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++詩的レトリック入門++

1 :名前はいらない:02/12/29 21:53 ID:yVYvhYah
北川透の「詩的レトリック入門」の読書会スレッドです。
何でもアリの2chルールで行きましょう。

630 :名前はいらない:2006/03/25(土) 18:38:48 ID:QBSAGvYR
ボルカ上の文章読んだけど、すごい厨やね

631 :名前はいらない:2006/03/26(日) 10:45:34 ID:WY5XutHr
こういうやつが、詩をやってるとか言われるとはなはだ迷惑。

恥ずかしいんだよ

632 :ボルカ:2006/03/26(日) 22:55:36 ID:sVn+mZVj
>631
だからさー。
煽りになってないんだよ、ちっとも。
もうちょっとがんばれよ。

633 :ボルカ:2006/03/26(日) 23:06:55 ID:sVn+mZVj
 てか、なんかやんなってきたな。

 お前にはぜんぜん萌えないんだよなー。たぶん実際あっても勃たないと
思うよ。俺は通常、ギャルならオールOKなんだけどな。
 あまりにもステレオタイプすぎなんだよ。
 もう少し、自分の言葉でしゃべれないかなー。

 たとえばさ、>>629のレスなんか、ほんとチンコちじんじゃうよ。
 お前、脳みそもマンコも腐ってんじゃないか?シャブのやりすぎ
かなんかで。
 普通628ぐらいヒドイこと言われたら、もう少しアジのある悲鳴を
上げるもんだけどなあ。


634 :ボルカ:2006/03/26(日) 23:11:11 ID:sVn+mZVj
ま、そういうわけで、俺はもうお前の相手すんのは飽きたから(笑。
じゃな。


635 :名前はいらない:2006/03/27(月) 05:39:13 ID:YIMwUGLu
つまんね。
しばらくしたら見に来てやるから、またチラシの裏続けろよ。

636 :ボルカ:2006/03/28(火) 03:05:50 ID:MDBMP470
 お前タフだなあー。
 むしろ友達になろうぜ(笑。

 俺が今、一番気に入ってるテクストは、詩人のテクストじゃなくて本当に太宰の作品なんだよ。
「現代詩フォーラム」でも、太宰のことしか書いていないぐらいだ。
すぐ飽きるだろうけどな(笑。

 ふとしたきっかけで、太宰の短編集である「晩年」に入っている「魚服記」っ
ていう作品を再読したんだんだよ。
 切ない作品だけど、秀作だ。
 俺はもともと太宰は好きだったんだが、それですっかりはまってしまってね。
立ち読みで読める長さだから、気が向いたらお前も読んでみるといいよ。

637 :ボルカ:2006/03/28(火) 03:08:29 ID:MDBMP470
「好きな詩人は?」と誰かに訊かれたら、俺は通常、テキトウなウソを答える(笑。
詩人である俺に向かってそんな質問をする奴には、通常はウソの答えで十分なのさ。

だが、たまには本当のことを言ってみるとすれば、俺が本当にココロのソコからこの
詩人はすごい、と思う詩人は、いないな。残念ながら一人も。
もちろん作品レベルで言うなら感動する詩はあるし、詩人についてもカッコイ
イと思う詩人はいる。尊敬している詩人もいるし、イロイロ教わっている先輩
詩人もいる。
だが、俺は詩人としては俺自身が一番好きだよ。

作品で言えば、最近感動したのは、モリマサ公ってひとの作品で、「雑誌」とい
う同人誌に収録されているものだ。
この一年間で最も感動した作品ということでなら、俺たちの同人誌Poem Rosettaの
収録作品で、ある無名詩人が死刑になったお兄さんのことを歌った詩だな。
ギャグの形をとってるんだが、あれは本当に泣いた。

638 :ボルカ:2006/03/28(火) 03:23:47 ID:MDBMP470
 じゃあな。
 (二度も言うのはいかにも馬鹿だが(笑。)

 俺は今日、あと二時間したら出張に出かけて、しばらくは2chにはアクセ
スできない。

 ・・・さっきこの一週間の流れを読みかえしてみたんだが、俺って本当
に最低の屑だな(笑。
 お前にすれば、俺に言われる筋合いは無いだろうが、あんまり気にすん
なよ。俺が勝手に愚劣なだけだし、俺は好きで愚劣君をやってるんだから。



639 :ボルカ:2006/04/02(日) 02:59:54 ID:z+NYQptU
 ところで、何度も言ったことだけど、ここは対話の場所。すでに企画が終わ
ったんで、気を抜いてノンビリしてるってだけなんだな。こうやってノンビリ
してれば、新たに課題の本の読者が来て、イロイロ述べていくかもしれないしね。

 大体からして僕は、「自スレ」ってのは自分には不要だと思ってるし。
 自分の詩論については、公表したいときは自サイトや◎やフォーラムで公開してるし、
したくなくなれば随時、降ろしています。

 だから、リクエストに答えてチラ裏をやりたいところなんですが、実際
にはあんまり気が乗らないなあ。

640 :ボルカ:2006/04/02(日) 03:12:36 ID:z+NYQptU
 今、僕が詩について考えているなかでの根本問題っていうと、まあ幾つもあるん
だけど、一つの大きな課題は、「言葉が共有されていない」って言う状況をどう押
さえるか、ってことです。

 たとえば、他人を批判するときは、「正義」っていうのが当然に前提されて、
その前提が吟味されて始めて批判の正当性が議論できる。
 それは、「批判」ということの常識だろうと思うんだけど、正義と関係ない
部分で、個人攻撃を始めちゃう人がいるよね。お前のことではなく。
 「キモイ」とか、「イタイ」とか、そういう正義とは無縁の概念を「批判」
につかってしまうんだよね、そういう人は。そういう人に「批判とは何か」を
語っても(つまりは、「お前のソレは批判になっていない」と言い返しても)、
話が通じる可能性はきわめて低い。つまり「批判」という言葉が共有されてい
ないんだな。
 そんな感じの問題意識が僕には深く意味深いかな。

641 :ボルカ:2006/04/02(日) 04:50:55 ID:z+NYQptU
例によって無数の間違いですが、「深く意味深い」ぐらいは
直しとこうかな。

642 :名前はいらない:2006/04/02(日) 05:04:56 ID:rRaww2vf
商業にも絡んで詩に関わってるんですか
最近の文芸での論点の主はその一般的な教養の低さに
創作がどう向き合うべきか、みたいな話ばかりで
世の中に向けて書く立場からするとやってられない
心境になるだろうね

643 :名前はいらない:2006/04/02(日) 05:15:31 ID:rRaww2vf
大衆文化の恐らくは無視できない一端、質でなく規模の上でだけど。
テレビを始めとするマスメディアで流布される情報に起因する所が大きいのではないか
噂では最近は文化人が出演する討論番組のようなものがもてはやされてるようで
視聴者の方ではマスコミが想定してる需要よりも
もっと高尚なものの方に意識は向いてるんじゃないかと思われるんだが
当該文化人関係のものにしてもそのほとんどが
政治経済を扱ったショーばかりである所、より、文化面、哲学や文学の最新の論点
について喧喧諤諤の議論が扱われると、言われているような教養の面についての危惧の解消
あるいはそこから良質な文化に起因する副産としても良い効果が表れるのではないかな

644 :ボルカ:2006/04/02(日) 17:41:55 ID:z+NYQptU
 だれに向けて書くか、という意味では、私は世界に向けて書いています。
自分が納得するために日記を書くのとは違うスタンスで、それはむしろ商業的
な面を含む活動ともいえるのかもしれないです。
 でも、少し補足が必要です。

 まずは、商業詩には私は全く相手にされていない、ということ。やって
いるのは同人誌活動のみです。
 それから、詩の同人誌はマンガなどとちがって、超有名誌でもまったく
儲かっていない、ということ。
 あともうひとつ、芸術の分類の仕方をもう少し細かく分けたほうがよ
いのではないか、ということがあります。

 以下、芸術の分類について、手元にある雑誌の今月号からの引用します----

 かつて鶴見俊輔がユニークに分類したところによると、「純粋芸術」
(プロに権威あるものを複製させ、少数の都市に住む文化人だけで
消費するもの)と、「大衆芸術」(プロが娯楽用に提供し、誰にで
も手が届くもの)のほかに、「限界芸術」があるという。それは、
生活と芸術が広く触れ合う形としてのアートである。限界という語
がなじまなければ、ペリフェラル・アート(境界芸術)とよんでも
よいかもしれない。社会と芸術の縁を縫い合わせるものとして。鶴
見は、農民芸術家であった宮沢賢治を、その大きな実践者とした
。(三上その子:演劇の声に耳を開く/舞台をめぐる「ことば」と
「からだ」:詩学2006.4:pp16-25)

645 :ボルカ:2006/04/02(日) 17:42:44 ID:z+NYQptU
 ここで三上を敷衍すれば、
1)純文学(芥川賞小説や、いわゆる「難解な現代詩」など)
2)ジャンル文学(歴史物、ポルノ、少女小説、推理小説、少女ポエムなど)
3)限界文学
が想起される、と私は思うんだけど、私自身の方向性は、この3つ
めの限界文学です。サイノーの話はおくとして、賢治には結構シンパシー
感じるし。
 都立家政(ミキ)さんが他の人々とやってきた朗読会ムーブメントや、
Canopusさんが他の人々と梁山泊でやってきた合評のムーブメントもここで
言う限界文学だと私は思います。

 それらは観客とプロのパフォーマーがいる芸術ではなく、観客が同時に
参加者であるワークショップとしての芸術なんだな、きっと。

 私が重きを置いている同人誌活動も、売ってお金を得て、その範囲で活動する、
ということは活動が健全である(道楽に堕しない)ための保険に過ぎなくて、
本質的にはお客さんも立会人として含めた、ワークショップとしての活動だ
と思っています。


646 :ボルカ:2006/04/02(日) 17:48:53 ID:z+NYQptU
>644 商業詩なんて詩はなくて、商業誌ね(笑。

 以上のような観点に起つ私にとっては、読者、というのは、大きく言えば世界なん
だけど、実はもっと身内なんですね。つまり私の妻や子や友人や秘密のあの娘を
含めた、私の世界のひとびとです。詩人たちも含まれます。
 そういう人々と、「ことばが通じない」ということが起こる、しかもしばしば
起こる、というのが私にとっての根本問題の一つなんだな。
 そこには教育内容の低下(教養の危機)の問題や、642-643が指摘するような
マスコミのテイノウ化・幼稚化とか、いろいろ社会問題もあるわけだけど、それ
に対応する私の活動としては、「対話を成立させて、そのなかで語にたいする
共通認識を築いていく」ということだと思っています。

 つーわけで、立派なチラ裏が書けて僕は嬉しいです(笑。よい突っ込みありが
とうございます。


647 :名前はいらない:2006/04/02(日) 18:13:05 ID:gGlpaZH/
ちょっと暇潰しに。

ネット上の「不特定多数」かつ「基本匿名」な人間に対しての
限界芸術的アプローチってどうなるんかな?
要するに境界芸術ってーのは“方言”とか“符丁”に近い訳で、
それを乗せる下地を形成しにくい場(ネット)においては
了解の閾値をかなり低く見ないと厳しいんちゃうかな?と。

648 :ボルカ:2006/04/02(日) 18:28:40 ID:z+NYQptU
>647
そうですよね。
共有体験を築いていくことが必要かと。
読書会って、僕はあんまり上手く運営できないけど、もっとやった
ほうが良いと思いますよ、そのためにも。
その観点からは、反発があっても「ココでやる」ことに意味があり
そうな気がするな。

あと、たとえば職場の人と付き合う時間って家族とより長い。
そうなると、身内って誰のことなんだろう、と。その種のことはたくさん
あって僕もすっきりはしていません。

実際僕なんか、WEBの知人とコミュニケーションする時間って下手すると
妻とコミュニケーションする時間より長い。
だからWEB上で限界芸術するってことが一つのテーマにならざるを得な
いんだけど、WEBって距離がめちゃくちゃなんだよな。

649 :ボルカ:2006/04/02(日) 18:30:53 ID:z+NYQptU
閾値を下げることってのは、僕は忘れがちだけど、重要だよね。
Canopusさんや都立さんがやったのは限界芸術だと上で言ったけど、
彼らは閾値のことをきちんと意識していた。

僕の欠点のひとつでしょうね。

650 :名前はいらない:2006/04/02(日) 18:47:09 ID:gGlpaZH/
一応「詩板」ってささやかな囲いが有る分
幾らか共通認識は持ち易いかも知れませんね。
もっとも、匿名掲示板って特性上
“詩板の空気は周囲より少し濃い”位の曖昧さでしか掴めないと思うけど。

あと、方言のきついのは理解が難しくなるように
「共通認識」と「内輪受け」は表裏一体だと思うですよ。
どんだけ排他的にならず「場」を作れるか、とゆーのも
苦労のしどころかな?と思ったり。

651 :リーフレイン:2006/04/02(日) 20:10:36 ID:hAsrKbP0
共通認識て話、興味しんしんで読んでいます。
個人的には誰にでもわかる詩は書けないです。
この「わかる」ていう言葉の曖昧さからしてイラつくんだけどね。
そもそも読み手まかせな芸術なんで仕方ない部分であり、ある知識なり体験なりが欠落している読み手には確実に意図は伝わらないんだと思うんですよ。
あたしはそれで構わないんじゃないかと思います。
webのいい所はそれを共有しうる人にも会える点だし、切磋琢磨もできます。
作品の側から迎合する必要はないかと。
ただ、一方では本当に誰にも読んでもらえない状態だとモチベーションが維持できないし独りよがりに過ぎないんじゃないかという懸念あります。それを指摘できる詩友というのはとても大事です。
一面では、蛸壷的な境界文化ですね

今日寺山修司の落書学読んでたんですよ。
2chはまさに便所の落書きだし、ここそのものが境界芸術の最前線です。最低でも視点がふたつ必要な気がしています。
落書きを読み、書き込み、楽しみ、評価する視点
単独の固有文字列ー詩ーの作品性を問う視点

652 :ボルカ:2006/04/05(水) 01:48:45 ID:vemP3VQX
>作品の側から迎合する必要はないかと。

まあ、できないですよね(笑。
ウケって、狙える人は生まれつきそういうタイプなんじゃないかな。
ウケの法則が仮に頭でわかっていたとしても、僕らは結局、やりたいことしかでき
ない。
このスレッドも、読書会の最中や始まるころに、わかりやすくが大事だって
意見をたくさん頂いたんだけど、でもって僕もそう思いはしたんですが、
結局は自分が最も面白いと思えることしかしゃべる気はしないですね(笑。

おそらく、限界芸術である、ということと大衆文学である、ということを
違うこととして認識することが有益なのかも。
詩で、大衆文学をやりたいわけじゃないですもんね。

何かを楽しもうとするとき、世界観が閉塞してくるのをどう打破するかっ
て言うのは、一つにはできるだけ人を排除しないってことで、それは敷居
を下げるってことだとは思う。

でもそれは、誰にでも気軽に参加できるようにするって事とは一致しないんじゃ
無いかな、と思います。
やっぱり一般には、本当にふわふわなポエムを詩だと思ってる人って多いで
すから。

>最低でも視点がふたつ必要な気がしています

この板で全てカバーする必要は無いですよね。ある別のサイトなり、ある同人誌
なりで、二つ目のスタンスを取るということもありえます。

でも、それは言い訳で、ホントに思うのは、このサイトのスレッドは、レベルや
意識が近すぎて多様性が少ないと思います。
もっと玉石混交というか、なんでもありな感じが欲しいですよね。


653 :名前はいらない:2006/04/06(木) 00:17:19 ID:tRmBqqyP
>レベルと意識が近い

それは多分、梁山泊型のワークが浸透しているって事じゃないかなぁ。
他の表現方式に比べて間口が異様に広い“詩”ってのは
本来ならもっと指向も形式も分散されていて然るべき訳で。
(勿論、その共通認識は時に「閉鎖的」「内輪受け」と取られるのだけど)

654 :リーフレイン:2006/04/06(木) 09:37:21 ID:TqMitr61
>>652
>このサイトのスレッドは、レベルや 意識が近すぎて多様性が少ないと思います。
自分は2ch全体が境界芸術の場だっていう気がしていて、
コアな落書き性が顕著に出てるのはむしろVIPPER板のほうじゃないかとw。
詩板は2chでも言葉に対して少し慎重というか、意識的な層が集まってて、2ch全体からみれば
やや衒学的な場所かなと思います。
同じWEBでもフォーラムとはまた違っていて、生の声が裸で出される場合が多いですね。
意識的とはいっても、まだ”詩”を書くというより、どうしようもなくなったしたたりを書きなぐっている感じがします。
そういう意味では、雑誌、同人誌レベルとは異なるし、かといって原初な落書きでは
すでにないっていう層が大勢を占めてるかもしれない。(雑誌、同人誌レベルが必ずしも上という意味ではなくてね)
書くだけで満足しちゃうって雰囲気?ーーこのあたりがボルカさんのご不満の種でせうか?

ただ、スレッドを細かくみていくと、黙ってこつこつと自分を書き込んでいる人が案外いて、
その内容も濃い場合があります。玉石はあるんですよ、今でも。だけどそういう人は他の
スレッドでレスを交えるということがあまりないので、せっかくの掲示板だけれども
閉じてしまいがちなのが残念です。。
フォーラムだと、ポイント制のおかげで(功罪はあろうけど、やっぱあれはすごいシステムです)
どんな人の作品も一律にまな板にあがってしまうんだけど、板の場合は書きっぱなしの悲しさがありやすね。
(これもやっぱりメリットデメリットがあって書きっぱなしで消えてしまうことそのものへの愛着みたいなんが
あるんだろうなあ。評価を求めることの卑しさを嫌う潔癖さみたいなもんかな)
雨さんががんばってるリンクすれ、そういう部分を拾い上げる手段になってますね。大変だけど頑張ってほしい。


655 :リーフレイン:2006/04/06(木) 09:39:04 ID:TqMitr61
結局んとこ、レベル的な指標がでてくる部分というのは、コンテスト系のスレッドと投稿ー批評系スレッド
でしかなくって、端的にいっちゃえばそこでの評価がまだ多様性にかけてるんで、
受け皿がたらないってことなんじゃあないかという感じもします。
通行人さんのスレッドみたいなのはあるわけだから、もう一方の極として、梁山泊よりさらに詩誌的なスレッドも
あったらいいかもですね。

そういえばね、同人誌の評価スレッドを立てようかと思ってたんですよ、去年。和合さんのウルトラとか、ぽえ とか
感想を書きたいなと思って。過去の詩が同人誌を母体に発表されていったのを知るにつれてね、本当に先鋭的な
作品はまずは同人誌に集まる気がしたんですよ。でね、それを誰も知らないのよね、実は同人以外は。。w もったいない。
詩板の住人だったら知ってもいいと思うんですよ。いや、知るべきなんですよ。(てかみんな知ってて、
あたしが知らなかっただけなんかも。。それはそれで恥ずかしい。。)
もう時間がなくなっちゃったんで、誰かやんないかなあ。。。(この他人まかせなだるい態度。。)


656 :ボルカ:2006/04/12(水) 01:00:19 ID:9D++wSXb
 そそ!
 同人誌って面白いし、重要ですよね。
 WEB同人誌では、某M.Q.さんたちの某The C.P.Mとかも面白いです。

 印刷媒体では、今度、若い詩人たちがまた面白そうなの出すんだそうですよ。

 僕も何度も同人誌について語り合いたいなあと思っていました。
 フォーラムに雑誌スレッドがあります。
 僕はそこで、なんども同人誌の話をふってるんですが、いまいち・・・
皆さん礼儀正しすぎですね。
 同人誌をエンターテイメントとして読む読者からの正直な評価って、
ほんとは同人誌製作者にだって貴重だと思うんですけどね。



657 :ボルカ:2006/04/12(水) 01:23:46 ID:9D++wSXb
 あと、指標/評価スレあたりのことですが、、、。

 僕が思うのは、むしろ最近の「詩の雑誌」スレッドのつまらなさです。
 なんだかホンキで説教しに来てるひととかもいるように感じたり。誹謗だの
中傷だのが繰り返されたり。
 アソコは結構いろんな人が見てるけどね。だからって面白くなるかというと
そうでもないようです。

 これは断じて自分がスルーされがちだから言うのではありませんよ(笑。
 あと、僕が荒らさなくても、アソコは最近低調です。

 なんかやっぱさ。
 そっちの世界には、詩人以外に鬼も住めば蛇も住むんじゃないかな。
 それに混じってあんまりショウも無い人とかも、いろんな事情で住んで
いて、そういうひとは権威主義だったり、お弟子根性だったりもするんじゃ
ないかな、とか思います。
 水平にコミュニケーションする気がない人もいるんですよね。
 後生畏るべし、ということをわかっていかったりする。

 僕は、「詩学」や「詩と思想」のワークショップが、WEBに進出してくれ
ると良いんだけどな、と思いますよ。ココではなくても、WEBにそういう場所があ
れば、自然と関連ができて、ソコ上げができてくるのでは。
 リーフレインさんが言うような意味の評価って、そういうところの講師レベルの
見識じゃないと、技術的にも、ココロの余裕的にも、無理なんじゃないかな。


658 :ボルカ:2006/04/13(木) 21:37:26 ID:0/yEd0pM
フォーラムのニューススレの佐々さんの書き込み(子ども関係の記事紹介)を読んで、なんか深く納得したり。

僕は藤井サダカズがすごくすきで、でも名前の漢字は覚えられないをだけど、とにかく好きなんだな。
しかしなぜ好きなのかなあ、と思ってたんだけど、それがわかりました。

子どもの意見っていうのは、ちゃんと聞かなくちゃいけないんだな。
でもいつも聞いてもらえない。僕も子供だからよくわかる。

彼はさ。
彼自身が、今でも、「話を聞いてもらえなかった子ども」なんだな。
一見、それを代弁してるみたいだけど。



659 :ボルカ:2006/04/18(火) 20:58:10 ID:mpDvXJpV
雑誌スレの悪口を書いたわたくしですが、やっぱいきなり面白かったりしますね(笑)。
m(_ _)m

まあそれぞれの視点で雑談を楽しむのが、面白かったりするのかな。


660 :リーフレイン ◆LeafL/oiO. :2006/05/18(木) 12:30:13 ID:6wVeEbof
入沢スレッドが流れちゃったんで、ちょっとお借りします。。。
>ゼッケンさんへ 入沢先生関係で、参考になるかもしれない引用。(園川さんの掲示板閉めちゃったのでこっちに)

○ 入沢先生の「詩の逆説」より
p80 詩と小説のあいだで  より抜粋
本当は《あいだ》などというののではないのかも知れない。要は詩と小説の区分を無意味
にしてしまうような一つの場の存在と、そこに予感される詩的冒険の可能性(異次元の
世界の追求と定着ーそこに獲得されるより高度の現実把握)のことを問題にしてみたいのである。
ーー中略ーー現代詩手帖7月号座談会「想像力の方向」(飯島、岩田、大岡、堀川)−−
ーー今日ぼくたちが当面している詩的状況の一面がはっきりと浮き彫りにーーーー
ーー特に、ヘンリー・ミラーやケルアックに触れて堀川氏が、その世界は、「詩と非常に密接な
関係のある(散文であるか詩であるかということも言えないような)世界」であることを指摘しつつ、
「それ(作家の感受性)が個人的な自我のなかに内閉されていてはけっして詩も散文もぼくたちが
本当に望むようなものにならないんじゃないかという感じが昔から強くする。どれだけ感受性を
個人的な自我からどんどん外へひろげていくか。結局は破裂するようなところまでそれをもって
いかなければ”想像力”というようなことは、あるいは”ヴィジョン”ということや、あるいはぼくらの
宗教的意味での”深みの次元”とかいうことを問題にする余地がいつまでたっても出てこないと
思うわけだ」と述べており、またこのことを「世界と離婚しなければ世界と結婚できない”という
ことがかならずはるはずなんで、その”離婚する”っていうことは大変なことだからな。その
”決定的なご破算”というものを突き抜けて、同時に自分の不可知的な世界へ向かっていくという、
そういうことが必ずおこらなきゃ」と言い、「日本の詩の感受性の構造というものを、一応そとに
向かってひらくかたちで壊すことをだれかやっていかないかぎりは、どうしようもないんじゃないか。
だから、それをやるかやらないかっていうのが・・・・・・まあおっかないからこれはなるべく
考えない」ともいっているのはその端的なあらわれてあろう。

661 :リーフレイン ◆LeafL/oiO. :2006/05/18(木) 12:31:08 ID:6wVeEbof
 このように、感性の開放と想像的世界の追求による真実への把握への志向がある所で、想起される
のが、ミラーやケルアックのような作家であり、「小説と詩の区別も無意味となるような場」であることは、
一見感じられる以上の深い広い意味がかくされているようである。それは詩のもつ豊富なイメージ(喚起性)
と小説のもつ言葉の方向性(叙述性・記録性)の結合が、このような異次元の探検に不可欠だということ
なのだろうか。あるいはまた、開放された感受性が超日常的な現実にふれておののくとき、それはもはや
いわゆる詩的な形式をふみこえて、新しい秩序(あるいは無秩序?)を要求するということであろうか。
ーーーーーーーー中略ーーーーーーーー
現代に生きるぼくたちの心を激しくゆさぶる偉大な文学作品のことを考えてみるとき、それが、しばしば、
何らかの意味で、詩と小説の区別の融解する場に成立していることに気付くのである。
 だが、なぜそうなのか。満足な答えはぼくにはできない。判ることは、たしかにここに詩の進むべき
一つの道があるということだけである。これを分析的に追求してみたとて、あるいは実作者にはあまり
役に立たないのかもしれない。結局は、人々は、人はやりたいことをやるのだから。しかし、もしここに
秀れた知性があって、この点に幅広い光を当ててくれるならば、そこに紛れ込む不要な混乱と無駄な
犠牲(それは詩的冒険にとって不可避なのかも知れないが)を、いくらかでも少なくはできまいかと
考えることがあるのだ。たとえば「説話的な詩」「ロマネスクな詩」などということが言われるようになって
久しいが、それが作品傾向の大雑把な分類用語に止まって、本質的な意義の追求はきわめて
常識的な次元から一歩も出ていないことを思うとき、この感はいっそう切実である。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

662 :リーフレイン ◆LeafL/oiO. :2006/05/18(木) 12:32:18 ID:6wVeEbof
感想ーー
実際、この部分では入沢先生の言よりも、引用されている堀川氏の言のほうが読み手にとって
魅力的でした。堀川氏の言は”世界と離婚”の必要性を感じながらも怖気づいているという話で、
なんとなくわかる気がするし、この表現そのものが物凄く詩的です。。。入沢先生はそれを自説である
”小説と詩の融合の場”により引き寄せてきて一つの方法として、”融合の場を形成する”ことによって
到達できるかもしれないと示唆しています。しかしながら、その理論的な理由づけ、あるいは、いかにして、
ということについては自分も判らないと書いてしまっているので、論として弱かった。。。
ああ、そこんとこが知りたいです・・・それぞれ自分で模索せよってことかな。。。。。つかその模索そのものが
先生自身が触れているように、詩的冒険に不可避な要素ってことか。。

ゼッケンさんの最近の詩風から、このあたりの興味があるかな なんて思います。


663 :リーフレイン ◆LeafL/oiO. :2006/05/18(木) 12:33:00 ID:6wVeEbof
>もう一箇所。。

「詩の構造についての覚え書」を読んでいる人なら、どうにも気にかかる言葉が「詩は表現ではない」
なんですが、当の本を読んでいくと、その言葉は大きな意味ではなく、かなり狭義な意味で使っているなという
気がするのではないかと思います。
「詩は果たして表現であるのか。詩は作者の表現したいものを表現する手段なのか。詩人はまず表現
したいもの(ヴィジョン・感情・思想・体験その他)を持ち、次にそれを読者と共有するために作品化しようとして、
表現につとめるもののことなのか。この素朴な、だからこそ根本的だと思われる問いに、否と答えることから、
ぼくはしを書いてきたし、これからも書くだろう。」「詩人がいて、その詩人が何かその人独自の伝えたい
ことを持ち、それが表現されて作品が産まれ、読者はその作品を読んで、作者の伝えたいことを持ち、
それが表現されて作品が産まれ、読者はその作品を読んで、作者の伝えようとするものを正確にキャッチ
し、そしてそれに十全に共感する、という図式を、詩に関してはぼくは信ずることができない。」
とあの本には書いてあって、全体を通じて、入沢先生が言いたかったのは、「詩は作者の意図を超えて
いくのだし、読者もまた、作者の恣意を越えて自由に詩行するのだ。(だから、詩が独行していくのを制限するんじゃねえ)」
ってことなんじゃないかって勝手に思っていたわけです。。(この認識はまあ、異論があるかも)


664 :リーフレイン ◆LeafL/oiO. :2006/05/18(木) 12:34:09 ID:6wVeEbof
で、「詩の逆説」の中では、この点に関わる興味深い記述があって、
p388 詩と《自己救出》−−富永太郎の世界
ーーーー散文詩「秋の悲嘆」を冒頭に置いたあの創元社版の『詩集』との出会いは、当時詩のとばっ口で
うろうろしていた私にとっては、きわめて決定的な事件だった。この本と出会うことによって、私は「詩」に
ついての一つの確信を持てたーーいや、この本は、確信を与えてくれたというよりも、私の心から最後の
支えをとりのぞいてくれた、と言うほうが実情にあっているかも知れない。その頃、急激に私の前に立ち現われて
きたいくつかの詩集(それらもまたたいては創元選集書版か創元文庫版だった)によって詩への興味を
日に日に強く持ちはじめていたのだったが、それでもなお詩からへだてていたものは、詩とは煎じつめれば自己の
思念や思想、または印象や情緒の「表現」でなければならず、したがって詩を書くためには、先ず、表現すべき
独特の「私」が把握されていなければならないという考え方だった。この、いかにももっともらしく見える考え方が
絶対だとすれば、それは私が詩を書くときの感じとはかなりずれていた。詩を書こうとするときには、表現すべき
自己などというものは(筆をとるまではごく漠然とながら存在していたとしても)たちまち霧散霧消し、あとに残る
のは、散文でこそ述べるべき思念ばかりで、いったい自分は詩でもって表現すべき「自己」があるのだろうか、
とはなはだおぼつかない思いをしていたのであった。
 富永太郎の詩は、そんな私に、「詩は《作品を通して自己を表現する》ものではなく、むしろ《作品の中に自己を
創り出す》ものであることを」示してくれた。表現すべきことがあらかじめあって、それを表現するのが詩の役目
だとすれば、それは所詮私とは無縁だが、《作品の中に自己を創る》ことを可能にするのが詩なら、それは私に
とって唯一の生きる道ではないか。そんなふうに思えたのである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

665 :リーフレイン ◆LeafL/oiO. :2006/05/18(木) 13:01:12 ID:6wVeEbof
「詩は表現ではない」と力強く言いぬけたときに持っていただろう一つのベースがここにあるなあ と読みながら思いました。
私は、「詩は作者の意図を超えて独行していく」と思って読んでいたのだけれども、入沢先生はどちらかといえば
「現在の自己を超えた自己を創りだす」という感触に近いんだと認識が変わった次第です。

>ボルカさん、おじゃましました。
講師のレベルはそうなんですよ、、本当はお金払ってワークショップに行きたい(><)
WEBっていうと構造的にボランティアになってしまうんで、おのずと限界がありますね。

666 :名前はいらない:2006/06/06(火) 11:40:00 ID:qj9St3bF
園皮

667 :ボルカ:2006/06/07(水) 01:18:36 ID:9Xhc8ivZ
>666

>リーフレインさん、チャオ。
 僕はこの間、飛行機の中で唐十郎の「少女仮面」という戯曲を読みました。
 日本なんたら全集とか言う馬鹿でかい本からコピーして読んだんですが、
解題を書いている人がオトボケで全くの話、笑っちゃったな。
 その解説者は、この戯曲が、唐の思想の比喩だと思ってるんですよ(笑。
 ここには魅力的なヒロインが登場するんですが、彼女が彼の悩み、
すなわち「特権的肉体論」とその実勢に伴う苦痛、を代弁していると。

 考えられないような誤読なんですよ、それって。 
 唐が「他者」を芝居に持ち込んでいることのすごさをまったくわかって
いないんですよね。

 芝居は上演されている現場で発生するものだからさ、女優が演じているのは
何も断って無くても、比喩なんかじゃなくて女そのものに決まってるんだよね。
 女の肉体をもった女優が女の悩みを演じていたら、それは男の悩みの比喩なんか
ではありえないです。仮にそんな芝居があっても、誰も見ないです、そんなつまん
ないのは。女が見たくて女優を見ますよね、誰だって。
 特に唐十郎は、女優に自分を代弁させるような、そんな女々しいオトコじゃ
ないです。オトコの悩みについては、男として彼ならやります。

 で、入沢ですが、僕は自分で詩を書くとき、女を書くなら、女そのものを
書きたいです。自分のどっか一部分の代弁者とか、自分のポエジーの演じ手
じゃなくて。
 その意味で、僕にとって詩は自己表現ではないです。でも別の意味で自己
表現なんですよね。

 問題はそのねじれ方が、じつは入沢とは正反対なんじゃないかってことです。
 

668 :あぼーん:あぼーん
あぼーん

669 :名前はいらない:2006/09/23(土) 17:55:10 ID:Dter5M/t
このスレッドは、GL5 掲示板・スレッドの趣旨とは違う投稿の
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削除依頼を望まないのであれば、自治スレ
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/poem/1155999946/
にて、一週間以内にスレッドの方針を説明し、存続に対する詩板住人の合意を得て下さい。

期限 2006/09/30 23:00 まで。


670 :名前はいらない:2006/10/02(月) 15:45:40 ID:UL269VFx
少し質問したいのですが優しい方教えてください(修辞法です)

1、雲は「ぐんぐん」

2、貝殻などのみぎはをあるけばズシリとし。「湿つぽくかなしく辛く」

3、第1連と第2連の表現

この3つの「 」の表現はどの下のどの修辞法が使われていますか?

1、列挙法
2、漸層法
3、対照法
4、体区法
5、挿入法
6、萬喩法
7、誇張法
8、倒置法
9、反語法

頭が良くて国語ができる人教えてください!
またその答えを説明ができる人がいたら説明もおねがいします
\(=∩.∩=)/




671 :おいらー ◆.12PMLl.V. :2006/10/02(月) 22:34:31 ID:dFVvXOu8
>>670
おいら頭が悪くて国語が出来ないからわかんないーー
きゃーー


672 :名前はいらない:2006/10/03(火) 02:51:34 ID:01XFlZAM
え?

673 :名前はいらない:2006/10/03(火) 13:10:23 ID:C/nmkOV0
││┝┥┌──────────────────┴┐
│││┝┥┌──────────────────┴┐
││││┝┥┌──────────────────┴┐
│││││┝┥ゼロッワーン!!!            .exe  .[×] |
┤│││││┝━━━━━━━━━━━━━━━━━━|\カチ
└┤│││││┌───―┐                    ´||.`| カチ
  └┤│││││  _ _ ∩│  ゼロッワーン!!       .│ カチ
    └┤││││( ゚∀゚)彡...|   ゼロッワーン!!       .│ カチ
      └┤│││   ⊂彡.. |   ゼロッワーン!!       ...|  カチ
        └┤│└────┘  ゼロッワーン!!       .|  カチ
          └┤          [ゼロッワーン!(s)]        .. .|   カチ
            └───────────────────┘




674 :名前はいらない:2006/10/03(火) 13:12:42 ID:01XFlZAM
>>670
2は1
それ以外は少しむずい

675 :名前はいらない:2006/10/03(火) 18:44:15 ID:01XFlZAM
わからん

676 :おいらー ◆.12PMLl.V. :2006/10/04(水) 01:00:45 ID:0T0ABFbL
辞書で調べてみたー
でも載ってない言葉もなるのなー

列挙 : 一つ一つ数えあげること。並べたてること。
漸層 : 修辞法の一。語句を次々に重ねて意味を強めていき、最後に最大の効果がもたらされるようにする表現法。
対照 :(1)比べ合わせること。照らし合わせること。
     (2)〔contrast〕二つのものの相違点が著しく際立っていること。コントラスト。
体区 :
挿入 :間にさし入れること。はさみこむこと。
萬喩 :
誇張 :実際の様子よりもおおげさに表すこと。
倒置 :逆さまな位置におくこと。
反語 :(1)話し手が自分の考えを強く言うために、主張と反対の内容を疑問の形で表現すること。
     「彼がそんなことをするだろうか(=彼は絶対にしない)」などの類。
     (2)実際とは反対のことを言って、暗に本当の気持ちを表現した言い方。
     遅れて来た人に、「ずいぶんとお早いお着きですね」などの類。アイロニー。
     (3)反対の語句を用いて、表現したい事物を言い表すこと。「葦(あし)」を「よし」、「すり鉢」を「あたり鉢」などという類。
     →忌み詞(ことば)
     (4)江戸時代の語源説明法の一。
     ある語が二語の反切によってできたとするもの。また、そうしてできた語。「あわうみ」より「おうみ」ができたとする類。
     →かながえし(2)

>>670
まー これから推測されるのはさー
1、は「誇張」だろうなー
3、は何?それって表現法なのかー?わかんないーーー

677 :名前はいらない:2006/11/01(水) 10:08:29 ID:YuN1HA0I
ジングルベルの曲を逆回転させて聴くと・・・
http://media.spikedhumor.com/8944/Jingle_Bells_Reversed.swf

こんなメッセージが隠されていたとは・・・ (´;ω;`)
詩にも使えるよなあ。

678 :名前はいらない:2006/11/01(水) 20:49:40 ID:soSa6v4s
勉強になります

679 :名前はいらない:2006/11/02(木) 07:31:51 ID:EUuw40Kf
絵がふつうの男でよかった
これで血だらけの白い顔した女だったら…

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