/l50 だろ。
ばからし。


115 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 10:13:55
それを最初から挙げなかったのが説明不足の一つ。
無意味な書き込みを意味も無くコピーしたのが、また一つ。
107は馬鹿決定。

116 :吾輩は名無しである:2006/05/25(木) 16:00:58
オレはこの人の本を読むたびに辻静雄の著作を思い出す。
山本が「共同体」の概念を日本古典に導入したように、
辻は「正統なフランス料理」を日本に紹介したわけで
その意味ではどちらも「偉大」なはずなのに、
何故か文章が面白くない。
どっちも丸谷才一が絶賛してるって点で同じだし。
(丸谷絡みの論客は大抵面白いのに)

117 :平下流:2006/05/26(金) 03:25:54
みなさん刺激を求めすぎるのでは?
事実は小説より奇なり。
でも、真実は凡庸、不易。

118 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 00:01:47
凡庸な真実を刺戟的に語ってみせてこそ批評家。
山本健吉は単に凡庸なだけ。
しかも「共同体」の概念は真実どころか誤謬とゴマカシに満ちたもの。

119 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 09:13:49
「共同体」自体は間違いじゃないと思うが...

120 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 09:20:04
例えば大岡信みたいに「宴」って言い方をするとか、
丸谷才一みたいに共同体の共有情報としての「伝統」を持ち出すとかすればよかったのに。

121 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 09:33:17
>>119
いや誤りだよ。「共同体」の一言で、宮廷と庶民とを一緒くたにした強弁(>>99参照)。
そもそも、種本であるJ・E・ハリスンらケンブリッジ人類学派なんて
既に学問的に誤りと判明しとる(柳沼重剛「悲劇の起源は祭祀か」『現代思想』1973.8参照)。

122 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 09:58:16
こんな感じかな。

 ケンブリッジ・リチュアリスト(ハリスン、ギルバート・マリー他)
 ↓折口信夫→山本健吉
 丸谷才一

末端にゆくほど誤謬も甚だしい、ってか?

123 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 17:36:54
話の方向が変わってきたな。

124 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 17:45:08
その理屈だと、折口も「誤謬」か。

125 :吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 00:40:28
折口のは妄想。よく言っても直感。近代科学としては不可。ま、前近代ならアリ。

126 :吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 07:22:29
凡庸な山健ときては、鋭い直感にも恵まれてないし。

127 :吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 11:06:25
まあ、天智天皇の和歌


秋の田のかりほの庵の苫を荒みわが衣手は露に濡れつつ



を「露は悲恋の涙のメタファーであり、大祭司としての天皇が
恋歌を詠むことで天地自然に恋情を起こして五穀豊穣を祈願する」って
類の言説が信じられない人間には(丸谷や現代詩人の高橋睦郎を含む)
折口系論客の言うことは信じられないだろうな。
(上掲歌が本当に天智のものかどうかはこの際重要ではない)
オレも最初は「???」だったし。

128 :吾輩は名無しである:2006/05/28(日) 18:31:57
信じる信じないなんて、宗教の話だったらよそでやれ。
山本健吉のは拙い詐話にすぎず、騙されて信じる方が馬鹿なのさ。
下手に詩的直感を気取るより、批評や学問は、散文精神が大事。

129 :吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:05:20
それで説明できるんならいいだろ。
人文科学の理論なんて証明不可能って点でほとんど神の存在と同じなんだから。

130 :吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:14:30
本気で信じなくても、一種の「遊び」として受け入れるのはありだと思う。


十数年ほど前、関西の某人気テレビ番組で、阪神タイガースの不振(当時)は
'85年の優勝時に道頓堀に投げ込まれたカーネル・サンダー(ケンタッキーのおじさん)の
呪いだから、阪神が強くなるためにおじさんを道頓堀から救う(結果は失敗)というのがあって、
その時東京のマスコミが「関西には今も怨霊信仰があるのか?」と騒いだのだが、
番組スタッフは「あれは洒落、関西であれを本気で信じてる人間なんていない」って呆れてた。
「大祭司」としての天皇を中心とする王朝文学観も平安時代ならともかく、今は「洒落」と思えばいい。


日本人は頭が固すぎる。

131 :吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:16:39
だって山本健吉は、洒落でなくて、ご本人が信じ込んでしまっとるやんけ。
説明にもなってないし。

132 :吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:17:40
まあそれは認める。
大岡信や安東次男はともかく。

133 :吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:22:32
固くて結構。
俺には俺の内的自由よりも大切なものなんてほとんど無い。←妙に翻訳調(苦笑
人のそれを束縛しておいて何が「洒落」なものか、勘弁してくれまったく。

好きにやれ。
好きにやらせろ、とにかく人に迷惑をかけない限りにおいて。

134 :吾輩は名無しである:2006/05/31(水) 12:24:03
まあ、好みの問題もあるからな。
谷崎好き、王朝和歌好き、ヨーロッパ古楽好きの
(あれはクラシックの「貴族文化回帰」だから)
オレ的には「貴族文化」大いに結構なのだが。

135 :吾輩は名無しである:2006/06/15(木) 22:44:59
反論してこないと思ったら丸谷スレ荒らしか。

136 :吾輩は名無しである:2006/06/15(木) 23:16:55
反論って、どれに? >>133-134は論以前だし。

137 :吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 20:49:16
まー、マターリといきましょう。
本人も死んでしまったことだし。

138 :吾輩は名無しである:2006/07/07(金) 21:57:49
死んだ人にまで遠慮して、批判ができないの?

139 :吾輩は名無しである:2006/07/08(土) 23:46:59
>>138
意味不明。

140 :吾輩は名無しである:2006/07/09(日) 01:03:28
138の意訳=山本健吉が死んだからって何の関係があるってんだコラァ。

141 :吾輩は名無しである:2006/08/17(木) 08:09:50
hi

142 :吾輩は名無しである:2006/11/09(木) 01:20:34
一年経ちましたね。

143 :吾輩は名無しである:2007/01/18(木) 01:29:10
.

144 :吾輩は名無しである:2007/02/24(土) 04:04:36
半年以上、変化なしか。忘れられたな。

145 :吾輩は名無しである:2007/03/07(水) 01:41:01
そんなことおしゃらずに。

146 :吾輩は名無しである:2007/03/07(水) 07:42:49
まだあったの、このスレ。



スレ主が逃げたんだし、もう沈めようよ。

147 :吾輩は名無しである:2007/03/08(木) 02:58:02
>>146
スレ主なんて、ただスレを立てただけの存在。

スレはスレを立てた人の所有物ではない。

スレ主がいようと逃げようと関係ない。

スレは立てられた以上は共有物。

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