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¥田久保英夫¥

1 :吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 19:23:17
公式ウェブサイトがあります。www.h-takubo.jp
作家の1928年1月25日−2001年4月14日の略式年譜、目録等を閲覧できます。
彼の作品を読みつぎつつ、蔭ながら応援しようという目論見です。

2 :吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 19:28:20
建ちましたか。よかったよかった

このスレッドの予定スケジュール(調整可):
・'08〜 市井の文学青年くずれに合言葉《田久保いいよね》を浸透させる
・'11− 全集が刊行されてお役御免
・〜'11 最低限、文学板住人全員が二冊以上読んでいること

放っておくと、どんどんフェルメなスレッドになることが予想されますので、
なんだったらアスキーアートでも貼って定期的に保守っといてください。
(目下、田久保AA募集中。)

3 ::2006/03/10(金) 19:34:29
ちなみにわたしは五年かけてのんびり全作品を読む予定。
これまでに読んだことがあるものは短篇集『髪の環』長篇小説『触媒』
しかも、いま手許に一冊もない。ついでに言うと講談社文芸文庫の作品集は未読。
こんな状況で1とは名乗れませんから、ここでは仮にlとしておきます。

「わたしは1ではありません。」

いま110円で作品集『水中花』をネット註文しようか迷っているところです。
一年に一回くらいはわたしも書き込みますので
このスレッドが古書価格を吊り上げてくれるようにがんばりましょう。

4 ::2006/03/10(金) 19:39:51
とにかく、みんな書き込んでくれ。
読んでなくてもいいから。興味なくてもいいから。

ただ、本は買ってくださいね。

5 :吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 20:08:01
この人、親米派の政治評論家だっけ?

6 ::2006/03/10(金) 20:14:17
>>5
オフィの年譜で確かめてみてはいかがでしょう。

結城信一とどっち建てるか迷ったんですけどね。
結城信一さんでは「正字正かな派を考える」スレと重複の恐れがありますし、
幸い田久保さんにはオフィシャルサイトもあることですし。

ところでマンガレリの訳者田久保はほんとうに娘田久保なんでしょうかね。
読んだ限り(っしつこいようですけど二人あわせて三冊だけ)では二人の感性は近いような気がします。
まあ、どうでもいいことですが。

7 ::2006/03/10(金) 20:24:46
あと、みなさん、お願いですから田久保の描く「女」に萌えるのだけは止しましょう。
彼の描く女たちがメチャメチャたおやかで端正で品格があり、それでいてマッタリとしつつもキレがあって
健康と美容にとっても良いのは認めます。でも、萌えるのは不健全です。

かわいいよ田久保かわいいよ

8 :吾輩は名無しである:2006/03/10(金) 22:49:15
書架漁ったら、現代の文学34が有った。ただし未読。
丸谷目当てで買ったんだけどなw

9 ::2006/03/11(土) 05:22:15
やはり講談社なんですが、戦後短編小説再発見(2)所収「蜜の味」は田久保の作品です。
この短篇の作為的なコントラストのきつさに少々閉口するのはおそらくわたしだけではないのでしょうが、
容易に入手可能な作品の数すくないうちの一篇ということもあり、あらすじの紹介は割愛します。

その描写において、おそらくはつねに働いていると思われる作家の節度は特筆に価いします。
ぜんぜん立ち読みOKの長さなので、ぜひ読んでたしかめてください。

こちらの受ける印象としましては、作品の持った独特の臭気をおびたぬくみに反して、
ほとんど外科手術のようなと言っても過言ではないほどの的確な機微と知識に裏打ちされたものを感じます。
読者は映像の深みをいったん浚って、像の把持する深度と鮮度とを見定めたのちに、あせらず、たゆまず、
作品の流れを見誤ることなくタブロに沈着させてゆく筆さばきにまず驚かれるに違いありません。

作家の節度というのもこの場合、けっして消極的なものではなく、
抒情性におぼれることのない大胆さを備えているということです。

わたしはこの作家が非常に強くたしかな筆圧を持った作家であると確信しております。
(肉筆ボツ原稿のお宝流出お待ちしております!)

10 ::2006/03/11(土) 05:33:36
ちなみに「蜜の味」を収めた短篇集『髪の環』には創意にあふれる小道具が種々登場します。
エリセ映画の懐中時計ですとか振り子などを思い浮べる人もきっといるはずです。
作品にある種象徴的な余韻をふくませているのですが、これは好き嫌いの分かれるところかもしれません。

ちなみにその2、貸した『髪の環』が返ってきません。

みなさん、よい読書にお約束の「三日後のいいなァ」といえば、田 久 保 ですよ。
おぼえましたかあ? たあーくうーぼ。タクホヒデオですよ!

11 ::2006/03/11(土) 05:41:43
あと、バカみたいに大口あけて髪の環――かみnoワ!――と発語してみるとお分かりになるかと思いますが、
この作家は視覚と聴覚への貞操観念において群をぬいています。
たとえばリルケの墓標三行目に刻まれたたったひとつの語句"Lidern"などを思い浮べてくださると、
短篇小説の名手と言われた所以がなんとなくであれ掴めるはずです。

しかし文芸文庫『海図(遺作)』の品切れは手痛いなぁ。いつ読めるかな……
てか、このクソスレどうすりゃいいんだ。

>>8
いま現代の文学を編纂したら、才一のお父っつぁんが洩れることはまずないとしても、
田久保の名前は十中八九リンボ送りの刑ね…… いいえ、それではまずいのです!
どんどん、どんどん読んじゃいましょう! 味読は後回しでいいですから。

超越的に味読しながらでいいんで、テクストと同伴出勤でもだれも咎めないんで、感想なんかどしどし書き込んじゃいましょうね!
わたしなんか一冊も手許にないのに大口たたいて書き込んじゃってますから!

12 ::2006/03/11(土) 05:44:04
ストップ!

13 :吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 06:01:17
いいや、まだ早いね。20位まではガンガッテ!

14 ::2006/03/11(土) 09:41:20
>>13
ヒデオ親族の方ですか? わたしに本を恵んでください。気兼ねは要らんので。
だめなら署名本とかレンタルで…… いや、まずはお付き合いから、かな……?

ああ示申よ! わたしは本を読むためならイ本を許します! 売りますとも、体!

というわけで、気乗りしないけど朝メシ摂ったことだし『触媒』第五章から。
あらすじぜんぜん覚えてないんだけど、ま、20行けばそれでいいや。
カシーバーに倣ってアドリブで書くからどうなるかしらん、がそれでもいいか。いいな?

                 ハ_ハ  
               ('(゚u゚∩  age!
                ヽ  〈  制限時間60分 yo-i, donn!
                 ヽヽ_)


15 ::2006/03/11(土) 09:51:47
《課題文》

  この女には自分自身など稀薄なようでいて、その形のままに
 やはり自分がいることを、今さらに見る思いだ。それはありふれた言葉で言えば、
 一種の「(漢字一文字。自分の字が読めん)」なのだろうが、
 それは敦子の中で深々と洞のように潜んでいる。

ほとんど逐字的に読ませる文章と言えます。
一種の「抽象的で感覚的な美文」をごろりごろりとおもむろに転がしはじめた同時期の古井などと比較すると、
もっとずっとわかりよいのかもしれませんが、仮に二人の表現の喚起力の性質が似たようなものであったとしても、
描いているものはまるで異なります。

二つのセンテンスに分断されたこの条りは、話者の陥った傍観者たらざるを得ない状況とその決心とをつぶさにすくいとっているのです。
女に附された《この》という眼指の働きが織り成すアラベスク、または焦点深度のvariationenと言えます。以下、たどたどしくたどります。

そうだ、ああ夏目先生、先生の誉高き名著feeling+Focus文学論は未読なのです。ごめんなさい。

16 ::2006/03/11(土) 10:05:09
まず、この―女 だけでは飽き足らず、―には などと重ねて局限していることに注意を促しておきます。
女が《この女》に移る状況といえば一般にマンネリに陥った恋人たちの尻切れトンボな目配せを思わせますが、
敦子というのはたしか主人公青年のフィアンセでして、この《には》にはなんとかして繋ぎとめておかねば
ただよって逃げていくかのような責任の在りかを再度あらたに自身へ引き受ける意思さえも見え隠れするようです。

(以下《》略)

自分自身と自分とを隔てている、あるいはいつしか分かたれてしまったにもかかわらず
離れることも触れあうこともできない自分と自分自身とを結びつける関係性の稀薄さにそっと撫でるように触れたのち、
観念の霧の中につつみこむようにしてその形のまま保ちつつ、やはりと話者は彼女の姿を再認します。
(こうなっては女は逃げも隠れもしないものですよね……)

メモ帳からコピペして息抜き。
「《分ちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。
一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない》
(『ムンダカ・ウパニシャッド』、第三ムンダカ、第一カンダ、シュルーティ一。
『リグ・ヴェーダ』、T、一六四、二〇。『シュヴェーターシュヴァタラ・ウパニシャッド』、
第四アデャーヤ、シュルーティ六。)」(ル・クレジオ『物質的恍惚』豊崎=訳から)

17 ::2006/03/11(土) 10:17:46
(早くもタイムアウト近くなってきたので文章は乱れますけど、できれば汲み取ってください。)

今、さらに、つねにその決心においてあたらしく、くりかえし彼女の姿を正視することを半強要された場面ということになりますか。
しかしこの一文において確認作業は思いに終始します。けっして話者による彼女の病理分析が開始されるというわけではありません。
おそらく、そこに話者の拒絶点があり、また孤独の水準点となっているものと思われます。

その文章に息づく思念のめぐらしにのっかって、(田久保は世田谷区在住だったようだが、のっかるのはバックビートにではない。)
彼女は話者の舌に絡めとられ、えぐられるかのように運ばれてゆきます。

文章の呼吸を整えたのち、彼女の似姿の運搬は話者の脳内さらに奥深くへと進みます。
頭蓋の内側を大理石の塊りが打ち付けているかのような不眠による感覚の鈍磨も読みとれるかもしれません。
おそらく「   」は対症療法的な一時的にしか効果の望めない処方箋でしょう。
話者はまずありふれた方へと向をとることで頭を休め、それからあくまで能動的に、その意志によって言葉へと、
さらには発語へと機会をうかがいつつ踏み込みます。

18 ::2006/03/11(土) 10:26:59
実にやっかいなことに話者たるものつねに話さねばならぬものです。
たえざる言語化の作用におびやかされるのは描かれる者のみならず、描く者にもまた言えることです。
それがおそらく「言葉で言えば」ということなのです。

わたしはこの六文字に対して言葉というものがすでにはらんでいる不自由を買ってでたというように読む者であり、
このことを作品全体を貫く濁りなきメローメロ文体(わたしはここでの文体を書くことによってでしか生起し得ない「たえざる今」の意味合いで言っています)と
あわせてかんがみるに、『触媒』は或る青春の一時期に起った恋愛を題材に択んだ小説の体裁を採りつつも、同時に小説家の小説、
芸術家小説のジャンルに与するのだと言いたい。

田窪はありふれた言葉であれ、それがたとえば愛のようなクサくてキザな流通経路しか残されていない単語であれ、
そのリスクを承知でとにかく賭けてみる作家です。一言でいえばその姿勢は信頼に価いするものです。
わたしが田窪をすばらしいと思える点はそこに尽きるかもしれません。

19 ::2006/03/11(土) 10:35:09
まだ気がかりがあります。でも今日はこれで〆括るふりだけでもしておきましょう。

では、後続に書きつけられた敦子の中は、こう言ってよければ中身のともなわぬ、
くだらぬ、つまらぬ空虚な言葉の響きのこだまにすぎぬものではないのでしょうか?

それは違う、うまず女に種付けが行われているではないかというのがこちらの私見です。
涸渇した泉が無様に見せるがらん洞(※)のようになった敦子の中へと深くうずめられた「 」は、
いずれ彼らに恵みをもたらすのでしょう。
すくなくとも田久保には、そのような期待に賭けるだけの理由があるのです。

その理由をわたしは突き詰めてゆきたい。みなさんもご一緒にいかがですかあ?笑

※ また古井を引き合いに出すのは気が引けるのですが、〜かのような、〜のようにといった
中学で習ったas if節のような修辞句は、少々鼻につくきらいもある古井の十八番です。
彼の場合はもっぱら認識の遠近感そのものが虚実をブチ割って突如現出する不気味さを表現する場合に用いているようですが、
どうも田久保の場合、もっとやさしくて、あったかいものを感じます。見守っているような……

20 ::2006/03/11(土) 10:54:08
配分ミスった。レス1つ足りてねぇ。

>13 ご褒美プリーズ。褒められて、育つ仔なんです。わたし……

てか、書き込んでで何度か「アレッ?」って思ったんだけど田久保ってリルケの影響が濃いのかな? 

リルケって
すべてぇー出発点はあ、unverbraucht(なんの手も付けられていないの意)な事物から!
とかほざいたり、クロソフスカ手篭めにして庶子クロソフスキ作ったり(それは関係ないな)、

(……只今散らかった部屋で古井訳ドゥイノエレギー捜索中也……)
(詩への小路、落丁本せっかく代えてもらったのに見つかんねー汗)
(向きあっていること、それ以外の何ものでもない、
常にただ向きあっていること、これが運命と呼ばれるものだ、
第八にこんな感じのありませんでしたっけ?)

まあいいや。この時代リルケがよーく読まれてたんでしょうね。
あと、なんとなくサン=テグジュペリの新潮文庫版『夜間飛行|南方郵便機』
『戦う操縦士』とか散文の感触が近いような……

結局まだ110円+送料に迷ってるんですけど買いですかね?>文庫版『水中花』

21 :吾輩は名無しである:2006/03/11(土) 16:22:57
乙彼。これでこのスレ当板残留確定かな。
スクリプト攻撃でも喰らわない限り、少なくとも3年、長けりゃ5年位の
長寿スレになるかもよ?、君のコマメな保守(2ヶ月に1度で十分w)が
あればだけれども。
まー俺もその内読んでみる。



 冷たい朝露が、草原一面に降りていた。
 暁の菫色の光に山襞が黒く巨きく浮びあがり、原生林に沿ってひかる裏手の
有刺鉄線は、鋭い刃物のようだ。夏の終り。風が露の香りをふくんで肌寒い。
コンクリート二階だての本廠舎前にならぶ五台の米軍用輸送車の大きな幌も
風に膨らみ、後尾の貨物車が向きを変えると、ヘッドライトの眩い光芒が、
ぎらりと僕の目を射てきた。浮き出る人影。小きざみなエンジンの唸り……。

                                 『深い河』冒頭

22 ::2006/03/12(日) 13:35:20
>21
いいね。

年譜を見るかぎり、『深い河』の頃になれば作家にとって習作の時期は終っているものと
看做すべきなのかもしれないけど、書きながら書いているものを検めている感じがビシビシ伝わってくるね。

こりゃ居残りがだいぶ長くなりそうだなー笑

23 :◆zOrK5KtBn6 :2006/03/18(土) 23:26:05
ここは田久保英夫のスレッドです! どんどん書き込んでくださいね!

(偽者出るとまずいからトリップ晒しとこう。#h-takubo)

本棚あさったら新鋭作家叢書後藤明生集に寄稿している文章を見つけました。
後藤を読むのに参考になるというより、田久保を読むのに親しむための文章のように思います。

  後藤明生は、複眼的な眼をもった作家である。……複眼的だというのは、一つには
その部分と部分をつなぐ眼の動きにある。後藤氏の眼は、対象への「遠近法」を整えて、
一つの全体を描くのではなく、部分から部分へ匍うように動く。その動きのなかに、
対象の全体像が、いや全体の投影がダイナミックに現れる。(以下省略)「自由なる潜行者」

どうもこのことは田久保にも言えることのように思います。
一つの段落のなかで食い違う時制・テンスの問題において、ですけど。

後藤の結成していた草野球チーム「キングコングス」に所属していたということは
オフィの年譜にないようですね。さしでがましいようですが、ここに補足しておきます。

ここは田久保英夫のスレッドです! どんどん書き込んでくださいね!

24 ::2006/03/18(土) 23:36:01
ここ一週間でウェブ古本屋に田久保本の出品が増えました。
入手が容易になったということは喜ばしい。このスレッドへの追い風ですよ。

わたしはまだ一冊も註文していませんけどね!

どなたか居らんかねー 田久保読んでみたいって奇特なひとはー

25 :吾輩は名無しである:2006/03/18(土) 23:53:11
興味もったよ。今度読んでみる。

26 ::2006/03/19(日) 00:34:48
『薔薇の眠り』というタイトルを聞いて思い浮んだものがありました。
これから読むひとになにかしら連想をふくらますきっかけになればと思うので引用:

おまえは千の眠りだ
わたしがよそおうまぶたに重ねられ
このよそおうているまぶたのしたでわたしはさまよう
香り豊かな迷宮のなかを

aus ばら VII (1924) 訳=白井健三郎/吉田加南子

やっぱリルケなんですけど、もし田久保にリルケからの影響があったとしたら、
審美社界隈のマルテ・オルフェウスあたりの選好とはまた違ったものだろうと思います。
たしか慶應にLES ROSES(1927年没後出版)があったと思うので、仏文科にいた田久保が
戦後世代として研究にかんでいたという可能性もなきにしもあらず。
(年譜を見るかぎり、一身上の都合で学生時代の研究はどうも中途半端なもののまま
切り上げてしまったようですが……)

>25
よろしくお願いします。
むろん読みを錬っていくのは或る作品を読むにあたっての楽しみのひとつなのですが、
キメの書き込みが要所要所にあるので、田久保作品は読み飛ばしても楽しめます。たぶん

27 :吾輩は名無しである:2006/03/19(日) 14:34:46
保守しる。即逝きするぞ。

28 :吾輩は名無しである:2006/03/19(日) 21:05:33
文芸文庫の「戦後短編小説再発見」に田久保作品とられてたよ。「蜜の味」

29 :吾輩は名無しである:2006/03/20(月) 06:19:21
>>9に既出ですよ。

30 ::2006/03/20(月) 07:08:35
選集第二巻『性の根源へ』ですね。
なにを勘違いしたか買ってしまったひとが結局ブックオフに売りつけたりする巻でもありますけど……

ペアーを食ったあとにかぎらず、ときどきふっと思い浮ぶ作品です。あざとさと紙一重で巧いなと、思います。
ずっと前、入院中の親父に読ませてみたら照れてましたっけ(笑)>「蜜の味」

自レス訂正。 ×オルフェウス  ○オルフォイス(に捧げる十四行詩)

>29
まあそう言わず。のんびり行きましょうよ。
    ______________
つ  |・|:|∴|::|中|中|中| | | |發|發|發| >27 (レスアンカーに意味はない)
     ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
             ↑ こういうのじゃなくて、
文学板では女性読者再獲得にむけて訴えかけるところのあるカワイイ田久保AA募集中です!

31 ::2006/03/24(金) 09:09:21
メンテage. >11訂正。『海図』は遺作じゃありません。おそらくは「生魄」が田久保の絶筆です。
(どこで刷り込んだか思い当たるフシなし。)ごめんなさい。
おそらくこの調子でわたしの書き込み全部を撤回する破目におちいるのではないかと不安です。
性格か、どうしてもボロが出るようです。
出先で作品集『薔薇の眠り』を見かけたので週末の古本屋巡回時に買ってくる予定でいます。
(そりゃもう当スレッド死守のためにですよ!)
立読みしたかぎり、当てずっぽうに書き込んだ>26でのリルケというのは的外れのようでもなく
目下牽制中といったところです。一読後、粗くであれ紹介しますね。

スレッドを建てて二週間になりますか。あらためて皆様、田久保をよろしくお願いいたします。
引きつづき講談社文芸文庫所収の田久保作品を読んだ方のレスもお待ちしております。

32 :吾輩は名無しである:2006/05/21(日) 10:03:49
保守点検

33 ::2006/05/25(木) 06:08:03
やあどうも。でも、なにを書き込もうか迷っているんですよね。
田久保作品においてその記述は難解なところがひとつとしてありませんから、
おそらくは、あの作品のあそこがいいよね、とか
あそこが好きだなー、とか
そういった話しの盛り上がりかたが、最も好ましいのだろうとは思うんですが。

春休みに『海図』を読みましたが、セリフに謎のような余韻を残すあたり
それもまた洗練のひとつとして挙げられそうな気がします。

この作家は、ページの文字組みに並々ならぬ精力をそそいでいますね。
出版過程の或る作業をさしてなんと言うのか知りませんが、
単行本上梓の前にかなり手直しを加えているようだと見受けられました。
ページをめくって最初に飛び込んでくる一行がどのようなものか、
わくわくするんです。

34 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 22:05:23
diaってあなたか?

35 ::2006/05/27(土) 22:19:10
さあ?
あなたが確言(肯定)を避けたようにこちらにも確言(肯定)できません、
なんてね。しかしとんだご挨拶だな。そんなことより大事なことがあるでしょう?

文学板よ許せ。過去ログを漁らせてもらった。

●追悼・田久保英夫●
http://mentai.2ch.net/book/kako/987/987412334.html

これが前スレだ。

何か書きたいが、まだ時間がかかりそう。
触媒を読んだのは浪人したとき、髪の環を読んだのは3年前、せいぜい保守するさね。

あのとき古本屋に彼の本が並んでいたのは死んだからだってことに今さら気づいたよ。
まとめて全部買っときゃよかった。笑

中篇「薔薇の眠り」で一番好きな箇所。

「 僕は三穂子の躰のすべてを夢幻のように、眩く感じた。いや、その肉体がすべて
自分の腕のなかにありながら、いま幻そのものに化し、深く深く開ける世界に変貌した。
その想念の世界には優しい〈神さま〉の母がいた。いまこの瞬間、目眩のなかで、……」

36 ::2006/05/27(土) 22:25:34
ちなみに、
誰も書き込まないようなら落してしまえと極めつけていました。
ごめんなさい。

建て直すときのスレタイもしっかり定めてあったんですよ。
「田久保英夫総合スレ Pt.2」どうだ!笑

さて、次になに読もうかな。

37 :吾輩は名無しである:2006/05/27(土) 22:27:54
>>35
ああ………ああ…

38 ::2006/05/27(土) 22:55:32
そちら様は次になに読むか決まったようですね。
うらやましい限りであります。笑

>>4の撤回しとくかな。読めばいいんじゃないか、なんででも。
図書館でもいいし、なんなら内面化された法を侵してでもね。
それがいいか悪いかは知らんよ、勿−論。

ブログを検索したら、芥川賞の審査員やってたとき、阿部和重に関して
田久保は「これを小説と認めるならば私は筆を折る」って言ったらしい、とか、
そんな記事があったよ。心境は複雑だねぇ。

39 ::2006/06/28(水) 22:10:06
まだこのスレを見ている人がいるかはかなり疑問なんだけど定期保守しておきます。

昨日夕方から朝方にかけて徹夜して長篇『仮装』をざっと読んだからメモ程度に書き込み。
(最近じゃそういう読書の仕方をすることもめったにないから少々疲れた。)
いろいろなことが言えると思う。やれ競争、淘汰、本能、契約、誠実、風習、掟、
そういった「愛」を取り巻くごもっともな理由の間で調停がうまくいかずもがく姿だ、とか、
やれそうして遠慮なく全力で事にあたれば、いくらかの惨状の下に正解は得られるかもしれない、
そんな予感に翻弄される姿だとか。やれ生きるに先験なしと……、いや、
読後の余韻にひたりながらそんなことを言うヤツはいないか。
帰宅してもう一回パラパラやったけど、いいね、これは。
話者が五十半ばと青年との二人いるんだけど、割かれる筆の分量も描きわけも申し分ない。

作者の実生活をモデルにしたとおぼしき作家兼大学講師をして「表現の力の停滞」といわせる
時期はたしかにあったんだろうと思う。このあたりはほとんど未読だからなんとも言えんのだけれど、
最高傑作かはさておき、田久保の世界を形づくるほとんどすべての要素を見出せる気がする。
(したがってまた初めての読者には恰好の入門篇ということにもなるのかな?)
どうもこれが長篇としては彼の最後作らしいこともあってコメントしにくいや。
一種異様なおかしみがあるね。自由または自棄になれず周囲をうろついちゃう不撓の精神というか。
たとえばここで言われている《場》を意識/無意識、あるいは性愛関係なんて語句に換言しちゃうと、
興ざめして、鼻白みもいいところで、そこにこの作家の面目躍如たるところがあるんじゃないか。

「自分と外界との間に、何かかくれた陰密な場があるような、渇きとも懐かしさともつかない
衝動に襲われた。」(仮装 P.189から)

40 :吾輩は名無しである:2006/07/01(土) 20:09:25
見てるよ(笑

41 :吾輩は名無しである:2006/08/03(木) 12:38:58
親米派の政治評論家

42 ::2006/10/17(火) 13:04:24
すまん、今忙しいからちょっとまってくれ。

43 :元龍貴■2ch従業員武道板の覚せい剤中毒者 :2006/11/01(水) 14:06:10
元龍貴■2ch従業員武道板の覚せい剤中毒者
HN:Master Contact 住所 大阪市中央区南船場1-14-7 アインズ南船場1F飲食店contact
【元龍貴の犯罪暦】★奈良県警吉野署熊代刑事を騙し誤認逮捕させ2ちゃんねる名誉毀損でっちあげ事件
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1105124092/68
★大阪府警此花警察署の取調べを馬鹿にした発言をし、警察に挑戦した事件
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1138783286/3
★道場見学者の名誉毀損動画作成2ch貼り付け販売事件(共犯者・合気万生道下津新地道場岩本総)
動画撮影した共犯者岩本総GINSA http://www.2chan.net/test/read.cgi?bbs=wide&key=1136540626
★空手寸止め4級で天下無敵を名乗り詐欺の武道動画販売するも、ハッタリがばれイジメに会う。
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/noroma/1160779503/l50
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1160192948/
★ヤフー不正アクセス他人のサイトのプロフィール書き換え事件。
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1125624504/
★タイ旅行客騙しピンハネネコババ脅迫事件(被害者と口論するヤフートビ・栗島に化ける元龍貴) 
http://sports9.2ch.net/test/read.cgi/budou/1124191662/



44 ::2006/11/22(水) 22:32:33
年を越せばきっとここにも人が来るはず。
それまで我慢。

45 :吾輩は名無しである:2006/12/19(火) 00:22:55
http://vegetated.o0o0.jp/pochi/src/nana25633.m4a_MdmuAlN3/nana25633.m4a

46 :吾輩は名無しである:2006/12/21(木) 19:47:27
19時50分頃書き込むか。馬鹿の得意げな顔が目に浮かぶ。

47 ::2006/12/21(木) 20:06:04
いらっしゃい。返レス拒止のムード濃厚っすね。
その後、さして読書がはかどっているわけでもなし、気長に構えています。
折みて書き込みますからどうぞよろしく。

48 :吾輩は名無しである:2007/01/05(金) 08:54:20


49 :吾輩は名無しである:2007/01/05(金) 10:28:59
海図ってどーなの?田久保作品の中では

50 ::2007/01/13(土) 06:55:13
地味ですよ。そこを佳しとする方も、いまひとつ煮えきらないと、不満を抱く方もいるでしょうね。
短篇連作に挑んでの二作品目にあたります。

『蕾をめぐる七つの短篇』という作品がありますが、うち4/7、『海図』創作のあいだに書かれ、
完結し、83年6月に刊行されています。こちらも連篇であり、執筆の開始は『海図』に先行します。
ただ、『蕾をめぐる七つ』のうち、はじめの三篇が昴79年11月号に同時掲載されているため、実質、
2つの作品はほぼ同時期に書かれた作品です。

また海図の書きはじめられた80年には、長篇小説の構想をとる「わが胸の薫る草」が昴に掲載され、
杜絶。未完。これらが年譜作品欄の伝えるところ。

自然そのあいだ、それだけ単なる短篇の数はすくないようですが、あるにはあり。
短篇連作となりゆく「氷夢」に関しても、83年の新年号に掲載されており、このことに附言すれば
84年の文芸誌新年号には彼の作品が二篇、新潮に「海図 V 夕の諧調」が、「氷夢 II 双鏡」が
群像に、それぞれ掲載されています。

入り組んでいるというほどではないにしろ『海図』各篇の執筆順序は収録の順と食い違っています。
こういうのは気分なんだとわりきって、それぞれのインターヴァルを図示してみると、こんな感じ。

51 ::2007/01/13(土) 07:01:25

              80      81      82       83       84
 ━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━
  海     図 ┃    ★                                 ┃80-4 新  潮
  風  の  木 ┃  ★                                  ┃80-1 文学界
  野     生 ┃         ★                            ┃81-1 新  潮
  凪       ┃                  ★                    ┃82-1 新  潮
  夕 の 諧 調 ┃                                 ★   ┃84-1 海  燕
  草  の  路 ┃              ★                       ┃81-7 新  潮
  水     宴 ┃                      ★                ┃82-8 群  像
 ━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━
              80      81      82       83       84

あとがきには、執筆の端緒となっている風の木、切りとなった夕の諧調を、それぞれ初出原稿から
「大幅に改稿、そのほかにも手を加えた」とありまして。85年6月に単行本の刊行です。

無論、『わが胸の薫る草』が気になるところです。
それがある種の挫折であったのか。あるいは当時、作家を見舞ったインタラプションがあったのか。
徹底的に破棄されたか、仕舞い込まれて、再開始するみこみがあったかどうか。
さしあたり、海図への直接の反映はないように思われます。

それで、いまパラパラめくっているのですが、あちこち記憶に穴がね。
ここであらすじでも追ってみようかなと。およそ公正さに程遠い評価もそれまで持ち越しておきます。

52 ::2007/01/15(月) 19:50:03
『蕾をめぐる七つの短篇』も『海図』も短篇連作です。それぞれに七篇を収録するという点では
共通します(『氷夢』もそのようです)が、ひと口に、ほぼ同時期におなじ作家の手がけた二つ
といっても、前者ではタテイト 経‐緯 ヨコイトの文目は判明としており語彙の反応も直截です。
また話が陰鬱であるならあるだけ、せめて文章の運動はぬれやすさを斥けようとすることなど、
もうなじみと言っていい。特質でしょう。

一風変わった衛星のように取り巻いている、そんな印象を受けます。
その意味では、全き作品から斥けられた「天球のハルモニア」のようなものかもしれませんね。
原稿用紙の三〇〜四〇枚といった分量に凝縮する作業には、すでに円熟がみえるようでもあり、
モチーフにおいて過去作の反復がみられるようです。
各篇における登場人物はそれぞれ名を与えられていますが、男は《かれ》に統一されています。
題名に冠する蕾とあわせて、このあたり興味ぶかく思っています。

20代後半の未婚と深い関係を結んでいる中年男が後者、小説『海図』の主体であり《自分》です。
この作品で田久保は一人称にあたるものの織り込みを、文中極力抑制しており、その自分でさえ
表象の過程においてときどき浮沈するのみです。作中、《ほとんど名もない仕事》をするという
彼もまた書きものをする者であり、そのとりとめのなさのなかで遊動に、名を匿しています。
冒頭のほうにこのような記述が設けられていますが、どうもこのとりとめのなさの凝集を通じて
各篇は別個にあるようです。

53 ::2007/01/15(月) 19:59:06
「その父と娘にたいしても言い分があるが、つとめて公平に見て、いつも負い目を感じている。
第一、自分は宗子と知り合った時から、別居中の妻と二人の子どもがいる。二年ほど前に、妻と
学齢前後の娘と息子は、千葉の実家へ帰り、たまに生活費を届けながら、子に会いにいくだけだ。
事実上、その結婚生活は終っているのだが、妻や後見人の兄といくつかの事柄がおり合わず、
今も籍は抜けていない。」(講談社単行本の11ページ)

娘はいわゆる内縁の配偶者となりますか。娘の父は義父です。異なる環境への接岸があります。
もの書きの彼は、自身多感なころに死別した職人である自分の父親を、つとめて娘の父相手に
垣間見ようとしているような、どこか屈折した思いを抱いているフシがあります。一言でいえば
慕っています。なんだか籠目細工みたいっす。まあ、今夜はここらで再読開始するとして。

いらん雑談挟みます。すんません。
知人から伝え聞いた話しですが、彼の昔に弟子入りした船大工が、まだ親方でもなく若いころ、
伊勢崎町ですか、加山雄三とつるんではハシゴしたそうです。一度など、行く先々の一軒一軒、
二人で顔を出しては飲み、その足で次の店へと向かい、興にまかせて一晩中、もらって歩いた
マッチの数は120を越えており、夜の明けるころ踏破されざる飲み屋もなし、とは知人の弁です。
あながち誇張でもないように思っています。60年代前半のことでしょうかね。
そういう時代でもあった。
いまでこそ、クルーザーの個人所有もさして珍しいことではなくなった。
旧家の出なり、よほどの金満家でないかぎり、一個の道楽に船舶を所有するなどという発想が、
一顧だにされることのない当時、その親方の言うところでは、あれはあれほど海に入れ込んで
幸福以外のなにものでもないと。
ちぃとばかしギルド意識の強い業種なのかもしれんです。。

54 ::2007/01/17(水) 07:09:37
海図七篇 あらすじ

T 海図
早春、女の実家を訪ねた先で、外された海図の額に気づく。かつて義父令吉が海軍将校として
作戦に使用した地図が掛けられていた。彼女は母を八年前に亡くしており、横浜へ、なにかと
用事をつくっては通っているらしい。令吉の所属するセール製作会社は経営に苦況している。
三人は、クルーザーにかける帆がようやく仕上ったため、試走に出る。令吉自らの設計になる
クルーザーである。長く、入念の仕事であった。洋上にて錯綜する過去。

II 風の木
生活費を届けに行くと妻からスイミング・クラブに通う息子の附添いを頼まれ、見学している。
そこで息子が怪我をする。病院へと同伴し、処置を済ませたのち、妻の家に連れて帰る。彼は
死んだ父を思っていた。妻を相手に言葉や意志の届かないものを感じ、早々に引き上げる。

III 野生
漁業を営む夫妻のもとを訪ねる。夫人の負傷により船を出せずにいたというが、すでに夫人は
退院している。滞った貸賃の督促は二度目になる。宗子にせがまれ同行する予定だったが今回
彼女はすっぽかした。不漁らしい。債務者に対することなど慣れてはいないが、今日は独力で
船を出すと言う男とのやりとりを経て、彼は貸船に同乗することになる。船上では男の口から
満州の或る結婚が語られる。

IV 凪
別居中の妻とは正式に離縁した。一方宗子は三十になった。だが彼女が横浜の実家に出かけ、
泊まってくるのは相変わらずだった。仕事柄、宗子が不在では困ることも多い。次第に障害を
伴う頃だった。ある日、二人して外出する用事があり後で合流する約束をする。若い頃に彼は
結核の療養のためそちらに暮したことがある。療養所で知り合った女性の父から年賀状が届き、
ぜひ寄ってくれとのことだった。道すがら思いは馳せている。当時、電気治療にかかっていた。
いかがわしい老婆の操る機械の治療によって、彼は術後を乗り切った。内心惹かれていた都に
再会すると彼は療法を紹介する。やがて都は命を落とした。都の父は彼に絵を見せようとする。

55 ::2007/01/17(水) 07:10:42
X 夕の諧調
彼の仕事先に電話があり、義父の会社から不渡りが出たと聞く。急場をしのぐ必要があった。
宗子の知人の会社経営者に令吉を連れて融資の交渉へと出向くことになる。以前雑誌に書いた
父親をもとにしての記事を読み、相手方は彼に関心を示しているという。同行するが、交渉は
価値判断の違いに難航し、クルーザーを買い取ってもらう商談に決着する。それは亡き令吉の
妻の名を持つあの船だった。義父は交渉の相手に、戦死した弟株の将校を思ったと告げる。

VI 草の路
仕事への没頭から義父が倒れる。宗子は退院後の自宅養療を世話している。彼もまた根を詰め、
大分ガタがきているようだった。そこで宗子たちの遠縁にあたる須見夫人に家事手伝いを頼む。
夫人の手伝いは板についたものだが、時折おかしなことを口にする。そして惑乱を示し、去る。
入院時に駈け付けたきり時間を割けずにいた彼は義父の家に行く。すでに事情は伝わっており、
令吉から家へ寄こすようにと諭される。同病相憐れむだと言う。完成した船の試走を見物する。

VII 水宴
二月後、彼は住居を引き移り、仕事している。友人の画家から、古い山小屋を借り受けている。
豪胆な前住者の残骸にしばらく悩ましく過したが、やっと仕事の調子が出始めている。そこに
危っかしさもある。宗子もそうだが、子供らへの仕送りが彼の懸念となっている。家を出たまま
宗子は帰らず、すでに諍いも宙吊りになった。いずれ家は清算し西伊豆へ移る由ならば横浜の
宗子宛への手紙に書き送ったが、やはり心の修羅があった。ある日、彼は町なかに宗子の姿を
見たように思う。彼は風呂場に水を汲む。

56 ::2007/01/17(水) 07:42:00
おまたせ。再読を堪能しました。不備があると思います。KBの都合で端折っていたりもします。
今回こちらは主に近接性・親近性 [proximite] の小説として読んだようです。
そこで(間)の距たりと離れかた、和合への欲求、さまざまな衝迫やその兼ね合いを、作品が
一時的にあずかっているというように。

各篇のどこかしらかならず風が吹いていることに、読者はそのつど目をとめるでしょう。
いかなる性質の風か、というのは読者各人の判断に譲られたこととして、もう一点、この作品が
終章の水宴をのぞき、その描出がもっぱら日中に限定されているということについてなのですが、
そのドラマツルギーは種々のことどもを孕んでいます。出来ごと、事件、なんとでもいえばいい、
自分の体験したことが、その内実によって、その内部から蚕食され、禁欲的に贅肉をそぎとられ、
感覚性を剥奪されています。それらすべてに、本来の形を覆いかくしたような趣があり、これが
作中、鈍なように感じられることさえままある男の正体なのだろうと考えています。(「凪」は
再読でもキツかった。)それが厳粛だかどうだか知りませんが、夜は、仕事の時間のようです。

後ろぐらい情念の微妙な変質を扱っているため、作品に沈潜することで、毀損や、広く暴力衝動、
死の欲動に敏感であるようにと求められるはずです。おそらくそこが、この作品の眼目だろうと
見当をつけているのですが、登場人物たちは、それらをうまく飼い殺している……

57 ::2007/01/17(水) 07:42:41
総題とする理由は、草の路の仕舞いのほうに書かれているとおり《海図にしても、……》――
海の世界を相手にすることと、書くいとなみとを、オーバーラップさせているとことが一因に
あるだろうと思います。

その目的へ達するためには底なしの深淵に挑まねばならず、そこは向こう岸も灯台も見えない
闇黒の大洋であって、私たちは航路のない海域を行く船乗りのように出帆しつつある。つまり
関係であり、要所要所で男が、(すでに触れられ、書かれている)人物像をなぞっているのも、
もちろん、各誌に連作の書きつがれた経緯も手伝っているのでしょうが、それ以上に、大昔の
船乗りが、どこか陸地にゆきあたるなり、航海術上のあらゆる慎重さをまもっていたとしても、
自分でも知らぬうちに流れから行く先を狂わされていなかったか、航路を再度あらためている、
そのような姿もみえてきますか。

目的はショートした直接的な昵懇(入魂)の間柄ではなく、生命はエゴイスチックな中心から
いやおうなく引き離され、もう自我を中心にして回転することのないような結びつきの実現を、
自分のなかには巨大な無私の力を彼は見たいというだけのことです。たぶん。
作品のなかの海――風の木のなかに女性性を海にたぐえる箇所がみえますが留保。懸案です。

58 ::2007/01/17(水) 08:05:32
お店や室内の装飾に用いられているものくらいは見たこともあるのかな、しかし海図というものを
観察したことがなく、陸上の地図とどれだけ異なるものか、残念ながらわきまえがないんですよね。
港の位置、沿岸の形状、水深(多くの航海の場合、深さよりも浅さが必須情報となるのではないか)、
岩礁珊瑚礁、潮の流れの指向性、航路標識や陸上の目じるしなど、さらに海域によって気象ないし
海象条件が記載され、そこに書き込む予定航路、ということになるようです。
普通、国から発行されるものでもあります。

作家としての転機にあるようですね。以降、彼の手になるいかなる作品も、あるがままの姿そのままを
額面どおりに意味する必要はなくなり、反面、彼のいかなる作品においても、判明されるにあたっては
読者の手にわたった作品以外のなにものも必要とはしないような、創作を介する不可避のアイロニーと
表現との幸福な結婚を、ただし仮象として模索するようになってゆくのではないかというのが意見です。

あと一点。
単行本152ページの《この東京郊外の住宅地で以前から汚れた川が、近頃浄化され、[……]》(草の路)

田久保は都会に生活しつつ、深刻化する環境問題の時流に身をおいた一人でしょうし、いまは手許になく
正確な時期をいえませんが、エッセイ集『不意の視野』のなかにも、当時、進む一方の大気汚染に関して
機運の高まる以前のけっこう早い時期に、いっそ隠棲したいというような、いまいましげに洩らす文章を
目にすることができたように記憶しています。
幼年から娼家にくらした記憶と、澱み、濁って、地区に滞る自然の流動とは、相通じているようでもあり、
たとえば「水中花」ですが、あれなどは腐臭に取り巻かれての、生理的な不快感に抑圧される私において、
区別しがたいほどわかちあい記銘されてもいるのですが。
こういうところにも表れていたりするかも。やっぱり見当違いかも。

今ぱっと書き込めるのはこのくらい。読みにくくってごめん。>49

59 ::2007/01/19(金) 19:54:21
海図の執筆は戸塚ヨットスクールが取り沙汰されていた頃ですが、
なにせ読み取れることが少なくって、どう思っていたのかは不明。
(85年の読者に読み取れることはけっこうあったかもしれません。)
去年の春、戸塚校長が満期出所したって報じられていましたっけ。
その後のごたつきも。

連投するとスレが寂びれる。ログを流さないと書き込みづらいね。
返事は気が向いたらでいいよ。またきてね。

60 ::2007/01/19(金) 20:01:53
さて、せっせと検索しとります。
もうそろそろ、ネット古書店を活用しようかなーと。
なるべくなら歩いて見つけた店先で求めたいところなんですけれどね。
次、どれを読もうとか、決めにくくて。つぶしにかかっているみたい。

注文する予定には雨飾りを含んでいるのですが、
日本百名山のひとつに雨飾山があるらしく、寄り道中です。
ttp://www.vill.otari.nagano.jp/kanko/tozan/amakaz/index.html
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/雨飾温泉

田久保と雨飾山、どっちが知名度あるのかな。なんてね。

ここに書き込まないことにはスジ違いになることがひとつあって。
ただ、どう書きゃいいんだか。まあいいや、大したことじゃない。

61 ::2007/01/19(金) 20:10:26
祝! 文化庁が田久保作品の輸出を決定した模様。
www.jlpp.jp/j_st05_kodansha.html

プロジェクトの一環としてですが、第2回分の対象作品に
「戦後短篇小説再発見2 性の根源へ(講談社)」があります。
したがって、「蜜の味」が仏訳されるようです。

それで遅ればせながらアマゾンに探りを入れてみたんですが、
仏訳者 Pascale Simon 氏のことがわかんねぇ!
解説みたいなもんが付録するなら意地悪に読んでみてえー

氏の訳業は「K」「絶対彼氏。」「脂肪と言う名の服を着て(共訳)」
「ガッシュ!!」「蛇を殺す夜」「シティハンター」など多数です。
ほか、字幕の仕事に「ユリイカ」があります。

「もの喰う女」がどーなるのかね。AA略してアハハハハハハ
あーあ

62 ::2007/02/08(木) 06:58:05
携わったのは映画ユリイカではなく小説ユリイカ。氏の名誉にかけて訂正を。
申し訳ない。

わが胸の薫る草、題からは草の葉を連想するべきなのかな。
1980年の集英社すばるというと、月刊誌になってまだ間もない頃なんですね。
どのくらい連載していたのか調べないと。図書館頼みになりそう。

63 :文学青年くずれ(23):2007/03/09(金) 14:26:25
田久保いいよね。



髪の環読んでて海図も読もうと思う

64 ::2007/03/10(土) 06:45:44
そう言ってくれる人がいると心強い。擬音をぐっ、と鳴らしたいくらい。
今年も続行。なれの果てまでお惚気可能なんじゃない?、ってな感じでGO

海図に関しては、できるかぎり意見を聞いてみたい箇所があるんですよね。
冒頭一篇の義父の言葉なんですが。把握できる気がしなかった。

海図については中上が書評しているようです。「存在と非在」。
『時代が終り、時代が始まる』所収らしい。少々気になる題ですね。
未確認ですが、入手して読んでみようと思っています。
そういえば、まさに触媒がそれなんでしょう。
男権社会の崩れおちる時代が終り、新しく時代が始まりつつあった。
思い返してみれば、その予感にあふれた作品です。

何らかの顕現を待ち望んでいるかのように焦れる人間存在を描出する点で
(誤読の可能性大)、この作家、多少は古めかしいのかもしれない。

講談社文庫『髪の環』カバー表紙がレトロでいいんだ。経年劣化が似合う。
厚紙に安い印刷をされた焦げ茶のインクが剥げる。それでいい。

65 :文学青年くずれ(23):2007/03/10(土) 10:37:42
海図の評判を知りたくて検索したら、中上が書評してるらしいこと知りまして。ぜひ読んで教えてください

66 ::2007/03/10(土) 20:27:42
いいよ。こういうときは全力で安請け合いするんだ。
講談社文芸文庫の解説もどこかで立ち読みしてきます。放言している手前。
人間と人間とのあいだで、そこに存在するでもなくまた非在するでもなく
時間をかけて、言葉を宿し、運んでくる海を感じられる書評だといいなー。
期待!

67 :吾輩は名無しである:2007/03/11(日) 13:29:30
むかし買った講談社文庫『髪の環』をいまでも読み返すことがあります
当時は吉行ファンだったのでなんとなく同質な匂いを感じて気に入っていたような…

この作者の本って文庫化されてないのが多いですよね
「触媒」「しらぬひ」といった長篇小説が文庫で読める日は永遠に来ないんでしょうか?
「生魄」ですら新潮文庫で出るかどうかわからない…

68 ::2007/03/11(日) 20:00:33
大御所からの推薦や指南、若手作家の愛読書の披瀝があるならひょっとすると今すぐにでも、
とは思うのですが、現況では文芸文庫の選集が打ち止めでしょう。
後追いで作家に向き合おうとすれば古書店が頼みの綱となる、というのが正直のところです。
長篇小説文庫化を視野に入れる場合、上下巻に分冊せざるをえないものが少なくありません。
そうした作者との細かな調整を要する事柄となるボリュームの都合もありつつ、それ以上に、
作品には時代風俗に根ざした部分が大なり小なり占めているように見受けられます。
その時どきの読者には、作者と同一の地平なり場なりを共有している意識があったはずです。
さて今はどうだろう。どうでしょうね。
遊びに行った宿泊先で、スポーツ新聞の連載官能小説を読んでいたら「月かげ」が堂々と
パクられていてさ。なんか恥ずかしくって。夜のゲレンデ見下ろしながら頭掻いちった。笑
数年前のことです。妙な連帯感がありました。

昨日から『遠く熱い時間』を読んでいるのですが。表題作が勁くみずみずしい。
大正時代、外務省高官の刺殺を企て、実行した少年を描き、描こうとする作家を伝える佳作。
いわゆるメタフィクションの部類に入るのでしょうか。
作中、名前は書き換えられているものの、「阿部守太郎 岡田満」で検索すれば、いくらかの
情報は得られるでしょう。ノンフィクション? 69年の発表ですが淺沼稻次郎の殺害が60年
ですから、その頃から温めていた作品かもしれません……
電報を模したようなカナ + 漢字の日録断片と、同一人物の手になると思しき簡潔な口語の
創作が交互に配置されています。どちらも二次創作ではない。抱き合っているのがミソです。
作中人物と作者とを同一視するのは危険ですが、書き進めるにつれて作中人物の諸問題を
抱き込み、交流が生じているように感じるのを不思議に思います。また読み返そう。
ほか睡蓮、奢りの春の順に収録。「芥川賞受賞作家の第一作品集!」と帯文にはあります。
初出の誌されていない単行本ですが、睡蓮・奢りの春は62年の作品であり名実ともに初期作。
集英社文庫へ収めるにあたって「奢りの春」を表題作とし、収録順を変更しているようです。
著者が後年手を入れているかもしれません。Sorry! 文庫本未確認

69 ::2007/03/12(月) 00:05:23
1969 「深い河」第61回芥川賞
1976 『髪の環』第30回毎日出版文化賞
1979 『触媒』第29回芸術選奨文部大臣賞
1985 「辻火」第12回川端康成文学賞
1987 『海図』第37回読売文学賞
1997 『木霊集』第50回野間文芸賞

どこの誰が必要とする種類の情報なのか分からんけれど。
文学賞受賞作をピックアップするとこのようになります。公式HPにて選評を
いくつか掲載しているようですので、興味のある方は年譜に張られたリンクからどうぞ。

さっき『髪の環』買いなおしてきたんですよ。単行本の第四刷です。
布張りの発色が目を惹きます。藤色とモーヴ色の中間色、ってところですか。
良い短篇小説に起きることとして、
「強く印象に残ったところを求めて書にあたれば見つからないものだ」みたいなことを
古井が書いていたおぼえがありますが、本当に起こるとは思っていなかった。
それでも、もう手離さない、とは断言できない弱み。いい本は他人に贈りたい。

70 :吾輩は名無しである:2007/03/15(木) 18:22:17
髪の環いいよね

やっぱ蜜の味が好きかなあ

71 :吾輩は名無しである:2007/03/15(木) 19:05:12
たしか東京新聞に連載していた長篇があったような気がするけど、あれですら文庫にもなった形跡がないなんて…。

72 ::2007/03/15(木) 23:04:29
1978 『奢りの春』集英社文庫 解説: 三木卓
1980 『水中花』集英社文庫 解説: 中野孝次
1978 『薔薇の眠り』中公文庫 解説: 荒川洋治
1979 『髪の環』講談社文庫 解説: 上田三四二
1988 『海図』講談社文芸文庫 解説: 川西政明
検索すると文庫には以上のものがあります。
これらは絶版ないし品切れの文庫本タイトルです。
数字は文庫化されての発行年です。
1988年は講談社文芸文庫創刊の年だと聞きます。
来年には二十周年を数えますね。

偏っているようです。
過去作を文庫化して出版することに対し、著者には言わぬが花のこだわりや、
考えがあったかもしれず、一概には批難しづらい。うーん……

2004年、『深い河|辻火 田久保英夫作品集』が講談社文芸文庫に入ります。
解説者に管野昭正を迎える。
原稿を依頼する解説者の人選って、こうもバラけるものなんでしょうか。
以上敬称略

> 文芸文庫の作品集
すごく言いにくいのですが、一冊ぐらいは入れといてやるよ的なものを感じて
依怙地になり、手に取ってさえいません。。 (打ち止めなんざ認めねぇー!)
すいません謝りますごめんなさいいずれ折れます。

73 ::2007/03/15(木) 23:05:55
>>70
以前は集中各篇の出来にむらがあると、漠然と感じていたんですが、読み返してみると
元気な《いろんな象 [ルビ: かたち]》に翻弄されていたようで、ごにょごにょする。
「蜜の味」もそうですが、職業柄、線に固執している男、ってのは複数作品に出てきます。
骨通りは実在し、今でも通用するようです。山谷通り、吉野通り。

>>71
花闇(東京新聞連載)読んでみたいなあ。
新聞に連載する形で発表された作品には他に『川の手物語(公明新聞)』があるようです。
こちらはけっこう長期に亘った連載のようですが、どんな物語なのかしらん。
公明新聞は公明党の機関紙・公明新聞(日刊、1ヵ月1835円、1部71円 [07年現在])です。

74 :吾輩は名無しである:2007/03/16(金) 10:21:03
>>71
「花闇」は新潮現代文学という全集の田久保英夫の巻に収録されています
図書館で容易に見つかるとおもいます

75 ::2007/03/18(日) 07:49:24
フォローどうもありがとう。
よし、図書館へ様子見だ。

 ┃┃ P A U S E

76 ::2007/03/18(日) 20:16:20

▼ 存 在 と 非 在 ――田久保英夫著『海図』書評 (全文)

〈一人の人間がちょうど連環のように、いくつかの体験をつみ重ねながら、変って行く小説を
書きたい、と考えていた〉と田久保英夫氏は「あとがき」に記している。その連環の継ぎ目に
当るのは、作中で全く主格を省かれた男と一まわりほど齢の離れたまだ正式に結婚をしては
いない恋人の宗子、その父親の令吉であり、ヨットである。その継ぎ目に変数が掛けられる
ように、別居し離婚する妻の時江や息子の悦、娘の俊子が在り(「風の木」)、松尾夫妻が
在り(「野生」)、須見夫人が在る(「草の路」)。

  この連環¥ャ説は小説の巧緻な製作者によってつくられた男の関係の変容を追った
小説であるとまず読める。関係の変容は、一人の男が別居し、若い女性と同棲し、妻と離婚し、
若い女性とも遠ざかるという筋になるものを、エイゼンシュタインのモンタージュ技法のように
〈いくつかの体験〉の時間で切り、重ねる事で浮き上がってくるものである。この関係の変容は
作者の気質を顕わにしている。集中の最後部に置かれた「水宴」で示されるように、遠ざかる
事によって、あるいは失う事によって見出す女という存在。

  評者は「水宴」まで読みついで来て、川端康成が「眠れる美女」で達成した遠ざかる事に
よって、見出したエロスと同じ物がここにあると思ったのだった。そう思いつき、さらに「眠れる
美女」が眠り込んだ少女を抱きしめる事によって果たす老人のエロスという設定と、作者が
意図的に主人公のいかなる人称も書き記していないのは、同じ事を示しているのではないか
と思ったのだった。〈その瞬間、お互に堰かれていたものが、一時に溢れ出すように、腕を
からませ、顔を寄せて、水の中で軀をじっと触れていた。ただそれだけだった。しかし、それで
充分なものを感じていた〉〈宗子とこちらの軀は水に快く包まれ、お互の触れている皮膚だけ、
暖みが通いあった。女の軀から、たっぷりとした熱さが湧き出て、お互の肌と溶けあい、その
境い目が知れないほど、なまめいた感触に襲われた〉美しいと思う。ただその美しさは、
存在と非在という設定が仕掛けられてあるから成立している事に注目を要する。

77 ::2007/03/18(日) 20:17:31
存在と非在とは田久保氏の新しい文学のテーマとしての老翁の発見の事だろうか。
小説巧者の連環¥ャ説を前にして、謎は広がる。

  多出する海や水のイメージの意味するもの、さらにヨットの象徴として指し示すものは、
この小説集上では何なのか。単なる不確定な関係の変数なのか。それとも死なのか、
生なのか……。

■ 参考メモ

「存在と非在」『新潮』85年10月号に掲載とのことです。
福武書店刊(1988)前述書 pp.327-328から。中上健次全集第15巻の抄録には収められず。
おそらく誌面にしては一頁の依頼書評でしょう。

中上全集(15)には89年の文芸時評が収録されています。カツを入れる辛口の時評ですが、
田久保の作品にはおおむね好評価であったようです。
そのなかで「『内向の世代』と呼ばれた作家群がここのところ活気付いている気配がする」
といった所感を洩らす回があり [早速うろ覚え]、評者は諸氏の名前を列挙するのですが、
田久保を最初に挙げており、意外でした。(たしか順接の接続詞をおいて古井が最後です。

参考までに前述書 p.250 「古井由吉作品完結によせて」から抜粋すると
「古井氏は所謂内向の世代の作家と言われた一人である。今、改めて〈内向〉とは何か?
と問うてみれば [……] デッド・エンドから出発し、それをこじあけるために戦略として大仰な
物、劇的な物をしりぞける意外と気むずかしい小説家の姿が映る。言葉を変えてみれば
物語の回避である。」こういった条件のもと中上は〈内向の世代〉を認識しているようです。)

全集(14)にはランボー詩篇の私訳を紹介しつつ、自らの言葉が詩に向いてはいないことを
述懐する短文をみることができます。その巧拙は措くとして、田久保は私訳詩篇を引きます。
海図には一行きりですが、一目おいていることには、そういったことも当然含まれています。

中上の引用は「水宴」p.207からによります。

78 ::2007/03/18(日) 20:33:10
けっして良い中上読者ではないことを笠に着てテキトーなことを言うと、
この書評の歯切れの悪さの大半は、編集局から割り当てられた紙数の制約によるものではないんだと思う。
読んですぐに書いたんじゃないかと思うほど、これは筆が走り滑っている。そりゃ感情移入するだけのものも
評者側にはあったろうと思うけれど。大概は思想(おぼしめしと読む?)の定着を急ぐとこうなると思います。
非在とはまた強烈な一語です。たっぷりとした思い入れがありそうだ。

存在 [現前/不在] の凝集
非在 [潜在/顕現] の拡散

こう捉えていると「水宴」では背負い投げを食らうんだろうなあ。〈注意を要する仕掛け〉と言います。
いや、ぶん投げられていいんでしょうが、これを愚直に受けると水宴一行アケ後のパートは実体のない、
読者に夢オチと判別のつかない宙吊りのものということにもつながり、甚だ微妙です。読んでみてください。
「風の木」ラストに数行、ズバッと書いてありますから、存在と非在というのをイメージしにくいならそちらを。
ありもしないのに現れたり隠れたりするもの。一冊の書を前にしての感想もまた〈非在〉でしょうか。

多出するといえば花と鍵ですか。特に必ずしも一義的ではない鍵への偏愛。これはかなり気になる。
おおっぴらに象徴を用いる作家かどうかの見極めがまだつかなかったりする。注意してはいるんだけどさ。
デリカシーを要する問題だろうし。でもまあ、『髪の環』読んでいると象徴パワー、スッゲーナ! と思う。
底知れぬ非在領域につきぬける快さがあって舌を巻いちまう。痛みは?

書庫に資料請求する必要がなかったから『空の華』を借りてきた。手に取って、借りてきたのはいいけれど、
たぶん期限中に読めはしないんだろう。トホホ。書名の読みはそらのはなでいいみたい。

言を借りれば田久保の《デッド・エンド》は何だったのか。
透谷の言をもじって《恋愛は人生のデッド・デェエッド・エンドである》と言ってもいいのか。
じっくり考えていきたいね。自省を促しつつ可能なら簡潔に。

79 :吾輩は名無しである:2007/03/20(火) 12:05:54
>>76-78
以前中上の書評が読みたいと言ったものです。載せていただいてありがとうございます。とりあえず海図をば読み始めます

80 ::2007/03/27(火) 13:56:37
どういたしまして。こちらは雨飾りの読書を開始するつもりでモチベーションを高めます。
満を持しての読書、というわけにはいきそうもありませんが、いい季節になってきたので。

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